戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年2月14日〜2月23日


2003年
2月14日(金)

朝のプレゼンを上海のA女史のものとドッキングして編集する。トリミングして最終
的な形にした。
演題は「DMU」、ディシジョン・メイキング・ユニット、つまり相手企業の決裁権を
持つ人間構成を読むには、というような話。上海のA女史は前半に中国におけるDMUを
説明し、僕は欧州での経験などを踏まえてアジアでの展開を話した。僕は写真や図を
すんだんに使った面白おかしいパワー・ポイント・プレゼンテーションで、三日目で
疲れている聴衆を目覚めさせ、何度も笑わせ、最後は拍手の鳴り止まぬスタンディン
グ・オベーションとなった。
「素晴らしいプレゼンテーションだった」と何人かが握手を求めてきた。
会議室を出ると、昨晩、土壇場でエミネム役を自ら降板したボンベイから来ているイ
ンド人青年が外で待っていて挨拶してきた。「脱帽。素晴らしかった。昨晩も最高
だった。それが言いたかった」握手を求められた。
くすぐったい。いやあ、上手くいって実に良かった。
お昼になると僕のテーブルに英国人上級福社長Pが来て座り、「あれはもう、DMUとい
う最も退屈な素材をリゾート地での講義の場で最適の形に料理した最高の見本だっ
た。見事だ」と褒められているところに、今度はデリーから来ている年嵩のインド人
がわざわざ寄ってきて、「君のプレゼン、素晴らしかった」と言い置いて離れていっ
た。
聴衆の理解度と求めているものと三日目の疲労度と前夜の僕のパフォーマンスなどが
影響し、半分偶然も手伝って見事に合致した稀有な例だろう。どんぴしゃのジャス
ト・ミートだった。
でも、油断は禁物。勝って兜の緒を締めて、またまたこうした瞬間が訪れるよう精進
しなければいけない。
賞賛の嵐は止む事なく、僕はちょっと実力以上の人間に見られていることに戸惑いな
がら、午後は空港へ向かった。今日の午後はリクリエーションの時間だそうなのでス
キップすることにした。本来は明日の便だったのだが、バレンタイン・デイにはリエ
と過ごしたい。飛行機はバリの爆破事件以来空席が多いというので空港カウンターで
帰られるとホテルのコンシェルジュが言っていた。
デンパサール空港で便を変更し、香港に帰った。
夜はリエとアルゼンチン系ステーキハウスでゆるゆるとディナー。非常に旨い。
僕は終始にこにことバリ島での顛末を語った。

2月15日(土)

リエも付き合って二人で飲む。
「疲れをとる」という大義名分で、ごろごろ過ごした。

2月16日(日)

天気が悪いので、自宅のVCDで映画を見た。
1) 「少林サッカー」○。これは大評判の映画で、信頼すべき多くの人々が大絶
賛していた「大馬鹿映画」である。僕はそういうモードに入りきれなかったので、も
う一つの大馬鹿映画であるオースティン・パワーズのようには楽しめなかった。
2) 「弾丸ランナー」○。これは邦画だ。面白かった。が、ストーリー・ライン
がシンプルなので少々食い足りない。
3) 「ハッシュ」◎。邦画の拾い物。脚本も演出もいい。リエに言わせるとス
トーリーは江国香織の「きらきらひかる」に酷似しているという。ポスト・バブル的
な映画で、フランス映画を彷彿とさせる手触り。日本も成熟したものだ、と思う。

2月17日(月)

シンガポール本社とのTVモニターでの定例会議。
会議の重苦しいこの雰囲気、ああいやだ。
昼は香港オフィスの皆で一緒に食べる。
アンパオ(中華圏のお年玉。広東ではレイシーと言うらしい)のことなど色々と話
す。この香港の昼食の賑やかさに浸っていると、とても幸せだ。
僕は外国人だし、香港事務所所長以外は全員女性だし、元来、自分のやるべき事を集
中してやれれば一番幸せ、である僕としてはシンガポールのポリティックスに巻き込
まれないで実績だけ出していけばいいわけで、現状は理想的だと言える。褌が緩まな
いように自己管理は必要なわけだけれど、社内ルールと、そこさえ押さえておけば、
誰にも文句を言われる筋合いはない。
夜はリエと香港島サイド、世界貿易センターで待ち合わせ、韓国焼肉を食べた。
相変わらず、旨い。

2月18日(火)

シンガポールと会議。番組編成のアイディアを出し合う定例会議。

2月19日(水)

どたばたと忙しく過ごし、昼食はトースにハム。
帰宅してから「座頭市物語」を見た。シリーズ一番最初の話だ。○。黒澤の「用心
棒」と似ている。あれに比べると安手だが、勝新太郎のキャラクターは強烈だ。
「不夜城」を再見する。最初に見た時より感心した。◎。カメラワークがいい。映画
を知っている人間が作っている映画なので気持ちがいい。もっと評価されて然るべき
映画だ。

2月20日(木)

集中して仕事。僕は多くの懸案事項を抱えるのが嫌いなので(健忘症で忘れるし)、
スピード処理を心掛けている。あまりに多く仕事が雪崩れ込んでくるから、それをス
ピード処理していかないと問題は雪達磨のうによ膨れ上がり、自分の処理能力を超え
てしまう。
今や世界中の皆がこんな風に仕事をしており、そのスピードと仕事量は増加する一方
だ。
病気である。
十年前、ロンドンからマックのモデムで何時間もかけてファイルを送っていた頃を考
えると隔世の感がある。
夜はリエと中環のベトナム料理で夕食。ここは安くて旨いのだけれど、変な中国ビー
ルだけしか置いていないのが残念。
VCDで改めて「菊次郎の夏」を見る。駄作よばわりされていたが、面白かった。○。
ジャック・ウェルチのCEO体験をインタビューするVCDも見てリエと圧倒される。
こんなCEOのもとで働いたら疲れるだろう。
バンコクのドイツ人Aに送ってあげようか、と考える。

2月21日(金)

忙しい。調査資料をおっかける。

2月22日(土)

自宅をのんびりと掃除する。

2月23日(日)

だんだんと本気の大掃除なっていき、リエも僕も疲労困憊。
夜にリエが画廊で働いていた時に同僚だった中国人女性Aを招いて食事。
彼女の英語は非常に流暢だ。
ワインを3本空けて、いい気持ちになったが、飲みすぎで3人とも揺り戻しが来た。
部屋は綺麗になって爽やか。




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