戸田光太郎の2000年日記
- 2000年1月23日
2000年
1月23日(日)
珍しくロンドンは晴れていた。
早目に起きてリエを起こし、紅茶を飲んでからベイカールー線でパディントンに
出てサークル線に乗り換え、キングスクロス駅でノーザン線に乗ってオールドス
トリート駅から花市場に向かった。イーストは殺伐としている。それが好きな人
にはたまらないのだろう。
待ち合わせの喫茶店は閉まっていた。
元上司の英国人Sと彼の前妻との息子YとSの長年の恋人Aと待ち合わせだった
のに。Aは最近、会社の会長から呼び出されて、CEO(最高経営責任者)にな
らないかと打診されたらしい。まだ30歳そこそこなのに。彼女はノルウェー人
の父とフィリピン人の母を持つが、二人ともジャーナリストだったのだ。だから
彼女の姉は現在「ダウ・ジョーンズ」に勤務していて、最近、CNBCの仕事で
経済レポーターをやるようになりそうだという。
普通の花屋では目にしないような花がある。どれも買いたくなる。花市場をブラ
ブラしているとSがいた。合流する。待ち合わせの喫茶店は10:30まで開か
ないという。
コーヒーを飲んでからリエとぶらぶらした。欧州大陸にある中世からある町みた
いな所だ。気の利いたパン屋や家具屋がある。
再び、当初の待ち合わせだった喫茶店に集合して朝食した。僕は満腹になった。
共通の知り合いの話をする。
日本人とアメリカ人のハーフ、C青年はコネチカットのリハビリセンターで所長
をしているという。妻はトルコ人なのだが、とても頭が良くて、全ての学位を取
りつつ、同じアメリカでCとは別居生活をしているという。
このSとAはシンガポールで一緒に住んで同じ職場にいたのだが、「シンガポー
ルはいいぞ」と誘惑するのである。
南国好きのリエもシンガポールを夢見ている。
暗くて寒い英国はあまり好きでないという彼女を見ていると、僕は就職先をシン
ガポールに絞りたくなってくる。欧州の路上はもう飽きた、のである。アジアの
路上を徘徊したい。
これは去年からの願いだったのだ。
連載を「アジアの路上で」か「世界を味方に」にしようか迷っている。
僕らは二人の両手一杯の花を買い、リバプール・ストリートに出てから市場をう
ろうろして、家路についた。
僕が市場で買った材料を使って、オイスター・マッシュルームのスパゲッティと
ギリシア風サラダを作った。ワインはオーストラリア産の赤「ヤコブス・クリー
ク」。
とても日曜日らしい日曜日だった。
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