戸田光太郎の2000年日記
- 2000年3月5日
2000年
3月5日(日)
- ずっと眠って起きるとシンガポールのチャンギ空港だった。
機内を出るとムッと暖かい。黒のタートルネックにジーンズと皮ジャンという格
好が鬱陶しくなる。
空港はピカピカ明るく奇麗で広い。アジア人だらけだ。
「GENKI SUSHI」という派手な回転寿司屋が構内にあるのが嬉しい。
シンガポール航空のスチュワーデスが三人通りかかり、日本人の中年女性に話し
かけられて完璧な日本語で返事をしていたので驚いた。恐らく日本人クルーなの
だろうが、化粧が非常に濃くて、てっきり中華系シンガポール人だと思ってい
た。シンガポール航空の制服は民族衣装風にエキゾチックでいい。
広い構内には人がそれほどいない。アジアの混沌がここにはない。
通関も簡単だし、すんなりタクシーに乗れた。
緑が多い。整備されている。美しい都市だ。イースト・コースト・パークを左手
に見ながら運転手と会話する。訛りの強い英語。
「このパークには子供たちと土曜日に来たよ」と彼。11歳と2歳の息子がいて
昼間はエンジニアをやっている。タクシーはバイトなのだ。どうりでハンドルの
下にラミネされたIDカードが二枚ぶらさがっていた。「それは相棒?」
「そうさね。二人で車をシェアしてる」
街中の摩天楼に入っていく。
面接先の会社が用意してくれたホテルは立派なもので、プールやスパやジムがあ
り、カード型キーをエレベーターのスロットに入れないと動かない仕組みになっ
ていた。しかも、僕の宿泊する階とビジネス・ラウンジのあるトップフロアにし
かアクセスできない。
タイ航空のクルーがレセプションに多くいて、両手を合わせる挨拶をしているの
が美しかった。
トップ・フロアで、いくらでも無料で使えるインターネットへのアクセスや
ファックスの送り方をインストラクトされる。
インターネットで自分のHPにアクセスしたが、日本語は文字化けして見えない
アクセス数だけ見てから部屋でシャワーを浴び、Tシャツに着替え、そのまま街
へ繰り出した。
もわっとする暑さだ。東京の熱帯夜ほど暑くはない。
MRTという地下鉄の駅「シティー・ホール」付近まで歩く。
フード・コートでジャジャー麺のようなものと焼き餃子一皿と水餃子一皿を食べ
る。タイガービールを飲みながら。これで千円しない。
ペニンシュラの辺りは若者、それも男ばかりが大勢、道路にウンコ座りしてい
た。何だろう。中華系は少ない。肌の黒いインド系か。
ヒルストリートをニューブリッジロードまで南下してチャイナタウンまで歩い
た。カジュアルな服に合う鞄を持ってこなかったので肩下げバッグを買う。6シ
ンガポール・ドルだから400円以下。
チャイナタウンの建物は昔のコロニアル風で非常に風情がある。好きだ。
なんだかまた活気ある店がある。ビルの一角にテーブルを出して、中華系の善男
善女がわいわいと食事している。連続メロドラマのようなものをやっている街頭
テレビが数台あり、それに釘づけの人もいる。
またそこでタイガービールの大瓶を注文し、魚の白身をフライしたものと一緒に
食べた。旨い。
同じテーブルの青年二人と話す。
中華系だ。マレーシアのクアラルンプールから来ているという。パトリックさん
とワンさんだ。ワンさんは英語が出来ない。パトリックさんはかなり達者な英語
を話す。オーストラリアで勉強したのだという。この眼鏡をかけた中華系マレー
シア人はあるキリスト教宗派に属する牧師だった。北京語と広東語も出来る。マ
ハティールのことや中華系が多いシンガポールと逆転するマレーシアにおける中
華系のポジションのことや国産車プロトンについて話す。
ワンさんはパトリック牧師の使い走りのような感じだった。
電子メール・アドレスをくれた。
クアラルンプールに来たら誰かに案内させるから絶対に連絡してくれ、と言われ
る。
愉快だ。
帰りはニューブリッジロードを北上した。
背後にチャイナタウンがあって目の前に摩天楼が聳えるというこの構図はダウン
タウンを背にして北上するマンハッタンの気分だ。
シンガポール風の国会議事堂が右手に出た。堂々たる建物だ。
ミネラル・ウォーターとシンガポールの女性週刊誌を買って部屋に戻った。
真夜中になっていた。
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