戸田光太郎の2000年日記
- 2000年3月6日
2000年
3月6日(月)
- くそ。やはり時差ぼけで午前4時に目覚めてしまった。
とても眠い。が、眠れない。
諦めてテレビをつける。アジア版CNNの「チャンネルニュース・アジア」の女性
キャスターが目のパッチリした美人でリエに似ている。
14チャンネルにNHKが入っている。「おはよう日本」を日本と同時に見ること
が出来る。
京都の和菓子職人の話、朝ドラを見てから日本の9時でこちらの8時にはベッド
を離れる。
トップ・フロア10階のビジネス・ラウンジで朝食。
食後にインターネットをやっていると初老の英国人が、「貴君はいつごろ終えられ
ますかな?」と聞いてきた。
「まあ、30分くらいで」と返答して彼に譲ってから、僕はまた連絡しなくてはい
けない人々がいることを思い出した。
僕はキーボードを叩いている初老英国人に「終わったら934号にご連絡を」とメ
モを渡して部屋に戻り、バスタブに浸かった。バスルームの電話が鳴って受話器
を取るとラウンジの女性からで「インターネット空きました」とのこと。
メールを何通か送ってから、部屋に戻って予習。
髭剃りと歯磨きしてスーツに着替える。
タクシーを拾って先方の会社へ。
大きな茶色い円形のビルだ。広大な受け付け。
副社長の英国人Pの秘書、Eがエレベーターで降りてくる。ロンドンで、電話で
は何度も会話したが、これが初対面。
大柄なマレー系のような女性で目が大きい。声から想像していた人間に近い。彼
女の席で土産を渡す。エスティ・ローダだったかクリニークだったか、小型スプ
レーとリフィル3本付きの香水だった。匂いは柑橘系。とにかく彼女には、電話
を通してだけ、とはいえ、世話になった。そのお礼だ。
Pの部屋に通される。
彼とは去年の11月12日、アイルランドの飛行場でちらっと会ったことがあ
る。
ここ10年は国際広告業界にいる僕と共通の知り合いが何人もいたので驚く。
彼も同じような道を歩んでいるのだ。
が、まあ、知り合いは知り合いとして、次々とシビアな質問をしてくる。
特に「君自身のキャリア・プランとしてはどういう風になっているのか?」という質
問は、日本企業の人事担当のあまりしないものだと思った。
欧米企業では前提として、人々は数年後には去る、という考えがあるのだろう。
そうした中で、君は何を求め、我々は君の就労期間中に君から何を求めることが
出来るのだろうか、という契約関係である。
「貴社に私の全生命を賭けて頑張ります」的な建前が求められる日本企業からは考
えられないので、僕は今一つ歯切れのいい回答は出来なかった。
Pはなかなか物を考えているような人間だったから、その問いに対してストレー
トに返答できず、回りくどい言い方になってしまったのが心残りだった。
が、まあ、事前リサーチで彼が酒飲みだとわかっていたのでロンドンの空港で
買ってきたスコッチを土産として渡すと彼は非常に軟化した。
「何か君の滞在中に手配してあげられることはないかい?」
しかし、そんな外交辞令も、僕の滞在中だけであって、ロンドンに帰ってしまえ
ば、もう用なし、ということになるかもしれない。油断は禁物だ。
「とにかく、今、ヘッド・カウントはないのだけれど、君には連絡を絶やさないで
もらいたい」
今すぐ欲しい、という反応ではないのに落胆した。
やばいぞ。シンガポールを外した場合には、東京の方も固めておかなければいけ
ない。この面談の後にはシンガポールの日系リクルート会社とのアポを入れてあ
る。
Pが「この後の予定は? タクシーでも呼びます?」と言ったので、
「いや、念のためにグローバルなネットワークを持っているリクルート会社と会う
ことになっていますから」と言い置いて席を立った。(あなたがいらないならライ
バル会社に行くしかありません)というメッセージである。
時間が空いたので、リクルート会社との面談の後で邦人新聞の編集者と会えない
かと考えて電話したが、今日は都合が悪いとのこと。水曜日に約束する。
全ては流動的だ。
リクルート会社まで歩いて、支社長と部下に会った。
気合が入っていない。僕は高く売れば売れる物件だろうに(と、僕は思う)、シ
ンガポールのテレビ局各社に売り込み電話を入れて、一局からだけは会ってみた
いという反応を引き出していた。でも、なんだか、営業としてのヤル気が感じら
れない。低い単価の物件を回しているだけでヨシとしているような沈滞した雰囲
気だ。
これでは駄目だろう。
いよいよ明日の上級副社長との面談と社長との面談が重要となることだろう。
本日の流れは完璧ではない。
MRT(非常に近代的で美しい地下鉄)でホテルに戻り、シャワーを浴びてから
10階のビジネス・ラウンジで東京のヘッドハンターに電子メールを流し、条件を
整え、シンガポールのHISで東京行きの往復チケットを予約した。シンガポー
ルがコケた場合の保険だ。
くそ。全てが上手くいくとは限らない。が、その時点、その時点で打てる手は
打っておかなければいかない。
他に出来ることはないか?
D出版のMさんにも日本に足を伸ばすので会って頂けないか、とメールした。総
崩れした場合には印税が必要となる。
他に出来ることはないか?
ないな。諦めた。
Tシャツとジーンズに着替えて中華街まで歩き、昨晩の店で食事する。
歩いて帰る時にマッサージ屋が目に入った。
約30ドル(2000円以下)で半時間、ばきばきと関節技をかけられて凝りを
ほぐしてもらった。
シンガポール川沿いのバーでビール。
白人バンドに一人の黄色人ギタリスト混成で、ばりばりのブルースをやってい
た。
シンガポール沿いは福岡の中州みたいになっている。ちょっとお洒落で観光的。
白人が多い。
僕はまたここでインドネシア料理を食べてビール。
人を眺め、一日を反省し、明日の作戦を練った。
くそ。負けないぞ!
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