戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年3月1日〜3月11日


2003年
3月1日(土)

東京のホテルで迎える朝だ。6:30には起きてテレビをつけ、バスタブに湯を溜め
て新聞を見ながら目を覚ます。
松井が初戦でホームランを打った。あれだけ日本のメディアにいじられていながら冷
静に結果を出したのだから立派だ。で、いきなり昨日は4番だったのだが、凡打で
ゲッツーとなった。雨で試合はストップ。
とにもかくにも、松井は大丈夫だと思った。
8時前にチェックアウトしてタクシーに乗り、京成上野駅からスカイライナーで成田
空港へ。
日本の書籍を買い込んでからCXのラウンジで黒ビールを二杯飲み、10:55発のCX
便で香港へ向かう。
香港に着いて列車とタクシーで帰宅したのは16:00である。
リエと散歩に出た。近所の動物園まで歩く。相変わらず赤茶けた毛のオラウータンの
檻には人垣が出来ている。
香港公園に入る。超人工的なこの公園も週末で人が多い。人工的な池には亀が浮か
ぶ。
そこのレストランでビールとおつまみをとった。
緑に囲まれた高層ビル群を眺めながら、リエと色々話した。楽しい。
パシフィック・プラザまで歩き、リエに春物の服を買ってあげる。
映画を見た。ロンドンで舞台を見た「シカゴ」だ。冒頭は退屈した。舞台と現実を
ミックスしたフォーマットに慣れなかったからだ。出張疲れで5分間くらい居眠りし
た。でも、次第に興が乗った。リチャード・ギアは乗り々りの演技だ。キャサリン・
ゼタ・ジョーンズもいい。
セントラルまで歩いて、途中でワインを買ってエレベーターで帰った。
CNNとBBCでイラク情勢を見てから寝た。
リエは僕が日本で買ってきた分厚い少女漫画雑誌に夢中だ。

3月2日(日)

成田で買った千葉三樹さんの書いた「ウェルチにNOを突きつけた現場主義の経営学」
という新書は面白くてイッキ読みだった。これは◎。人生の重みだろう。東京のT社
の新人Nさんに送ってあげた。彼は家電メーカー出身だから役に立つかもしれない。
パスタを作ってシーザース・サラダとでリエとブランチ。
食後はゆったりしてVCDでショーン・コネリーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズ主演
の「EMTRAPMENT」を見た。○。クアラルンプールの高層ビルがスラムの背景に出てく
るが、マレーシア女性Cに言わせるとこれはCGの作った出鱈目だとのこと。
僕も彼女に「パール・ハーバー」の出鱈目さを教えた。あの映画では東京らしき街が
成田のように太平洋近くにある一大工場地帯で、そのすぐ後ろには富士山が聳え、行
きかう人々は京都のように鮮やかな振袖の娘さんたちだった。戦時中にモンペでなく
振袖である。アメリカ人も抱く日本のイメージを全て太平洋の波打ち際に凝縮してい
たものだが、これは日本では再編集されたのではないだろうか? 僕はシンガポール
で見た。
香港島側コーズウェイベイのIKEAに椅子を買いに行く。
お客さんを多く招いた時に座る椅子だ。
三件当たったが、いいのがない。
POKKAで食事した。ワインとステーキとビーフカレーとサラダと豆腐料理とタンと焼
き茄。そしてワイン。残念だ。旨くない。デパートの食堂程度の味。
タクシーを拾って帰宅し、部屋を掃除する。

3月3日(月)

仕事に集中。全力疾走だ。
へとへとで帰宅。
夜はリエとVCDで「ピンポン」を見た。窪塚くんがいつもと同じ「自然な」演技をし
ていた。○。

3月4日(火)

忙しく働く。
夜は「プリティー・ウーマン」を久しぶりにVCDで見た。
リエが高校生の頃見て大好きな映画だという。
僕も封切りの時から何回か見ているけど、やはり愉快な映画だ。脇役が冴えている。
永遠のフォーマット(雛形)シンデレラ物語を蘇らせた脚本が秀逸だ。☆だろう。

3月5日(水)

忙しく雑務。
昼はアシストしてくれているK嬢とで顧客とミーティング。その後、昼食。
最近、毎晩CNNをチェックしている。気になるのはイラクの行く末。

3月6日(木)

非常に忙しい。
T社に会う。
上海の準備で忙しい。
21:30、残業しているところにリエがやってくる。
中国の地方料理を食べる。これが非常に旨い。
リエの知人のバンドが出演するというので22:30にパブに移動。 
日本人の中年男性によるハードロック・バンドだ。
レッド・ツェッペリンやディープ・パープルを中心とした構成で、僕が十代の頃に
ヘッドフォーンの大音響で聞いていたハードロックが目白押し、知らない曲はなかっ
た。
キーボードは旧知のKさんだった。上手い。高校生からやっているのだという。
ロバート・プラントそっくりのボーカルはカメラマンで、ずっとやっていなかったバ
ンド活動を5年前に始めた人だと知った。
しかもキーボードは知人だった。
楽しかった。
午前2時になっていた。
今日は上海に出張だから、朝まで4時間しかない。

3月7日(金)

5:30に目覚めてしまう。3時間くらいしか寝ていないだろう。
スーツに着替えてタクシーを拾い、空港特急の香港駅へ。
上海に日帰りなので、スーツケースはない。
08:05発のドラゴン・エアで香港から飛ぶ。
10:30には上海。系列テレビ局のオフィスに到着したのは11時過ぎ。この辺は
一等地らしい。ほとんど香港やシンガポールとかわらない。が、歩いている人々の
ファッションが垢抜けないのは中国大陸だからである。
上海スタッフのミーティングに乱入する。彼らは北京とパワー・ポイント・プレゼン
テーションをチェックしながら電話会議していた。
本日同行するEが企画を隅々まで説明してくれた。
まず、K社にA女史とE君とで出向く。相手は在上海9年と3年の日本人。
ミーティング後、3人で遅めの昼食(僕は坦々麺を食べた)をして次のミーティング
にE君と二人で。
会議の後で上海の系列局オフィスにメールをチェックし、タクシーを拾って空港へ。
上海は都会として機能していて便利だ。これほど寒いとは思わなかったが。
20:05のドラゴン・エア便で上海から香港へ飛ぶ。
22:00過ぎに香港に到着し、帰宅したのは23:30頃。
リエが起きていて、二人でナイトキャップする。
日帰りは疲れる。くたくただ。

3月8日(土)

いい日和だ。
リエと散歩する。
いつもの動物園や香港公園とは反対の、上環の方面に降りてみた。
香港大学に辿り着く。
美術館や構内を散歩した。
煉瓦。緑。学生たち。テキスト。辞書。図書館。
大学のキャンパスというのは好きだ。
勉強は嫌いだけどアカデミックな雰囲気は好きなのだ。
お利巧そうな学生が歩いている。
僕は年齢から言うと、「戸田助教授」となるだろう。そういう顔つきで歩いてみた。
上環の中華街まで降りていくと、そこは異界だった。ちょっと東に行けば我々の住む
西洋的な香港なのだが、ここは全く、コテコテの中華街である。
鱶鰭専門店や鳥の巣専門店や茸専門店が並ぶ。これらの料理法を学んだら、それは、
それは、面白いことになるだろう。
有名なサミーのステーキ・ハウスで昼食。
味があまりに香港化されていて、我々の舌には合わない。が、サミーが淹れてくれた
お茶や、彼との会話や彼の娘(昔、英国の銀行に勤めていた)と話して楽しかった。
ステーキは我々の住む、ミッド・レベルのアルゼンチン料理屋の分厚いステーキの方
が数倍旨いんだけどね。
帰宅してBBCとCNNでイラク情勢を見つめる。
反戦運動が全世界で盛り上がってきた。
糸井重里の対談集「経験を盗め」読了。◎。これは非常に面白かった。糸井がとんで
もない専門家を呼んで対談するもので、絶対音感の話、昆虫の話、ペットの話、祭り
の話、旅行の話などを聞く。
全く興味のない分野でも専門家の話は興味が尽きない。

3月9日(日)

ご飯を炊いて明太子と納豆と味噌汁。旨い。
夜は近所からピザとサラダをデリバリーしてもらい、ボルドーを飲み、BBCのVCDを見
る。晩年のピカソについてだ。ジャックリーンという最後の妻に焦点をあてていて興
味深い。リエとは箱根の森美術館で見た晩年の作品(南仏で作られた陶器)や、南仏
をドライブしながら見たピカソの作品のことを話す。
プラド美術館に隣接しているカソン・デル・ブエン・レティロで「ゲルニカ」をマド
リッドで見たのは1990年、もう13年も前のことだ。
あの頃は湾岸戦争が近く、今はアメリカがイランに侵攻しようとしている。大統領は
ブッシュ親子だ。彼らは軍事産業の後ろ盾でホワイトハウスの住人になった。弾丸と
武器を消費しなければ彼らはその役目を果たせない。オイルの覇権もある。
こんな阿呆が世界を牛耳っているのは知識人が無力だからだろう。
インテリは修羅場と泥沼を経験しなければいけない。
でなければ世の中は進歩しない。

3月10日(月)

シンガポールとテレビ会議。明日からシンガポールと東京に出張するので準備に忙殺
される。
秘書嬢Mに焼き飯デリバリーを頼んでデスクで食事してずっと集中。
フェリーで香港島に向かっているとシンガポールのブラジル人から金曜日に香港に出
張するつもりだが君はいるか? と聞いてきた。
「僕は、金曜は東京だ」と言う。「帰るのは土曜の午後」
「行き違いだな。こっちは土曜に上海に飛ぶ」
香港島にタクシーを拾って帰った
リエがサーモンのクリーム・パスタを作り、赤ワインで食べた。旨い!
僕もそれなりに料理をするが、彼女の方が天性として筋がいい、ようだ。
荷造りする。

3月11日(火)

土曜日まで留守にするリエへの土産として、少々早起きしてご飯を炊き、明太子でお
握りを作ってインスタント味噌汁と焼き海苔とをテーブルに並べた。
多忙な出張前にしては大した余裕の僕である。
タクシーを拾い、空港超特急で移動し、シンガポールに到着するとタクシーでホテル
に荷物を落として直接14:30最初のミーティングに向かう。
新オフィスに出向いたのはその後だ。
16:00からOと会議。
17:00にミーティング
18:10に帰社。
19:20まで会社にいて、近くのホテルの和食レストランで夕食した。
二人とも僕の本流ビジネスとは直接関係なくなってしまう人である。
そのうちの一人は食品業界が長い。こう言っていた。「今日、昼食会がありまして
ね、業界の。イラクで戦争が始まるかどうか、という話になって、一人が始まると断
言するんですよ。米軍の食糧補給基地はアジアに三箇所あるそうです。韓国と大阪と
シンガポールだそうです。で、シンガポールの彼のところに、米軍から高級食材の大
きな発注が入ったそうです。アラスカのキング・クラブや牡蠣などの贅沢品です。手
元にはなかったのでアラスカやカナダから引く(空輸)ことにしたそうです」
「それは将校用ということですか?」と僕は聞いた。
「いえ。一般戦士を鼓舞するためらしいです。で、戦争が始まる、と彼は分析しまし
た。全く同じことが十数年前の湾岸戦争で起きた、と言ってました」
「最もリアルな動きだなあ、それは」僕は言った。
その他、彼の業界体験など色々と話したのだが、ここには書けない。




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