戸田光太郎の2000年日記

2000年3月7日

2000年
3月7日(火)

いやだいやだ。今度は午前1時に目覚めて眠れない。バスタブに浸かったり、テ
レビを見たり、読書したりしても効果がない。
諦めて、ゴロゴロしながらノートを出して作戦を練る。
昨日のP副社長とのやりとりからの反省点だ。特に、自分の人生設計を喋るとこ
ろはもっと堅固に構築する必要がある。
つまり、正社員幹部である彼らにしても、いつまでもシンガポールにいるつもり
はないのである。次の人生へのキャリアアップだったりする。「この会社に骨を埋
めます!」というようなものではないのである。そういう言説は通用しない。個人
の人生設計がまずあって、それを会社の求める仕事とどうやって折り合わせる
か、ということが課題だ。でないと、逆に信用されない。
あっという間に昼時。隣りのビル地下のフードコートで中華を食べる。ビールも
注文する。と、ビールを給仕する女性に気に入られたのか、彼女はテーブルを拭
いたり、ビールを注いだり、おつまみを運んできたり、ナプキンを持ってきた
り、なんだかんだといってはニコニコと戻ってきて僕の世話を焼く。少々オツム
の弱い人間の顔付きをしている。確か子供の頃にもこういうタイプの女性に付き
まとわれた。そんな記憶が蘇り、ホテルへ退散した。
シャワーを浴び、スーツとシャツにアイロンをかけ、髭を剃って地下鉄MRT駅
に向かった。
昨日のPとの面談が完璧ではなかったから今日は挽回する必要がある。が、人間
は自分以上の人物にはなかなかなれるものでもない。下駄を履けるのは30分く
らいだろう。どうせ、すぐ地は出る。当たって砕けろ、だ。
地下鉄の乗客が僕をちらちらと盗み見るので気付いた。
誰もスーツなんか着ていない。
白人ビジネスマンもシャツにネクタイだけでジャケットは着ていないから、この
スーツ姿は異様なのだろう。日本人ビジネスマンが糞暑い中スーツを律義に着て
いる、という図だ。
地下鉄やビル内はどこも冷房を効かせているが、その「繋ぎ」となる通路や街路
は、ねっとりとした大気だ。しかし、最高気温が35度だというから、40度を
越す日本の夏ほどひどくはない。しかも、日本ではそれでもスーツを着ているの
だ。
それを意識しながらMRT駅「タンジョン・パガー」で地上に出て、会社へ向かっ
た。スターバックスの冷房で体を冷却し、カフェラテを飲む。客はすぐ上のビル
に入っているビジネスマンがほとんどで、白人が多い。しかし、シャツにネクタ
イという格好だ。
上のビルへ上がる。
秘書嬢Eがまた迎えに来たので、地下鉄でスーツ姿をじろじろ見られた話をした
ら、笑われた。乗り合わせた白人社員もそれを横で聞いて笑った。
英国人上級副社長Cの個室に入る。Cは開口一番、前にロンドンで会ったことが
あるようなんだけど、と言う。
「ジ・インディペンデント」という高級新聞の営業をやっていた英国人Sと僕は10
年ほど前、仕事上近しかったのだけれど、彼CもSやその他の人々と仲良くして
いた同僚で、あの新聞社が大リストラした時に大量解雇された人間の一人だった
のだという。
その後でCは僕が昨日会ったP副社長の勤める米資系テレビに拾われ、香港に送
られ、やがて今のテレビ局に移った。その頃、英国に住んでいたPは奥さんを癌
で亡くして、テレビ局を去った。数ヶ月ぶらぶらしていたPを拾ったのが、昔の
部下であり、現在では僕が面接しているテレビ局で上級副社長となったCなの
だった。昨日何となく感じたP副社長の影はそういうことなのかもしれない。
人生、誰がどこで繋がっているか分からないものだ。
当時知っていた「インディペンデント」のSはその後、英国の高級日刊紙「タイム
ズ」に引き抜かれ、ここまでは僕も知っていたのだが、今ではオーストラリアに移
住して、Eコマース会社で働いているという。
これまた共通の知人で当時「インディペンデント」を解雇される前に辞めた英国人
のAは結婚してまだアムステルダムの「ヘラルド・トリビューン」にいるというし、
この国際広告業界の狭さと特殊性を思い知らされた。皆、ぐるぐると回流してい
るのだ。
さて、そんな雑談の後で僕への質問が矢継ぎ早に出された。
昨日のP副社長とのやりとりから反省して構築した想定問答で応対する。かなり
的確に返答できたと思う。
そして、やはり「君の将来設計は?」とも聞かれた。
これは準備してあった。「僕は大卒後、米資系食品会社に入ってあらゆる業務を
経、マーケティングや広告のアメリカ的な手法を体得しました。アメリカへ出張
も多かったのがその時代です」と吹いた。本当はアメリカ出張は一度しかない。勝
手に旅行はしたが。「それからの10年はヨーロッパでした。アムステルダムに2
年、ロンドンに8年。ここで欧米的な経験は十分に積んだわけですが、そこで、
はたと気づきました。アジア人である自分がアジアでの経験が欠落していること
に思い至ったわけです。日本人はアジア人であるのに、アジアを切り離して考え
る傾向があり、それは英国人がヨーロピアンであるにも関わらず、欧州大陸に旅
行する時など、『ヨーロッパに行く』と表現するのにも似ています。自分には
『アジア体験』が欠けています。最終的にはアジアを加えた経験を生かし、日本
で国際的なマーケティング部門を司るか、外資系企業の日本支社長というような
部署を目指していますが、御社では是非、今まで欧米企業で学んだことを活かし
たいわけです」云々。昨日のPとのやりとりから編み出された回答だ。
上級副社長Cは、この西洋文脈的な説明に大いに納得して興奮しているのが分か
る。(こいつならヤレルぞ!)という表情だ。「ちょっとお茶しに出ようや」とC
が社を出てビルの外側にある「スターバックス」に向かった。
「何を飲む?」とCが聞くので僕は「やっぱりエスプレッソですね」と答えた。事前
リサーチで彼がエスプレッソ党だと知っていたのだ。Cは嬉しそうに、エスプ
レッソを二杯注文した。
飲みながら、韓国でのビジネスを語る。ここでも共通の知人が数人出てきた。辛
口の人物評を口にするとCは喜んだ。
また社に戻る。
色々と話してから社長のFに引き合わされた。
立派な社長室だ。眺めがいい。
僕は5年前のFを知っている。
F社長は「戸田くんなら異存はないよ」と言って(これは東京のN社長との工作の
結果でもあろう)色々と会社の状況を説明してくれた。
直後にF社長は次の来客を相手にしていた。多忙である。
CはF社長のお墨付きが取れて嬉しそうで、「じゃあ、ちょっとビールでも飲む
か?」と僕を外に連れ出した。
雑談する。C上級副社長が以前勤務していたテレビ局の番組を、僕はヨーロッパ
の出張先でよく見ていたので、その話をした。
それは確かミュンヘン出張中のことだ。僕はホテルの部屋で、同局のトーク
ショーに出てきた英国人作家ケン・フォレットと司会者の対話に笑い転げた話を披
露した。ケン・フォレットは、処女作「針の目」を出版した時に自分の母親がそれに
目を通していて、今にも誉めてくれるかと思いきや、すぐ1ページ目で顔を上げ
た彼女は本を投げつけてきて「こんな下品なことを!」と怒ったという話を司会者
にした。
1ページ目に「ボロックス」という単語が書いてあったからなのだ、と彼は言っ
た。が、アメリカ人司会者はキョトンとして会場もシーンとしていた。「ボロック
ス」というのは極めて英国的な口語で、「キンタマ」のことであり、意味としては
「出鱈目」ということになる。アメリカ語で言う「ブルシット(牛糞=出鱈目)」で
ある。ケン・フォレットは無反応のアメリカの司会者とスタジオの聴衆と全国ネッ
トの視聴者を前に延々5分間は「ボロックス」の説明をしたのである。
それを見ていた英国在住の日本人がミュンヘンのホテルで笑い転げているという
シュールな光景を説明して、上級副社長Cの前職に関連する挿話として、彼を笑
わせた。ホッとする。
これは、1,業界人としてライバル局に目配りしている、2,英国英語を良く理解
する、3,欧州を飛び回っていたツワモノである、4,小話が出来る、5,知的
方面と下品方面の両方をカバーしている、というような僕なりのアピールだっ
た。
Cは僕に明日の面接のアドバイスまでしてくれた。もう一人の副社長Sに、どん
な言葉を使ったらいいか、どういうアプローチをしたらいいか、というカンニン
グである。
ビールをジョッキで二杯飲んで握手して別れた。
もう夜の10時だ。夕方5時から延々5時間も英語で喋ったことになる。こんな
に長い面接は初めてだ。が、全然疲れていない。高揚している。
英語で5時間やりとりするなどという、こんな芸当は10年前には出来なかっ
た。あの時点で転職したり、海外に出たり、ただ一人の日本人としてアングロサ
クソンの会社で生き延びたり、という「自己投資」は結果的には間違っていなかっ
たのだ、と考えたい。まだ油断できないが。一寸先は闇、の世の中である。
ホテルまでMRTで帰り、シャワーを浴びてジーンズとTシャツに着替え、ビジ
ネス・ラウンジからメールして東京でのスケジュールを固めた。
裏手にある日本のラーメン屋で餃子とラーメンとビールを食べる。
夜のシンガポールを散策する。
インターネット・カフェで自分のHPを覗き、書き込む。英語でしか書けない。日
本語は文字化けして読めない。暗夜行路である。
屋台村で水餃子入り緑麺を食べてビール。食ったり、飲んだりの人生だ。ハイ
パーに生きるために必要なエネルギー補給なのだ、と自分に言い訳して節制しな
い堕落者である。
ホテルに戻るが、また午前2時に目覚めてしまう。
今日は完璧な進行だったのでロンドンに電話してリエに説明した。油断は禁物。
東京の面接も気合を入れよう。



  • 2000年3月6日
  • 2000年3月5日
  • 2000年3月3日〜4日
  • 2000年3月2日
  • 2000年3月1日
  • 2000年2月29日
  • 2000年2月27日〜28日
  • 2000年2月26日
  • 2000年2月25日
  • 2000年2月24日
  • 2000年2月23日
  • 2000年2月22日
  • 2000年2月21日
  • 2000年2月19日〜20日
  • 2000年2月18日
  • 2000年2月16日〜17日
  • 2000年2月15日
  • 2000年2月14日
  • 2000年2月12日〜13日
  • 2000年2月11日
  • 2000年2月10日
  • 2000年2月8日〜9日
  • 2000年2月6日〜7日
  • <表紙に戻る>
    <2000年日記トップページに戻る>