戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年6月8日〜10日


2002年
6月8日(土)

僕は今、香港島の中環(セントラル)の半山(ミド・レベル)に住んでいる。山の中
腹なのだが、延々と続くエスカレーターの終わりにあるコンディット・ロードのマン
ションである。
このエスカレーターは朝10時まで下り方向に動いていて、それ以降は登り方向に切
り替わるのである。人々が出勤する朝だけ下りで後はほとんど登りなのは、合理的
だ。
さて、土曜の朝からこのエスカレーターを降りてみた。ロンドンのエスカレーターの
ように、足を動かしたくない人やご老人は端に寄って、健康な人や急いでいる人は隣
を擦り抜けていく。
こうしてMTR(地下鉄)の中環(セントラル)駅まで歩き(これが結構長い距離な
のだが、まだ景色が新鮮なので飽きない)、地下鉄で二駅目、九龍半島のチムサー
チョイで降りた。オフィスの鍵を作ってもらったので出社できた。
僕の個室は小奇麗で気に入った。隣のR嬢との部屋の仕切りがグラス・キューブなの
が洒落れている。机も広いし、個人のテレビが正面にある。が、我が社の番組しか映
らない。
仕事は、色々とやることがあるが捗らない。
夕方にオフィスを出て九龍半島の端まで歩き、フェリーに乗って香港島に向かった。
風情がある。しかも値段は地下鉄の4分の1だ。
香港島に屹立する高層ビル群が迫ってくる。潮風を受けてほんの10分ほどで対岸
だ。これはいい。朝は急いでいるから無理だろうが、帰りはフェリーがいい。
街をぶらついて、馴染みのパブに寄って帰った。
ロンドンに住んでいた時のように、大都会に住んでいる、という実感がある。

6月9日(日)

今日はワールドカップの日本対ロシアである。
どこで観戦するかが問題だ。
福岡に残ったリエは今ごろ東京で、今晩は横浜国際競技場で観戦するという。
雨が降ってきた。タクシーを拾ってコーズウェイ・ベイ近くの餃子屋さんで昼食し
た。まあまあの味。SOGOや三越のあるコーズウェイ・ベイを散策してから地下鉄
で帰り、エスカレーターを上がって買い物して帰宅。読書してから半山(ミド・レベ
ル)から降りて、行きつけのパブの隣にある串焼き屋で夕食しながら観戦した。
ひやひやしたが、またまた稲本のゴールで僕は踊り狂った。騒いでいる迷惑な客は僕
だけかもしれない。
初の勝利に感激。
隣に彼女と座っていた香港チャイニーズの青年も僕に煽られて日本を応援してくれ
た。彼は建築家、彼女はデザイナーだという。「今度、遊びましょう」とのこと。
帰宅すると昔シンガポールで同僚だった韓国人女性から連絡が入る。彼女は通信社に
も勤めていたくらいでバリバリのアメリカ英語を話す。彼女はシンガポールの後シド
ニーの別会社に移り、最近、香港の別の会社に就職したのだ。友人も来るから、との
ことで着替えて指定されたバー「アリバイ」に出て行くとCNN勤務だというアメリ
カ黒人女性Wとフィリピン女性Dが集まり、飲んで喋ってバーをハシゴして踊った。
リエはこんな風にシンガポールで過ごしていたようだが、毎日やって飽きなかったも
のか?

6月10日(月)

新しい仲間と顔合わせ。アメリカ人と中国人のハーフで顔はストレートに白人男性の
Kと香港チャイニーズ女性Rと三人でシンガポールとTVコンフェレンスをする。
それが終わってから僕だけ残り、英国人CEOと英国人上級副社長と複雑なやりと
り。昔はこういう時はタフに出ることが出来なかったが、最近は土俵際で踏ん張って
反論する。4年前の日本代表チームのように進化したのだろう。
雑用に追われる。
残業。一番最後になった。
九龍半島の突端まで歩き、フェリーで香港島に戻った。
舳先から輝く摩天楼が迫り来る光景を楽しんだ。ビクトリア湾の風を受けてフェリー
は7分で対岸に着く。MTR香港駅ビルまで歩いて和食を食べたが、これが不味い。
不愉快になった。
一人で夕食というのもいけない。
もう炊飯器を買って自炊した方がいいかもしれない。外食には「儲けのマージン」は
あるが、愛情はない。







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