シンガポールは晴天なり。
朝食はCNNを見ながらルームサービス。
出社して仕込みをする。
昼抜きで突っ走る。
14:00にミーティング。長引く。
16:30のミーティングに駆けつける。
オフィスに戻ったのは18:00過ぎ。
Oと打ち合わせ、遅い昼飯を食べ、20:00には空港へ向かう。
20:30にチェックイン開始だという。
上のバーでビールを飲んで時間を潰す。
20:30にチェックインして、あまりに疲れたのでマッサージをしてもらおうとし
たが、もうサービス終了となっていた。空港ホテル施設でシャワーを浴びる。
JALラウンジで過ごした。
23:00くらいのJAL便で成田へ飛んだ。
早朝着でずっと一日東京で仕事。全く暇なし。
東京で朝から深夜まで仕事。全く隙間なし。
夕方に香港の自宅まで辿り着く。
疲れた。
ボストンの私立探偵スペンサーの最新ペーパーバック「Widow's Walk」を読んだ。最
近のロバート・B・パーカーは、安定していて面白い。開き直った強みかもしれな
い。
途中(1990年代前半)、かなり低迷していた時期もあるけど、最近は堂々の高い
平均打率の金太郎飴である。レギュラー・メンバーをちらりちらりと投入する手際も
さすが。これは2002年の作品だけど、今年になってハードカバーで「Back
Story」という新作が出たらしい。僕はペーパバックになったら読む。彼の作品は一
作目から全部持っているので作者が物故したら(ごめん、ロバート)全巻通読してみ
たい。初期の「ユダの山羊」は特に何回も読んでいる。昔住んでいたアムステルダム
とロンドンが舞台なので楽しいし、アクションが冴えている。
午後、タクシーを拾ってリエと香港島の波止場からフェリーで長州島に行く。
なかなかのんびりしていい所だった。二人乗り自転車を借りてぶらぶら周遊する。僕
が漕いだので汗だくとなる。
インド料理系パブで、ビールとパパドを摂る。日が沈む前にフェリーで香港島に戻
る。
朝、リエの作ったお握りを食べる。
出社すると僕の個室が綺麗に片付いていた。素晴らしい。秘書M嬢は片付けが趣味だ
というから心強い。出張経費も、ばさっとレシートを渡すだけで僕の旅程と突き合わ
せて瞬く間に処理してくれる。非常に仕事が出来て気立てがいい。広東語と北京官話
と英語と片言の日本語が出来る。
シンガポールの秘書は昔シンガポール航空のスチュワーデスで、英語と北京官話とマ
レー語が出来て仕事は速くて正確、僕のぐしゃぐしゃの部屋を出張から帰ってくると
整えてくれていた。
皆、優秀だ。日本のOL秘書もこんな感じなのかな?
昼はサンドイッチを作る。
仕事をして突っ走る。
7:45に早朝出社。全力疾走で仕事する。昼も食べに出ることが出来ない。
終わらない。
夜、リエがオフィスに立ち寄ってくれたが、それでもまだ終わらず、待ってもらう。
で、ようやく近所の杭州料理屋で夕食した。
九龍半島から香港島までタクシーで帰宅。
7時には家を出てタクシーで香港駅へ。空港特急で空港へ。ラウンジでシャンペンを
飲みながらPCを叩き、朝09:10の便で成田へ向かう。到着は13:45なのだ
が、結局都内に入るのは15:30くらいになってしまい、これは効率があまりに悪
い。夕方の便で前日に入らなければ駄目だ。
N社長の車で、京成上野で拾って頂き、ミーティング場所へ。
終わってからはホテルで着替え、T社オフィスでメールをチェック。電話を上海やシ
ンガポールにかけて問題解決に努力するも、あまりに受信メールが多く、全てを処理
するのは不可能だ。出張すればメールはたまるし、かといってオフィスで座って処理
していては意味がない。受信ボックスが千通を越さないようにしていたのだけど、い
くら処理しても千八百通になってしまった。処理先の項目ファイルにもそれぞれ千通
は入っているから数万通を消せないで抱えている。それを整理する時間など、とても
じゃないけど、ない。
午前一時までオフィスに居て、帰った。
ホテルでテレビを見続けた。明日午前10時に戦争は始まりそうだ。
午前三時で眠る。
四時間寝て、午前七時には起きて緑茶を飲みながらバスタブに浸かり、台付きの拡大
鏡を引き寄せて自分の顔を久しぶりにしげしげと見ながら、安全剃刀で髭を剃った。
近くの立ち食いそば屋で掻き揚げ蕎麦を食べる。ここにはもう10年以上も通ってい
るが、出汁の加減や蕎麦の歯応えとか、恐らく世界一の立ち食いそば屋だと思う。
中年男性の従業員だか店主だか、いつもいる人が蕎麦係りの中年女性に囁いているの
が耳に入った。
「今日は、のりが悪いんだよ、俺。どうしたんだろうなあ。愛情を込めて揚げている
んだけどなあ」
(心配ないよ、オジサン、僕ら愛情をびしびしと感じているから)と心で思った。
ホテルではフレンチ系の朝食が出て、それは出張経費に含まれているわけだけど、僕
は敢えてそこではたべずに、レシートの出ない、この立ち食い蕎麦を朝食にしてい
る。だって、こっちの方が旨いんだもん。
8:30前には出社してメール・チェック。
お昼前に新宿西口に出向く。クライアントと昼食。高層ビル53階にある和食の「植
村」で。
お次は15:00に白金台の某社でアニメと放映やフィギュア制作や雑誌連載という
ような話。新しい分野なので非常に面白かった。もっと突っ込んでやってみたい。
17:10には銀座の某社でミーティング。
出てきたMさんと「あらあら」と驚いた。
Mさんと最後に会ったのはパリだ。フランス語がぺらぺらの彼は当時パリにある日経
広告代理店に勤務していたが二年前からこの企業に移籍したのだという。僕も二年
ちょっと前からロンドンからシンガポールに移り、半年ちょっと前から香港に移った
のだと語った。世界は狭い。
ミーティングが終わると18:30になっていたので慌てて地下鉄に乗る。銀座で丸
の内線に乗り換えて、まだ19:30まで時間があったので新高円寺で降りてルック
ルック商店街を十数年ぶりで北上した。
僕は1963年から1970年まで東京都杉並区高円寺に住んでいた。6歳から13
歳までという多感な時をこの街で過ごしたのだ。クラスメートのことを思い出す。ま
だ当時の面影を残すこの商店街を歩いていると非常に感慨深い。僕はナチュラル・ハ
イになった。
JR高円寺駅まで辿り着き、隣の駅へ移動し、今晩知人がライブをやる「阿佐ヶ谷ぐる
てん」に入った。
おお。沖縄色が強い。まだ残りの3人は到着していないので安心した。
今夜のライブは、「有限会社」という変わった名前のバンドで、ユニットは流動的で
3〜4人となっている。今夜は2人組のパフォーマンスで、女性のTさんが僕の知り
合いである。まず、ギタリストのHが到着した。かれこれ20年の知り合いで昔一緒
にバンドをやっていた。続いてAが到着。ビールと沖縄料理を次々と注文していると
ころに、新しく結成しようというバンドのギタリストKさんが到着した。乾杯してい
るうちに「有限会社」のライブが始まった。
第一部最後の曲「東西南北」というのが良かった。沖縄県民男性ボーカリストの彼が
紙袋一つぶら下げて東京に出てきた頃の心情を歌ったもので、余情的ないい歌だっ
た。
飲んで喋って、第二部となり、やはりこちらも最後の「はるなつあきふゆ」という曲
が秀逸だった。
こうして東京の夜は更けていったのだ。
僕は阿佐ヶ谷駅前の古本屋が開いていたので、そこに飛び込んだ。
(写真)バンド「有限会社」のボーカルTさん
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