戸田光太郎の2000年日記
- 2000年1月26〜27日
2000年
1月26日(水)
東京のNさんと交信。局長包囲網、である。電子メールは在宅で仕事するには便
利だ。宮さんに感謝。
銀行の両替に行く。
ストックホルム、ベルリン、ハンブルグ、デュッセルドルフ、ミュンヘン、アム
ステルダム、ロッテルダム、パリ、ニース、カンヌ、インスブルック、ミラノ、
トリノ、ローマ、ダブリン。考えてみると、衛星オフィスや日系企業のある、限
られたそんな地区ばかりをぐるぐる出張してきたのだ。
もう欧州大陸の通貨は当分、いらない。次に欧州大陸を旅行する頃には通貨は
ユーロになっていることだろう。
銀行でリラやフランやマルクやベルギー・フランやギルダーを英国ポンドに換え
た。ここ十年の生活を総括するような感じ。
ロンドンのリクルート会社に催促のメールをする。早速電話がある。テレビ製作
会社。どんなもんだろう。
ソーホーに出て買い物。
1月27日(木)
某出版編集長からメールが入っている。送った原稿の感想。彼が「キャッチボー
ル」と言っていたこの方法はいい。孤独な執筆作業を、編集者に励まされて続け
ていくという昔ながらの形が、遠距離を越え、テクノロジーのお陰で成立してい
る。
英国時間の午前9時ちょうど東京のヘッドハンターから電話がある。四人くらい
と次々に話す。外資系銀行や他の金融、スポーツウェア、エトセトラ。いずれも
広報やマーケティングの仕事。アジア全域をカバーというのもある。メールで履
歴書を送る。これは友人Aの線なのだろうか? 感謝。
英国の永住権も持っているし、英語圏なら何処でも住んで不自由はないけど、
久々の東京もいいなあ、と思う。だって、日本語が通じるんだもんなあ。
仕事の内容次第だが。
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