戸田光太郎の2000年日記

2000年3月8日

2000年
3月8日(水)

午前2時から一睡も出来ず、入浴したり、ビールと睡眠薬を飲んだり、テレビを
見たり、空腹のまま7時を迎え、ビジネス・ラウンジで朝食した。時間軸がズレた
ままなのは惨めだ。
食後に眠る。と、すぐ10時にウェイクアップ・コール。
眠い。面接なんてキャンセルしたいぐらい眠い。
が、風呂に入ってスーツに着替え、MRTのシティー・ホール駅からタンジョン・
パガー駅に向かった。
もう一人の英国人副社長S女史に会う。
インド風更紗を着ている。彼女は五年以上前から知っている。英国に住んでいた
ころよりもずっと健康そうだ。
昔話などをして現在の展望を語る。と、彼女の社内会議の時間が来たので中断。
英語と日本語が完璧でフランス語も喋る韓国人女性Mと雑談。彼女、ブリュッセ
ルのEUに勤務していたという。アメリカ人で日本語がペラペラのBが挨拶に来
た。彼の部屋で話そうという。韓国のMさんに席を外すことを副社長S女史に伝
えるよう頼み、Bの部屋で雑談。
社内会議を終えたS女史がBの部屋に訪ねてきて面談再開。
問題なく済んだ。
ビルを出てタクシーを拾い、シンガポールの邦人向け新聞社へ向かう。商店があ
るビルの上に事務所はあった。冷房が効いている。
経営者のNさんと話す。
彼はもう20年ほどシンガポールに住んでいる。クアラルンプールにも数年い
た。シンガポールのメディアは政府の検閲が入るから政府批判は出来ない、とN
さん。
僕は、自分のコラムは政治色が皆無だと思う、と言った。「欧州の路上で」サンプ
ルを手渡す。
まあ、色々なことを話す。Nさんは喋ることが好きだ。他の人間の話に耳を傾け
る人間ではなさそう。
またタクシーを拾ってホテルに帰るともう夕方の4時になっていた。日差しはま
だ強い。
バスタブに浸かり、Tシャツとジーンズに着替え、オーチャード通りまで延々と
歩いた。
途中、モダンな図書館に入ったり、豪壮な歴史博物館に入ったり、立派なショッ
ピング・モールの「吉野屋」で牛丼を食べたりした。
シンガポールというのは立派な都市である。
建国者リー・クワンユーの個人的な作品だ、というところが驚きだ。
それはそれとして、明日からベトナムで4日間過ごすことにしてある。





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