戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年6月11日〜14日


2002年
6月11日(火)

シンガポール本社からイタリア系英国人副社長Oが来て一日ブレイン・ストーミン
グ。昼は弁当でそのまま一日セッションに終始。
近所の韓国料理屋で一人、夕食。ここは二度目だが、絶品。旨い。
僕は残業してまた最後の一人。フェリーで帰ろうとしたら雨が降ってきたのでMTR
(地下鉄)で帰宅。地下鉄だと香港島のエスカレーターの終わりにある自宅までほと
んど濡れないで辿りつける。

6月12日(水)

アメリカ人と中国人のハーフKがイタリア系英国人副社長Oのレッスンを受けてい
る。昼は全員で近くの日本料理屋に行く。不味い。イタリア系英国人副社長Oは旨い
旨いと食べていた。
夜はKとOと僕の男三人で近所のパブで飲み、南アとスペイン戦を見た。
僕はパブを出てからは九龍半島突端で不味い中華を食べ、ご機嫌なデキシーをやって
るJAZZライブハウス「ネッド・ケリーズ・ラストスタンド」でビールを飲み、ス
ターフェリーまで歩いて香港島の輝くパノラマを楽しみながら対岸に渡った。香港島
MTR駅ビルを通り抜けてセントラル駅を抜け、エスカレーターに乗り、途中のパブ
で飲んで帰宅。

6月13日(木)

忙しい。
リエから電話。イランでテレビ取材する仕事が舞い込んできたとのこと。彼女はペル
シャ語が出来る。また香港に来るタイミングが伸びるかもしれない。
昼になると香港オフィスの人々は「いっしょに飯しよう」と誘ってくれる。シンガ
ポールとは違う。向こうは全員忙しいのでデスクでサンドイッチを食べたり、さっと
二人くらいで出かけて食べたりだったが、香港では皆で仲良く「家族のように」食べ
るのだという。日本でサラリーマンしていた遥か昔のことを思い出した。K部長とか
I課長とかにぞろぞろついて昼食して、お勘定の時になると僕ら新入社員がお釣りを
計算して清算後にオフィスに戻った先輩方に配って回るのだった。
帰宅はスターフェリー。

6月14日(金)

忙しい。皆での昼食も断った。「今日は、御免、W杯の日本対チュニジアが始まるま
でに片付けたいから」
で、14:30にオフィスを出て近所のアイリッシュ・パブ「オックスフォード・
サーカス」で観戦。
後半、森島と中田がゴールを決めてパブは大騒ぎ。かなり日本人もいたし、香港人は
ほとんど全員、アジアの同朋である日本を応援していた。
酔っ払ってオフィスに戻ると東京から電話。盛り上がって喜んでいる。
福岡の実家からいったんシンガポールに移動したリエの携帯に連絡すると、彼女もモ
ハメッド・サルタン通りのパブで観戦していたという。シンガポール人も日本を応援
し、大いに盛り上がったようだ。
仕事の後で「TGIフライデー」で韓国対ポルトガルを観戦した。これまた韓国の勝
利にアジア同朋として香港人は大喝采していた。この試合、韓国の神様が仕組んだと
しか思えない。ポルトガルは二人にレッドカードが出たし、ほとんど入りかけたゴー
ルが二・三回もあった。





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