戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年3月21日〜3月28日


2003年
3月21日(金)

香港に戻る。
VCDで「居酒屋兆治」を観た。「駅 STATION」の降旗康男監督、高倉健主
演のコンビで描く山口瞳原作の小説世界だ。加藤登紀子が高倉の妻、というのが面白
い。伊丹十三演じるチンピラも良かった。大原麗子は謎の女。○。
金井秀文著「上海なんちゃって市場経済―中国オシゴト物語」読了。○。
立て続けに「中華連邦」大前研一著も読む。◎。
ときどき中国ブームは起きるけど、世界の工場と化す中国は恐ろしい存在だ。で、僕
もその一部にいる。

3月22日(土)

だらだらと読書して過ごす。

3月23日(日)

だらだらと読書して過ごす。

3月24日(月)

会議など。

3月25日(火)

会議など。

3月26日(水)

香港オフィスで14:30まで働き、そのまま空港へ。
成田空港での不便な両替(しかもレートは悪い)を考えて香港で両替した。極めて迅
速である。
16:15のCXで成田へ向かう。
夜の9時過ぎに到着するのだが、この時間帯は京成スカイライナーの便も少なく、待
ち時間に入れるような店もなく、成田空港というのは到着客に対して何の配慮もない
薄情けの空港だな、と認識を新たにした。なんでそうなのだ。スターバックスでさえ
店を閉め始めていて「お持ち帰りだけでしたら」と言われる。空腹だった僕はピタサ
ンドを買うが、チンして温めてもくれない。そういう設備がないのだという。本当か
よ。僕の次に並んでいたオジサンも冷たそうなサンドイッチを買うしかなかった。
で、京成のホームで侘しく冷たいピタサンドを食べていると、近くのベンチでもさっ
きのオジサンが冷たいサンドイッチをもさもさと食べていた。地味なコートとスーツ
の真面目そうな男性で、きっと出張で一杯仕事してきて帰ってきたこの薄情けの空港
でこのような仕打ちに合っているのだろう。
いったい空港施設を作る人間というのは、自分自身、頻繁に海外旅行をしたことがあ
る人間なのだろうか? そうは思えない。こんなに不便な立地の空港が24時間稼動
していないのも変だ。
成田に到着するたび腹が立つことが多い。
池之端のホテルにチェックインしたのが23時近く、そのまま東京のオフィスに顔を
出し、午前1時過ぎまで働いた。非常に効率の悪い一日の過ごし方になってしまう。

3月27日(木)

ホテルを出て立ち食い蕎麦を食べ、08:30にはオフィスに。巣鴨方面で打ち合わ
せ、09:55には車で銀座へ移動しようとするも、ひどい渋滞で約束の11:00
が近づく。大塚で車を諦めてJRで有楽町まで移動し、先方に遅れる旨を伝えてからま
たタクシーを拾って向かったが、20分の遅れとなった。
次は三田に移動してミーティング。
途中、新しい銀行が出来ているのに驚いた。「りそな」銀行である。もう誰もどこと
どこが合併したのか覚えきれなくなった、という。それにしても、この、りそな、っ
て何だ? はてな、である。どこの誰が「りそな」なんていう馬鹿な名前の銀行に金
を預けたいと思うだろう。誰が命名したのだろう? 誰か正直に、途中でブレーキを
掛ける人間はいなかったのか? 「りそな」は勤務しているOLの意見も取り入れたの
だろうか? 「りそな」なんて聞かされたら彼女たちは「きもい」「ださ」「ま
じ?」「やば」と反対したろう。オヤジ達が折衷案で頭文字を繋げたとか、そういう
レベルじゃねえのか? 謎に満ちた「りそな」である。インターネットで命名の経緯
を知りたくなってきた。
ミーティングの最後は日本橋で終わってからT社に引き返し、メールをチェックして
から17:30より英国人Sと通訳MさんとN社長とN福社長とでミーティング。
僕はホテルに戻ってカジュアルに着替え、寿司の「勘八」で合流、穴子と雲丹などを
食べて冷酒を飲んだ。いったんオフィスに戻り、新人Nさんと明日の打ち合わせをし
てからまた寿司屋に戻る。
ホテルに戻ったのは23:30。

3月28日(金)

6:30には起きて7:00にはホテルを出る。JR御徒町駅から東京駅に出て中央線
で西へ西へと向かう。立川を越えると突然、家と家の間隔が空き、駅 と駅の距離も
伸び、田舎然としてきた。八王子で乗り換えて北八王子で下車した。8:45になっ
ていた。駅の周辺には喫茶店もファスト・フード店もない。コンビニだけだ。ミー
ティングは10:00なので暇を潰す場所がなく、その会社のロビーでNさんと合流
した。
御徒町に戻ってきたのは12:15、5時間以上が過ぎていた。Nさんと食事した。
ホテルをチェックアウトし、T社オフィスでメールをチェックし、報告書を提出、1
7:00にはH社Sさんらと打ち合わせ。
18:00過ぎにタクシーを拾ってホテルでスーツケースを拾ってから羽田に向かっ
た。レインボーブリッジの夜景を楽しむ。当初、フライトは20:00だったのだ
が、19:05に乗れるというので、あと10分しかなかったが、ゲートに向かっ
た。国内線はこんなギリギリでも許されるのだ。搭乗間際に携帯で福岡にいるリエに
電話してフライト変更した旨を伝えた。
今日は上野から八王子、八王子から上野、羽田から福岡と、国内移動日である。
出発は遅れ、到着も遅れた。
福岡国際空港のガラスの向こうにはリエとリエ・パパがいた。
迎えに来てくれたのだ。
感謝。
リエ・パパの運転するMAZDAで高速に乗り、義理の父母の家に。ここは二世帯住宅に
なっていて、リエ・パパとリエ・ママは二階に住んでいる。ここに来ると僕らは一階
に住まわせて頂いている。独立した台所とトイレ、テレビ、電話、風呂場もある。
僕は夕食を食べていなかったので、ご飯、明太子、芥子菜、そして美味しい味噌汁を
頂く。
極楽だ。




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