戸田光太郎の2000年日記
- 2000年1月28〜29日
2000年
1月28日(金)
某出版編集長からメール。どんどん執筆作業を続ける。書いてばかりだと遠近感
がなくなり、いいんだか悪いんだかわからなくなる。取り敢えず終点に辿り着い
てから補修することにして前進する。
夕方、リエと連れ立ってカムデンタウンの局に行く。お別れパーティーである。
局長が美辞麗句を並べ僕を讃えてMTVゴールドCD授与。このスピーチの間、
後ろの方では局長に対して「でも讃えている人間をリストラしたのはあんたじゃな
いの」云々と非難の声が出ていたらしい。
スピーチしろと言われる。
日本人はスピーチしない民族だ、と僕は切り出した。日本人が人前でやるのはハ
ラキリだけ(笑い)。今日はやらないけど、まあ、一言。七・(ポイント)五年
(笑)の間、有意義でした、まあ、一番良かったことはなんといっても、この惑
星の上でも最も素晴らしい仲間に会えたことです(しんみり)…おっと嘘ばかり
並べて失礼(笑)、営業部にいたものですからつい(笑)、でも、本当に、マジ
な話、皆とのお別れは辛いですね(しんみり)。ありがとう(拍手)。
元上司のSが後ろでのけぞって笑ってる顔が見えて嬉しかった。
一応、地下鉄ノーザン線の中で考えてきたスピーチで予想通りの反応が引き出せ
たが、特にリエには誉められなかったのは残念。
ニュージーランド人のポーレットが泣いてしまった。
そこからはシャトルバスで移動し、ポーランド通りの「ヨー・ビロウ」で食事。ア
ミ、グラハム、トム、マイケル、ドミニクが集まる。次の会場はソーホー通りの
ポップでマティアスが駆け付け、珍しく自腹でシャンペンを一本奢ってくれた。
「他のそのへんの奴には飲ませるな」などと煩いのが彼らしくて可愛い。
マイケルがひどく酔っている。「くそ。クールな奴は皆いなくなった。イアンだ
ろ。ディブ・リーズだろ。君だろ」
並べられた三人に共通しているのは、ただの飲んだくれ、というだけの気もした
が。
僕とリエはそのくらいで切り上げた。
皆、先週は英国人上司Cのリストラで会社はパニックになっていたらしい。それ
で先にリストラされた僕のことは今週の水曜日まで伏せられていて、突然局長か
らのメールで知らされたという。何がなんだか分からず、混乱は続いているよう
で、97年の大リストラの時のように皆、浮き足立っていた。僕は先週21日金
曜日が宮仕えの最後だったので今は完全に吹っ切れている。
1月29日(土)
- 作文して読書。料理と掃除。リエもずっと中国陶器の英文資料を読んで論文を書
いていた。
夕方、エッジウェア通りに出る。ここはアラブ人街で、非常に面白い。ムスリム
は飲酒しないのが難点だが、料理は新鮮。
「カフェ・レバノン」でメッツァの盛り合わせを食べる。旨い。料理人の手つきが
日本の板前さんのように素早く洗練されているので釘付けになる。飲み物がオレ
ンジジュースなのが残念。周りのアラブ人たちもお茶を飲んでいる。
食後、ティム・バートン監督「スリーピー・ハロウ」を見る。ジョニー・デップが
宜しい。無茶苦茶なゴシック・ホラーで、首が転がり、血が流れるが、皆きゃあ
きゃあ言いながらも、げらげら笑っていた。ホラーは嫌いなのだが、この映画は
愉快だった。○。僕は素人芸が苦手なので「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は
詰まらなかった(×)が、こっちは映像とコスチュームも楽しめた。
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