戸田光太郎の2000年日記

2000年3月9日

2000年
3月9日(木)

駄目だ。何時に寝てもこの時間に目覚める。午前2時だった。風呂に入ったり、
ビールを飲んだりしても無駄で、地元の英字新聞を読んだり、テレビを見たりで
朝を迎えた。「夜霧のマンハッタン」のロバート・レッドフォードを思い出す。
まあ、いい。ベトナム行きの飛行機の中で眠ればいい。
HISに向かった。これまたタンジョン・パガー駅近くのインターナショナル・プ
ラザ31階である。
そのフロアにアメリカ系テレビ局があることに驚いた。ここは、かつて上級副社
長Cの勤務していた会社だ。(インターナショナル・プラザ31階にあるテレビ
局、というフレーズは使えるな)思った。覚えておこう。
HISで東京往復のチケットを買う。これはアメリカのインターネット会社が面
接で僕を呼び寄せる費用として肩代わりしてくれる分だ。領収書を切って貰っ
た。
そして自腹でベトナムへの往復チケットを払う。
ホテルへ戻り、荷造りしてホテルに預け、チェックアウトして、小さなDパック
だけを背中に、ボーイにタクシーを拾ってもらい、空港に向かった。
ベトナム航空のチェックイン・カウンターでベトナムに入国するビザは持っている
かと聞かれた。そんなもの、ない。
ビザがなければ乗れないと言われる。
シンガポールのベトナム大使館の電話をもらう。13:30発の便にはどの道乗
れそうにないな。
大使館とHISに電話する。どうしてビザの件を教えてくれなかったのだろう。
自明の理だったのだろう。
大使館は昼休みだ。HISは担当が昼食に出ているという。ビザ発行は一日では
済まないようだし、13:30以降の便は満席だというし、ここは潔くホテルに
引き返すことにした。
電話でホテルを同じ割引料金で予約し、タクシーを拾って戻る。ビジネス・ラウン
ジ嬢が驚く。今朝チェックアウトした人間がもう戻ってきたのだ。メールを
チェックし、部屋からHISに電話した。ビザは彼ら経由でも二日かかるとい
う。今日一日が無駄になったから4日間のうち2日が消えるとなれば残りは1
日、日帰りで消耗したまま東京に飛ぶことは出来ない。今回は諦めた。次回、リ
エと行こう。HISからベトナム航空に払い戻し請求をしてもらうことにする。
インド人のHIS社員がホテルまでチケットを引き上げに来てくれ、受け取りを
発行した。
いずれにしても、金、土、日とシンガポールで過ごすつもりはない。インドネシ
アのリゾート、ビンタン島で休むことに決めた。
日曜夜の東京フライトまでを有効活用しよう。
方策が決まったので荷を解いてバスタブに湯を溜めた。
とんだ一日だった。
東欧やロシアを旅行した時はビザで悩まされたものだが、忘れていた。ベトナム
はまだ数少なくなった社会主義国の一員なのである。参った。
寝不足でもある。





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