戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年6月15日〜18日


2002年
6月15日(土)

香港名物、ドラゴン・ボート・フェスティバルは見に行かず、出社して仕事してから
九龍半島を歩き回った。凄い。どこまでも中華街が続く。当たり前なのだが、不思議
だ。
広東語のテープを聞く。
イングランドとデンマークの試合を見た。

6月16日(日)

スペインVSアイルランドを観戦。
近所のJAZZライブハウス「ブラウン」というのを探したが、見つからない。通行
人に聞くと、生粋のアメリカ英語を喋る香港人が一緒に探してくれた。
店は潰れていた。
親切にも別の店を教えてくれようとするが、疲れたので一緒に一杯と誘って飲んだ。
彼女は太った香港女性で30代前半といったところか。カナダに留学していたのだと
いう。先生で、教育学なんかも深くやっているタイプ。「結局、教育で大切なのは愛
情。たとえ鍵っ子だったとしても、親が十分に愛情を注いでいるコは大丈夫。ウチの
クラスに非常にいいコがいたけど、彼の両親は高度なプロフェッションに従事する忙
しい人たちだったんだけど、子供へはキチンとコミットしていたから、とっても良く
育っていたわ。一度、両親が海外出張を子供の発表会のために延期して出席したこと
もあった。彼はそれを知っていたし、非常に喜んでいた」
「教育の要諦は?」と僕は訊いた。
「Firm(揺るぎない) Friendly(フレンドリーな) Fairness(公正さ)」
「それは企業なら管理職が心がけることに聞こえるな。人間全般のコミュニケーショ
ンに言えるだろうね」
「その通り」
「それは3Fとかって教育の本に書いてあったの?」
「いえ、ある人が言ったので覚えていただけ」
という経緯でこのHPに日本語で記載された。

6月17日(月)

ミーティングが離れた場所であり、オフィスを出たり入ったりしていた。
ブラジルVSベルギー戦を見る。
ベルギーも健闘していた。日本は随分とレベルの高いチームと互角でやりやったのだ
な、としみじみ思った。
しかし、リバウドとロナウドにやられた。
香港人は全員ブラジルをサポートしていて熱狂していた。

6月18日(火)

朝、家の用事を済ませて出社。14:30で中断して日本対トルコ戦を観る。
雨がひどい。日本選手の動きがチュニジアの時より鈍く見える。
前半、トルコのモヒカンにゴールを取られた。ヘディングだ。
日本は劣勢ではなかったが、ミスが目立って挽回できずにタイムアウトとなった。
残念だ。
32位で3戦連敗と覚悟していた当初から比べてベスト16位に入ったのだから良し
とすべしだろうが、力量にそれほど明らかな差はなかったから、時の運だ。
ベスト8位に入り、イスタンブールは揺れているだろう。トルコを旅行していると、
どこのカフェやパブでも男達はトルコ風コーヒーかラキという強い酒を飲みながら
サッカーを観戦していた。トルコでは男達の最大の娯楽ではないのかな。ということ
は、史上最大の大騒ぎが展開されているということだ。
でも、日本がぱっとしない負けかたをしたことで何か釈然としなかった。
そして夜、気分の塞いだまま韓国VSイタリアを見た。日本と同様先取されたまま続
き、ほとんど諦めていた時に、何と後半の3分くらいで同点に持っていったではない
か。凄い。このファイティング・スピリットには脱帽だ。そして延長でまたキムタク
顔の安貞桓がゴールを決めた。彼は超アイドル系で小柄なくせに凄いプレーをする。
国民的英雄で、奥さんは韓国のミスユニバースだという美男美女カップル。そういう
情報は香港のパブにいた韓国人サポーターに教えてもらった。彼らは韓国にいるよう
な迫力でサポートし、感動で泣き出し、僕も抱きしめられた。
韓国人パワーに日本は負けている。
今回はソウル・オリンピックよりもポジティブな効果を韓国経済に与えるだろう。と
にかく凄い国になった。
僕らが今日の日本戦でこれだけ大騒ぎできなかったのはやはり残念。
そういえば、関係ないが、イタリアも韓国も料理のとびきり旨い国であった。
知り合ったばかりの香港人が23:30に仕事が終わってバーで集まっているという
ので僕もオフィスに戻って23:00まで仕事してから集合するつもりだ。
韓国VSスペイン戦はどうなるのか?





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