戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年3月29日〜3月31日


2003年
3月29日(土)

リエと朝食を二世帯住宅の二階で食べる。
ご飯、明太子、芥子菜、べったら漬け、そして美味しい味噌汁。旨い。
この南瓜の味噌汁をおかわりした。満腹である。
正午には家を出る。
リエ・パパの運転するMAZDAでドライブ。
途中、「リンガーハット」で昼食。当然、長崎ちゃんぽんである。
自分が運転していないし、土地勘の全くない道だが、多分、小倉−椎田道路−中津−
宇佐、宇佐IC−日出JCT−別府ICと周って頂いたのだろう。九州の高速道路は非常に
立派でヨーロッパのアウトバーンに匹敵する。山々の景観は素晴らしく、スコットラ
ンドのように荒々しく広大だ。
驚いた。
僕は、別府は初めてだ。
別府駅の南側は昔ながらの温泉街で、北側は非常に整備された町並みとなっている。
リエ・パパの会社関連のホテルに泊まり、夜は地元の料理を出す店で家族四人、食事
した。
リエが温泉に入っている間、温泉街を一人で散歩してみた。
歓楽街のちゃんとあり、フィリピン人ホステスが客引きをしていた。古本屋が一軒
あった。
温泉に入ってから就寝。

3月30日(日)

朝、目覚めてから、リエは当分寝ているだろうから、別府タワー横の突堤に上がり、
一人で海辺を歩いた。
やはり駅の南側は本格的な温泉街だ。
駅の北側に足を伸ばす。
と、別府公園に出た。
驚くほど立派な公園だ。昨日ドライブしてきた限り、別府周辺は自然が非常に豊か
だ。どうしてその上にこれほど立派で人工的な公園を作ったのだろう? 立派な公園
を作るというのは素晴らしいことだが、どうして大分はこんなに金持ちなのだろう?
 高速道路も立派だった。東京在住サラリーマンの税金の再分配がここに来ているの
か? だったらセコい公園しか持てない上に、セコい公園が人だらけの東京人は割を
食っている。
桜が咲いているが、ここは誰もいない。朝だということもあろうが、この辺は自然に
恵まれているので、こんなロンドンのハイドパークみたいに立派な公園があっても地
元の人はそれほど有難いとは思わないのではないだろうか? もう僕は東京都民では
ないが、東京のサラリーマンがこの公園を見たら激しく嫉妬するだろうと思う。人口
13万人の別府市にそんなに税収があるとも温泉がそんなに儲かるとも思えない。
誰か、このカラクリを教えて欲しい。日本の各地には馬鹿でかい駅ビルや巨大でモダ
ンな公民館があるが、どこからそんな金が出てくるのか謎だ。別府公園だって、何十
億円もかかっただろう。羨ましい。ここに住みたい。大きな書店もある。生きていけ
る。
ホテルに戻ると、リエはまだ寝ていた。
温泉に入る。
戻るとまだリエは寝ていた。
リエ・パパとママから「いい加減に起きなさい」と催促電話が入り、彼女もようやく
起きた。
帰りは最短の別府IC−日出JCT−湯布院IC−鳥栖JCT−福岡ICというルートで福岡に戻
り、僕とリエは天神で降ろして頂き、デパートと書店巡りをした。
ダイエーで8000円のスーツが売っていると福岡のTVCMで見たので買ってし
まった。アイロンなして皺が消えない、という、とんでもない代物。裾の直しはその
日に出来てダイエーは夜の12時まで開いているという。デフレと人余りで、めちゃ
くちゃな時代だ。バブルの頃、ソフト・スーツに十万円以上払っていた事が信じられ
ない。中国ルートの安スーツと、真夜中まで働く従業員。日本もどんどん変質してい
く。
デパ地下で飲み物や食べ物を買ってからリエ・パパ&ママにも集合して頂いて西公園
でお花見する。
僕は帰りにダイエーに寄ってスーツを取ってくる。

3月31日(月)

7:00には起き、風呂に入り、支度する。
布団を片付け、タクシーを拾い、福岡国際空港へ。
香港に飛んだ。
CXのスチュワーデスのほとんどがマスクをしていた。SARSが広まっている。
香港に到着するとやはりマスク人口が増えていた。




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