戸田光太郎の2000年日記
- 2000年3月10日其の1
2000年
3月10日(金)其の1
- シンガポールに来てから初めて、本日は朝6時まで眠れた。
でも頭が痛い。二日酔いか。ミニ・バーのウィスキーを端から空けていたのだ。風
呂に入り、9時半にコールを頼み、眠る。
9時半にコールが来るがまだ眠い。これが朝食の最後のチャンスなのだが、眠る
ことにした。花より、団子。団子より、睡眠。11時にコールを頼む。
11時にようやくグダグダ起きる。
テレビ局の上級副社長Cに電話する。
「君は是非とも我が社に来てもらいた」と言われた。「ちょっと今、出張するんで、
給料交渉は月曜日でいいかい?」
受け入れられたわけである。1月12日の「宣告」から数えて2カ月目で光が見え
たことになる。しかし、契約を交わすまでは油断できない。
我々の仕事では大きな契約を受ける時はサインを取るまでは油断できない。95
%まで順調に推移していても、最後の5%で失敗すれば、95%の努力は無いに
等しい。95%で油断する者は全てを失う。5%の差を詰めるには、押したり、
引いたり、と油断は出来ないのだ。
僕は、取り敢えず、ロンドン朋友Tさんに頂いた英文転職マニュアルの「給料交
渉」の項目だけバインダーから外してシンガポールに持参していたのだが、どうも
これだけでは心もとない。
早速ロンドンに電話した。英国人元上司Sに電話して首尾を説明し、礼を言い、
給料交渉の極意を聞いた。
それはまあ、微に入り細に穿ち、的確なアドバイスだった。
やはりアングロサクソンの考える転職や給料交渉はシビアだ。
勉強になる。
八十歳くらいずっと勉強を続けていけば賢人になれるのだろうか?
シンガポールの旅行代理店経由でインドネシアハビンタン島のリゾート・バンガ
ローを電話予約した。クレジット・カード番号を伝えて支払う。バウチャーをホテ
ルにファクスしてもらった。
これでよし。
ゆったりと荷造りした。
スーツ、ネクタイ、シャツやバリーの靴など、リゾート地に不要な物は出来るだ
け外したい。
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