戸田光太郎の2000年日記
- 2000年1月30〜2月1日
2000年
1月30日(日)
朝、紅茶を飲んでから一冊読む。宮智宗七著「帰国子女:逆カルチャーショックの
波紋」。△。日本社会の嫌な面を思い出した。異質なものを弾く均質社会。僕は十
分、異質になっているだろう。忘れていた。
新しい本への文章を書く。月刊誌「オートファッションIMP」の連載コラムも書
いてメールする。
リエはイスラム美術の勉強。マムルーク朝時代の貿易を調べて論文を書いてい
る。そういえば昨日アラブ人街に行った時、「ハラル・フライド・チキン」という
KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)みたいな店があったが、「ハラル」と
はイスラムの祈りを捧げたという意味だと彼女が教えてくれた。ふと見るとその
辺のレストランも肉屋も「ハラル」と看板に謳っている。どこも御清めした肉を出
すのだ。
敬虔な宗教心というのは美しいと思う。
1月31日(月)
原稿書き。執筆だけの生活は自分には出来ないと思う。
「ジャパン・プロブレムの原点」中谷巌を読む。○。
山本七平「日本人とは何か。」の上・下二巻を斜めに読む。○。
2月1日(火)
東京のヘッドハンターから電話。担当の英国人向けに英文の解説を書いて電子
メールした。
と、その画面に「米資系食品会社」の元同僚Aからメールが入った。
- 光太郎、いろいろな所に履歴書を流している。
その際、光太郎の事をこう描写している。(今年、家族の都合で日本に帰って来
る事になった事を前提に)「そうですね、彼は10年の欧州生活を通して諸外国
と新しいビジネスを創り出していく、ということを経験しています。当然、デリ
ケートな交渉術や契約書にも精通しています。このように個人単位でトラックレ
コードを残せる日本人は外国人の上司からは信頼されるタイプではないでしょう
か。ポジションとしては日本でビジネスを軌道に乗せたいと考えている外資系の
日本支社長などがあっているような気がしますし、本人は新しいことにチャレン
ジしたい、と考えているようです」
これくらいのことは言わないと興味は持ってもらえないのだ。では頑張ってく
れ。(俺も光太郎を紹介してたら反対にいろいろ仕事を紹介されている。)
では。
A
- むむ。有り難い。感謝してる。
昔、Aとバンドをしていて、それは新宿のライブハウスの解散コンサートで終了
した。彼はまだ続けているらしい。東京に行ったら仲間に入れてくれないかな。
MCでもいいから。新宿のライブハウスの時は、脚本を書いてMCしながらボー
カルして、尚且つ、ステージを降りて皆にお酌して回ったので忙しかった。
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