戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年4月17日


2003年
4月17日(木)


早朝出社して、出来るだけ午後までに仕事が終わるように集中する。今夕カトマンズ
に向かうのだ。今年のイースター休暇はネパールで過ごす。
同僚の女性人に言われた。「戸田さん、慌てて空港に走り込んでは駄目よ。体温が上
がって出国できなくなるから」
全てを終えていったん帰宅し、14:15頃リエとタクシー空港特急の香港駅に向か
う。
この駅ではそのままチェックインすることが出来るのだが、係官にSARS検査をさ
れた。つまり、こうだ。メタリックな、携帯電話の先から枝が伸びたような形の器具
を突きつけられる。その枝部分を僕の耳に突っ込むのだ。体温計である。ピッとラン
プが点いて平熱だったらしい、二人とも解放された。
これで同僚の「戸田さん、慌てて空港に走り込んでは駄目よ。体温が上がって出国で
きなくなるから」の意味がようやく本当にわかった。
王立ネパール航空のカウンターでチェックインする。担当はCXのグランド・ホステ
スだった。
列車で空港に行き、香港500ドルをATMで引き出したが、ネパール通貨のルピア
には両替できないことがわかった。その会話を近くで聞いていたターバンを巻いたイ
ンド人みたいな男が「俺が個人的に両替してやってもいいぞ」と笑ったので、それは
断った。
飛行機は出発が遅れた。
三人座れるシートの窓側がリエで真ん中が僕、そしてその隣の通路側がSARS防止
マスクをした香港人女性だったのだが、体調の悪い僕がクシャミ、咳をしては鼻をか
むので、そのたびに彼女は震え上がり、身を捩って自分の顔を通路側に向けていた。
気の毒なことをしたが、満席なので彼女も逃げ場がない。僕がクシャミ、咳をしては
鼻をかむたびにリエも、「ほら、あの人が可哀想じゃない。逆の立場が戸田ちゃん
だったら、あなた、とっくに切れて文句言ってるわよ」と怒る。でも、僕の症状は変
わりようがない。すまぬ。
19:00を回ってからようやくカトマンズの空港に到着した。東京より3時間15
分という半端な時間で時差がある。今、東京は22:15を回っている。
空港出口には人が詰め掛けていた。
「インドみたいだな」と僕。「いや。インドの方が皆の服装がぼろぼろだな。こっち
は身なりがきちんとしている」インドの空港構内にはエアコンの涼しい空気を求めて
出迎えでもない有象無象が大群衆を成している。カトマンズは控えめだった。
「イランみたい」とリエ。「イランもこんな感じよ」
まだ現地通貨もない。ホテルも予約してない。タクシーにも乗れない。が、20年前
に真夜中に到着したデリーでもそんな状態だったことを思い出す。
うまくしたもんで、空港出口と出迎え群集の間にホテル案内所があった。
そこの係員の表情を読みながら騙されないように交渉し、T地区のホテル「マナン」
をタクシーの足つきで45ドルで手配した。かなりボラれたのだろうが、まあ、初日
は金銭感覚が掴めなくて勝手がわからないから、良し、としよう。
山っ気たっぷりの英語の達者なガイドが助手席に乗り、ボロ車が走り出した。
夜の闇にぽつぽつと明かりが点り、往来が見える。
人々の服装はぼろではない。きちんとしている。宗教的な背景があるのかもしれな
い。
暗い通りに、明かりをつけた小さな店が点在する。間口一件くらいの店が並ぶ。缶
コーラなど清涼飲料を積んだガラスケースで民族衣装を着たおばさんが店番している
ような店。ブリキの缶を積んだ店先で頭に布を巻いた老人が所在無げに座っている
店。果物を並べた店。どれも裸電球に浮かんでいる。
「お店が可愛いわ」とリエ。
民族衣装を着たおばさんも所在無げに座っている老人も自分の店が「可愛い」と言わ
れるのは不可解だろう。
旧市街に入った。
商店の光が明るく洗練されてきて、西欧のヒッピーが増えた。
インターネット・カフェがある。日本の書籍を売る古本屋までがあり、驚いた。
物価が安いので長期滞在型日本人がいるらしい。
ペーパーバックの古本屋もそこらにある。長期ドロップアウト型バックパッカーが多
いのだろう。
チェックインしても運転手とガイドがまだロビーに佇んでいた。
「まだ両替してないから」これは本当だ。空港からそのまま来てしまった。「チップ
はない」
「ここで両替できる」とガイドは言った。
「ごめん、今は一刻も早く部屋に荷物を落としたい。この埋め合わせはいつかする」
僕とリエは部屋に入った。まあまあ、の中級ぼろホテルだ。荷物を落としてそこらを
歩いた。
店はほとんど閉まりかけている。
カトマンズは眠るのが早いようだ。
諦めてホテル「マナン」に引き返し、地下のレストラン「ジュエルズ・オブ・マナ
ン」で食事した。
客は我々だけ。
僕はネパール人の「味噌汁と飯」とも言える「ダルバート」を注文した。ダル(豆
スープ)、バート(ごはん)、タルカリ(野菜のおかず)がネパールの基本3点だそ
うで、僕のは、つまり、豆カレーかけご飯、である。リエはタルカリ(野菜のおか
ず)が数種類付いたセット。ビールも頼んだ。銘柄はなんと、1873年にデンマー
クで生まれたTUBORGである。
旨い。油が多く使われているのだろう、非常に満腹となった。
到着第一日目はこのまま部屋に戻って休んだ。







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