戸田光太郎の2000年日記
- 2000年2月2日〜4日
2000年
2月2日(水)
レスター・サローの文を読む。アメリカは社会階層の落差が広がって中産階級が打
撃を受けている、というもの。
文章を書く。僕は一日せいぜい400字詰め換算で20枚が限度。それで割とヘ
トヘトになる。平均15枚として300枚書くのに20日間か。書き直したりで
30日。
リエと「タクシー・ドライバー」を見る。1976年度。あの当時、このチンピラの
ハーヴィー・カイテルがプロデューサーとして活躍すると想像した人は皆無だろ
う。夜景の映像が美しい。☆。
2月3日(木)
日本とロンドンからの局長攻撃が功を奏す。コンサルタントとして短期で旧職場
の人間と在宅で働く。
東京にいるアイルランド人のヘッドハンターから電話があり、話す。Aの仕込み
だ。
元上司Sからも電話とメール。
リエとクィーンズウェイに出て「マンダリン・キッチン」で食事。ホット&サワー・
スープ。蒸し貝柱。名物ロブスター・ヌードル。アスパラ。酢豚。アンニン豆腐。
ショッピング・モールのホワイトレーを覗いて、スターバックスでカフェラテを飲
み、ベイズウォーター駅から帰還。
2月4日(金)
東京と局長対策。
「日本型悪平等起源論」島田荘司と笠井潔の対談。◎。良かった。二人とも、その
辺の大学教授よりインテリで問題意識が強い。これを読んで日本人の、強烈な嫉
妬、陰口、追従、土下座による責任回避とその反動の威張り散らし、という極端
な心性を思い出してしまった。何があったのかは知らないが、特に島田の指摘は
痛烈である。
そう言えば、日本はそんな感じだったな、と改めて思いだし、慄然とする。
HP読者より、東京のヘッドハンターの紹介があり、履歴書を送っておく。
ピカデリー・サーカスでリエと待ち合わせ、お洒落して「与志野」に行くが、ラスト
オーダーでアウト。金曜日だというのに、早い。「祭」までジャーミン通りを歩い
て寿司を食べる。
握ってくれた橋場光男さんと話すと、「斉藤庵」の斉藤さんとか「お多福」の辻さん
とか、「浅草」の岡野さんとか、皆、繋がっている。一番良く行く「大ちゃん」の森
本さんは知らなかったが。
世界は狭い
Behave yourself!
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