戸田光太郎の21世紀的香港日記 2004年

2004年2月16日〜3月12日


2004年
2 月16日(月)

シンガポール本社ビルに行く。
10:00から社内会議。11:00からまた別の会議。
13:30から新人(インド人)をトレーニングする。
15:00からもう一人の新人を教育。
18:40のCX便で香港に帰る。

2月17日(火)

09:00にシンガポールと東京と香港の僕とでコンフェレンス・コールする。
社内で色々と処理。
2月18日(水)
忙しく過ごす。

2月19日(木)

香港オフィスの一日。
夜、白菜豚を作って食べる。
以下はそれに関する記事原稿:

「料理の世界、世界の料理」1  「ゲルマン流白菜豚:ドイツと中国、微妙な関係」

天安門事件の前から北京に通っていたNさんと話をしていたら、彼女の持つ北京のイメージは白菜だと言われた。高層ビルの立ち並ぶ現在の北京に白菜は似合わない。
「ほんの十数年前だけど、全く違う国みたいよ。目抜き通り以外はどこも泥道で平屋ばっかり。老人が道端で将棋をやってたり、ぼーっとしてたり、鶏が歩いていたり。家は瓦屋根で土壁の長屋。軒先には白菜がぶらさがっていたわ。北京はそういう白菜のイメージ。冬の保存食らしいわね。あそこから現在の北京への変化というのは異常な感じがするわよ」
どこかで急成長の負荷が病理を生んでいるに違いない。
 さて、白菜はドイツの植民地だった青島から生まれたという。確かに今回紹介する料理は一見ドイツ料理風である。名付けて「ゲルマン流白菜豚」。出来上がりは非常に手の込んだドイツ料理風。そして極めて美味い。しかも、料理とは呼べないほどに簡単である。見た目が立派なので、とても料理が出来ない人間の仕業とは思えないところがトリックで、女性はこれで男性をイチコロに出来る。本コラム男性読者諸氏は種を明かすから大丈夫。イチコロにされずに済む。
 材料はみっつ。白菜と豚の挽き肉と塩だけ。
 鍋に深鍋でもフライパンでも圧力釜でも蓋があればいい。蓋がなければ合う皿で蓋をすればいい。鍋の内側に満遍なく、ただし、薄く油を引く。キッチンペーパーでやってもいいし、指で伸ばしてもいい。
 そして白菜を一枚一枚鍋の底に敷いていく。形が鍋底に合わなければ千切って並べる。こうして底が見えなくなったら、今敷いた白菜の上に挽き肉を擦りつけるように薄く々く延ばしてカバーする。これを厚くすると加熱した後に白菜の存在が希薄になるので、出来上がりが肉ばっかり、という感じになるので薄くするのである。で、この上からさっと塩を振る。お勧めは、ほら、イタリア・レストランなんかでガリガリと塩粒を砕きながらかける方法で、これだと均等に薄くかけられる。この手の簡易ガリガリ塩はスーパーで売っている。一つあれば便利だ。
で、これで第一の工程は終わり。次にこの塩のかかった豚の上に白菜を敷いていく。第一工程の現場をこうしてカバーしたら、白菜の上に挽き肉を擦りつける。そして塩を振る。これを繰り返す。白菜の上に挽き肉を擦りつけ、塩を振る。白菜、豚、塩。楽しい作業である。遊んでいるみたいだ。これで鍋の上までたどり着いたら、深鍋でもフライパンでも、蓋をして弱火に載せる。
ここが今回、最も重要なメッセージだ。弱火でなければならない。強火にすれば全く違う料理になってしまう。だから白菜、豚、塩の作業が終われば弱火でひたすら待つべし。
 鍋によって時間が違うようだが、一時間くらいこれをやる。と、白菜から水分が出て、豚肉と塩とで絶妙のスープを勝手に作ってくれて、「ゲルマン流白菜豚」が自然発生しているのだ。
 縦十字に切って皿に盛ると、断面から白菜と豚挽き肉の層が幾重にも見えて、ティラミスかバームクーヘンのように美しい。これを見せられると非常に手間のかかる料理に見えるが、鼻歌を歌いながらでも出来るのはご承知の通り。何も手を加えず、固形スープなども入れていないのに、自生したスープは芸術的に美味しい。若い男性が女性からこんなものを作られた暁には、給料の三か月分を貯めてアフリカ産の鉱石を購入して平れ伏すだろう。将来、彼女が毎晩「ゲルマン流白菜豚」を食卓に載せるタイプの同居人だと判明しても、手遅れである。無知は不幸の源泉なり。
 好みによっては、皿に盛る前に、酢をたらすのもよし。縦十字に切った「ゲルマン流白菜豚」の上にパラパラと針状に切った生姜を掛けるのもよし。いや、生姜は是非かけて欲しい。
 さて、本当にドイツに白菜があるかというと、中華食材屋に置いているのが一般的だ。彼らはキャベツ文化圏にある。キャベツ料理の美味しいところもいつかご紹介したい。今回の料理は古澤寿子という天才的なシェフが開発した。私の妻は古澤寿子の娘である。で、私が妻から学んで「ゲルマン流白菜豚」と名付けた。似たものに浅井慎平という写真家が開発して宇野千代が「私の長生き料理」に載せたヴァージョンがあるが、こちらは薄切りの豚を使っている。香港で入手し易いのは断然、豚挽き肉なので、お試しあれ。青島生まれの白菜はビタミンC、カルシウム、鉄やカロチンが一杯で、豚はビタミンBの宝庫だ。風邪も治る。いいこと尽くめだ。

これは新連載となる。

2月20日(金)

朝の3:30にリエも僕も目が覚めた。豚肉はくさいパワーだろうか。
リエはコーラの大瓶を空け、僕は起きて読書した。
猪瀬直樹「黒船の世紀」を読み終わる。△。前半がめっぽう面白かったのに後半失調している。川端康成と大宅壮一を描いた「マガジン青春譜」も尻つぼみだったから、この人の欠点か。道路公団も追及が緩むのではないか。太宰と三島の評伝は上出来だった。
続いて谷沢永一の「回想 開高健」を読む。△。著者が開高を愛していたことがよくわかる。そして妻の牧洋子を苦々しく思っていたことも。一番作家として油ののっていた時代が抜けていてつまらない。
と、6時に近くなってしまった。もうすぐ出社だ。一時間だけ眠って出社。
09:00からシンガポールの英国人上司と電話で話す。1時間半も喋った。

2月21日(土)

本来は昨日は台北に移動してGALAパーティーの記者会見で今夜が本番だったのだが、4月3日に延期。
香港の週末となった。

2月22日(日)

休む。レバニラと白菜豚と納豆ご飯を作る。旨い。
今日は結婚記念日である。
夜の便でシンガポールに飛ぶ。

2月23日(月)

09:00、シンガポール本社に顔を出す。
10:00から社内会議。引き続き11:00から社内会議。

2月24日(火)

09:00、会議。
10:00に某社と会議。
13:00に社内で制作部と打ち合わせ。
14:00から新人教育。
15:00には社内でマーケティング部門と打ち合わせ。
18:40の便でシンガポールを出て香港に戻る。

2月25日(水)

香港オフィス出社。
お昼はOさんとする。一つビジネスが流れてしまう。
一日オフィス。

2月26日(木)

香港オフィス。

2月27日(金)

仕事がはねてから日系週間新聞の編集者と話す。
夜、リエとエクセルシオール地下のスポーツバーで待ち合わせ、先に到着した僕はパイントのビターを飲む。
リエは遅れて到着。相変わらず美しい。彼女は赤ワインを注文した。
隣のワールドトレードセンターに移動して、『とん吉』で僕は味噌カツ。リエはミックスを食べた。
イタとまの本屋に寄る。蕎麦の話の本を買った。
家に帰って、赤ワインを飲みながら借りてきた「カノッサの屈辱」を見た。懐かしい。

2月28日(土)

朝起きてから蕎麦の本を読む。
餃子を作り、餃子についてのエッセイを書く。

2月29日(日)

ラム肉を調理し、ラム料理について書く。
全て『週間香港』の新連載エッセイのため。
酔っ払う。
白菜豚を作る。

3月1日(月)

シンガポールとTV会議する。
アカデミー賞の発表があった。
たそがれ清兵も最後の侍の渡辺も外れてしまって残念だ。

3月2日(火)

制作部と打ち合わせる。
夕方16:15の便で香港を出る。
21:05に成田に着き、都内のホテルにチェックインしたのは23時過ぎ。
体に悪いとは知りながら、韓国家庭料理の店に入る。

3月3日(水)

朝は8;30に出社。準備。
9:30に九段の会社で打ち合わせ。
それから恵比寿のスタジオでの撮影に合流。シンガポールの制作チームやインドからの司会者達が日本が楽しくて浮かれていた。
会社へ戻る。
また5時過ぎにスタジオに立ち寄る。
Tさんと夕食する。
真夜中にラーメンまで食べてしまった。
いかん、いかん。

3月4日(木)

早朝、上司の英国人二人が成田に到着した。
9:00に広告代理店と打ち合わせ。
11:00に英国人二人を入れてN社長と延々会議。
17:00に六本木で会議。
19;00には夕食。
六本木のグランドハイアットに移動して宿泊。

3月5日(金)

9:40に広告代理店と打ち合わせ。
10:00に自動車会社と打ち合わせ。
11:00に再び広告代理店と簡単に打ち合わせ。
13:00に別の広告代理店で打ち合わせ。
15:30また別の自動車会社と打ち合わせ。
17:45に湯島へ戻る。
六本木のグランドハイアット宿泊。

3月6日(土)

早朝にシャトルバスで成田に向かい、10:55のCXで香港へ飛ぶ。
15:10香港着。

3月7日(日)

休む。

3月8日(月)

一日香港オフィスにいる。

3月9日(火)

香港オフィスから出て16:40の便で大阪へ飛んだ。
この関西国際空港とやらが、やはり頭に来るほど機能してない。成田も馬鹿空港だが、ここはそれより酷い。
21:00に到着すると交通機関が限られていて、大阪市内に出るまで3時間近くかかる。全く馬鹿げている。僕は日本人だから色々と人に聞いてどうにか辿り着けたが、外国人なら、どうしていけばわからなくて3時間どころではないだろう。不親切極まりないし、何も考えないで作った空港だ。
池田のホテルに泊まる。


3月10日(水)

10:00に打ち合わせ。
13:00には中央区で打ち合わせ。
15:00には守口で打ち合わせ。
18:25には大阪を離れ、台北に飛んだ。
20:40には台北に到着する。
明日のミーティングが空港の近くなので台北市内には入らず、そのままCKSエアポート・ホテルに宿泊。
これが、まあ、最低のホテルだった。台北での定宿はFAR EASTERN HOTELで、こちらはとてもいいのだが、CKSは気分が滅入るホテルだった。

3月11日(木)

ホテルの朝食は最低。わけのわからない偽西洋朝食で口に入らない。
東京から緊急の電話が入る。某社の台湾オフィスと連絡するよう大阪から指示がありアポを取る。
タクシーで移動。
10:00に日系の自動車会社の人々と打ち合わせ。相手は台湾人ばかりだが、英語が出来る人々なので問題ない。
打ち合わせの後で台北市内に入り今朝アポを入れた会社とミーティング。
空港に引き返して台北を発つ。
香港に到着したのが19:00過ぎだ。
くたくたである。
香港オフィスに行く。
もう誰もいない。
秘書嬢Mが取ってきてくれた明日からの旅行パッケージが机の上にあった。
明日からタイのコサメット島でゆっくりするつもりだ。
出張中に溜まっていたメールを処理していると夜10時近くになってしまった。
タクシーで帰る。
リエが夫の帰宅に喜んでいる。明日からの旅行も非常に楽しみにしている。彼女の喜ぶ姿を見ていると嬉しい。
二日間で大阪と台北を回った疲れも我慢できる。
ほとんど毎日、空を飛んでいる。
明日はバンコク、翌朝13日にコサメット島でリゾートし、15日にバンコクに戻って16日の便で香港に戻る。その週末はマレーシアでF1のグランプリだ。22日からはシンガポールで24・25・26日は東京、4月2日からは台湾に飛ぶ。4月9日から12日はイースターだし、5月には日本のGWがある。6月5日はロンドンに行くことになるだろう。それで半年が過ぎてしまう。コサメット島のリゾートでは、ゆっくりと、これからの人生を考えなければならない。細切れに忙しい時間が多すぎる。
リエが日本蕎麦を作り、夜食とする。
食後に仕事して書類をシンガポールにメールした。これで明日から休める。いや、携帯は持っていこう。

3月12日(金)

ゆっくり起きて夕方16:00のCX77便でバンコクに飛ぶ。
バンコク着は19:45である。
タクシーで市内のちょっと古ぼけたホテルに宿泊した。






 
 

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