戸田光太郎の21世紀的香港日記 2004年

2004年1月11日〜1月31日


2004年
1 月11日(日)

起きてから空港に向かった。
11:05の便で飛んで13:30にタイのプーケットに到着。ここで合宿がある。
いやあ、いきなり天気がいい。運転手が出迎えてくれる。
ダッシュボードの上にはワット(お寺)とハーレーのプラモデルが置いてあった。
クラブメドに到着すると赤ワインを飲んだ。
ちょっと外れの広い部屋があてがわれる。
17:30から集合して大きなバスで移動した。
ボートに乗って海に出る。ビールやワインと食事。
夜の海が気持ちいい。
ギター弾きがやってきて一緒に歌った。

1月12日(月)

9:00から会議。
18:00近くまで延々と会議である
シャワーを浴びて19:00に韓国人男性Aとオーストラリア白人男性Tと僕と三人の女性(タイ人のK、台湾人Tと上海から来たA)で町に出る。
タイ料理を食べてから買い物に。
それからLASASAというレストラン付のバーで飲む。テキーラなど。
スター・クラブというところで落ち合うとタイ人Kが連絡をして待つが、この巨大なクラブは空である。ビールを飲んで間もなく移動。
別の大きなグループと合流してメインストリートへ。オカマだらけの一体でズルズル皆で飲み続けた。

1月13日(火)

朝9時にチームメンバーと集まってプレゼンテーション作成。構成も考える。結局、優勝してアイ・ポッドをもらった。
夜はリエとも来たことがある有名レストランで。ロシア人の花婿と花嫁が友人たちと激しくイッキ大会をしていた。
ホテルで読書。この「国境の南、太陽の西」は12年前に初版で読んでいる。今回、プーケットのクラブメッドの図書館に置いてあったので読んでみた。と、一回目に読んだ時より遥かに面白かった。ちょっとあまりに村上節過ぎるところがあるのだが、そこを除けば、さすが上手い、と思った。でもこれだけ不況が続く現代日本ではこのストーリーはきついかもしれない。これを再読するきっかけとなったのはシンガポールの英字新聞のコラムで村上のこの作品への言及があったからだ。都市化の進むアジアでも村上は非常に受けている、とその女性コラムニストは書いていた。彼女は「海辺のカフカ」を読みたいのだが、まだ英訳が出ていないので、泣く泣く苦手な中国語版を入手して必死になって読んでいるのだそうだ。

1月14日(水)

朝7時起き。パッキングしてシンガポールに向かう。
オフィスに立ち寄り、サマセットの会社でミーティング。
ホテルでシャワーを浴びてちょっとNHK衛星放送を見た。
ハーグから日本とオランダの防衛大臣同士の話し合いについて中継が入っているのだが、アナウンサーのバックに映るオランダのハーグが、これはもう、ハウステンボスとかわりないのが不思議だった。
NHK陸自先遣隊が旭川からイラクに向けて出発した。
NHKの好きなタレント1位は、さんまで、これは6年連続だという。
女性では黒木瞳。宝塚の娘役からキャリアが始まり、娘であり恋人であり妻であり母親であり、瑞々しいところが理想なのだという。
若い方では矢田亜希子が人気である。清楚で理想的だということで、「誰にでも好かれたい」と考える女の子の幸せなビジョンを体現しているということで皆が彼女のファッションや髪型を真似しているという。この新旧二人が急上昇した。

1月15日(木)

シンガポールのオフィスで打ち合わせなど。
夜はビジネスディナーを日本人会のレストランで。ここは非常に外れた立地である。

1月16日(金)

シンガポールの会議室にはターミナルがあるのでインターネットを検索しながらクライアントを待った。
10:30からずっとプロデューサー達とクライアントとでミーティング。かなり色々と詰めることが出来た。
昼食はチャームズの中華、レイガーデン。
一人はそのまま空港に向かい、もう一人はホテルに。朝から延々5時間になる。
僕もチェックアウトして16:00に乗ろうとしたが乗り遅れ、次の18:30発CXで出発。

1月17日(土)

一日酔っ払っていた。疲れている。

1月18日(日)

9:05のCX504便で飛び、で東京着は13:55、ホテル・ニューオータニに入ったのは16:00近い。

1月19日(月)

7:30に起きて8時過ぎにニューオータニを出る。赤坂見附から銀座線に乗ろうとしたが、9時前にオフィスに着く。これだとシンガポールは8時前だ。
準備をしてから13:30に御茶ノ水でミーティング。次に日本橋浜町でミーティング。いったんオフィスに帰る。電話やメールをしてから16:00には品川区東大井でミーティング。それから17:30に渋谷でミーティング。
19:00にはオフィスに戻って面接。皆が強く推奨しているのだが、僕はピンとこなかったが、取り敢えず人は必要なので採用の方向で考えることにする。彼女の勤務していた企業が悉く潰れているのが気にかかる。僕は、超常現象は一切信じないタイプだが。

1月20日(火)

10:00に広告代理店と打ち合わせ。
12:00に古くからの知り合いとランチ。
15:00に光学機器メーカーと打ち合わせ。
夜12時近くに素材を手渡す。
17:00にはオフィスで着メロのダウンロード会社と打ち合わせ。

1月21日(水)

朝7時に起きてオフィスへ。11:00から三田で打ち合わせ。
14:00に広告代理店で打ち合わせ。
16:00には目黒で打ち合わせ。
夜はラーメンだけ。

1月22日(木)

旧正月。
休みだというのに朝7時に起きる。
18:30に成田を出て、香港着は22:35、一日は終わってしまった。

1月23日(金)

起きてSOHOのスターバックスへ向かう。営業していた。やはり客は旧正月の関係ない白人ばかり。僕はカフェラテとフィンガーサンドイッチを摂りながら宮本輝の「森の中の海」の上を読む。

1月24日(土)

一件、成約できた。
九龍半島の会所に行くが、閉まっていた。
電話で、英国人C。ブラジル人A、シンガポールのプロデューサーC、台湾のJ嬢、タレント渉外のOなどに電話する。中華正月、あけましておめでとう、と。

1月25日(日)

M.K.シャルマ著/山田和訳「喪失の国、日本」が、めっぽう面白い。久々の☆印である。日本人がインドに行くとパニックに近いカルチャーショックを受けるものだが、果たして逆にインド人が日本にどう逆カルチャーショックを受けるのか、という実験の書である。「実験」と書いたのは、この本がエリートビジネスマンの日本滞在記という体裁を取っているものの、ひょっとすると「訳者」である山田和の非常に巧妙な創作ではないかと思える節がある。創作といっても、何人かの在日インド人はインタビューして総合的に書いたのだろうし、その場合インドのエキスパートとしての山田和の考えは力一杯投入されている。「日本人とユダヤ人」を書いたイザヤ・ベンダサンと同じ手法だ。シャルマ氏が実在するなら是非とも会ってみたいが、いずれにしてもこの本は立派な文明批評の書として独り立ちしている。つまり、シャルマが書いたのであれ、山田が書いたのであれ、屹立している。超お勧めの文春文庫。
明日から禁酒で禁煙となる。

1月26日(月)

8:30に出社するもサーバーが壊れている。最近、メールが使えないと仕事にならない。進化したのか、退化したのか。
10:00シンガポールと会議。
11:00から引き続きシンガポールと営業会議。
12:00からまたまたシンガポールと会議。
夜はリエと「あ・うん」を見る。高倉健がいい。珍しくユーモラスな演技を見せる。

1月27日(火)

夜は「私房菜」と呼ばれるタイプの私的なレストランに集まった。同僚の香港女性HとJ。このJの恋人のアメリカ人でニュースキャスターのS。そして僕とリエ。料理は創作懐石というようなもので、非常にユニークで美味かった。食材は日本から空輸というようなものではなく、香港で手に入るものばかり。
英語が達者なオーナーのBは巨漢で我々と一緒に食べながら料理を説明してくれる。シェフは建築家で、食器置きも彼の設計だ。ロックミュージシャンのような出で立ちでデザートの辺りで現れ、色々我々と話した。
楽しい時間だった。一人、一万円ほど。ちょっと高いな。

1月28日(水)

お昼過ぎに香港オフィスで某社のGMを迎えて賑やかに会議。
夜、「シティースーパーで味噌を買ってきて」とリエから携帯に連絡があり、地下鉄で中環駅に出て、味噌、日本のソース、濁り酒、お茶のペットボトル、冷凍の日本蕎麦などを買ってエスカレーターで帰宅。
人参ジュース、トマトと卵のサラダ、七草粥、大根の味噌汁という健康メニューの夕食。

1月29日(木)

リエと朝、ジョギング。
秘書M嬢の待遇改善をシンガポール人事部と交渉。
採用しようとしていた社員が東京からメールを送ってくる。面接していた時に感じた懸念が全て出ていた。正月休み中の携帯での面接や後日東京での面接を経て、技能的には適任だと思ったものの、彼女の勤めた会社やアメリカの半官商業部門がいずれも閉鎖されるか潰れるかしていることは気になっていた。僕は超自然現象や迷信は信じないが、最後の社では彼女の上司が自然死ではない死に方を迎えている。
断りのメールを書いて、その草稿を東京のN社長に読んでもらう。自分が感情的になっているかもしれないからチェック機能が必要だったのだ。
「戸田さんの懸念した通りですね」と返事が来た。
「これを先方に送りたいのですが」とメールすると、「送りましょう」と返ってきた。N社長は僕よりちょうど10歳上だ。信頼している。
一応、人事部と直属の英国人上司に電話した。
「説得できないのか?」
「これは説得しないほうがいいと判断します」
「でも、適材だって言ったじゃないか、我々には時間がない」
「でも彼女を現時点で無理矢理説得して入れても後で摩擦はひどくなる」
「どうにか説得してくれ」
「人事と話して最初に面接した人、これは僕も気に入ったんですが、彼女は日本にいてシンガポールの親御さんに連絡しました。あとは候補をリクルートのエージェントから送ってもらっています」
香港オフィスのKと香港チャイニーズ男性VIPと商談。薬品の小売に関わる人なのでシビアではある。

1月30日(金)

どたばた働く。
午後に某社でミーティング。イギリスとギリシアとドイツにいた人。もう50歳を越えているだろう。本社機能の中では傍系に押しやられてしまった人に違いない。
黒澤明「生きる」をリエと見る。僕は5回目くらい。やはり、いい。

1月31日(土)

朝、リエと歩く。動物園と香港公園、そしてパシフィックプレイスをチェックする。
映画はつまらなそうなものばかりだった。





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