戸田光太郎の21世紀的香港日記 2004年

2004年1月1日〜1月10日


2004年
1 月1日(木)

紅白歌合戦が終わってから暗い中をリエと散歩する。近所の神社を回る。が、長蛇の列なので眺めて通り過ぎるだけ。大きな護国神社を見てから大濠公園を通って帰宅。
福岡のインフラは立派だと思う。
日のでは見ずに眠る。
リエ・パパの自動車でリエ・パパのそのまたママに会いに行く。
帰りに紅葉神社で落としてもらい、また長蛇の列なので眺めてから西新を歩き、BOOKOFFが空いていたのでまた本を買い込み、ガストでビールとワインを飲み、歩いて帰宅。
風呂に入って隠し芸大会を見る。堺正章がトリをやっている時にNHKで村上龍のインタビュー番組が始まったので僕は失礼して二世帯住宅の下の階のテレビでそちらを見た。
十数年振りに村上龍の「長崎オランダ村」を読む。○。やはり面白い。ハウステンボスは、リエ・パパの指摘通り、神近という人の発案だとあった。

1月2日(金)

リエ・パパとママが電話で起こしてくれて、パパの運転で福岡空港へ。
長々とお世話になりました。毎日の食事が美味しすぎて太ったようだ。
8:55のスカイマークで羽田に飛んだ。京浜急行で新横浜に出てホテルに泊まる。
リエはちょっと体調が良くない。
少し休んでテレビで小津の『浮草』を見たら面白くて最後まで見てしまった。VCDを持っているし、何度も見ているのに面白い。◎。
それから伊勢崎町に住む僕の両親に会う。
早い夕飯というか遅い昼飯を食べて色々なことを話す。
ホテルに帰って休む。

1月3日(土)

この新横浜のホテルが11時チェックアウトで、11時を過ぎるとがんがん電話がかかってきて早く出ろと五月蝿い。日本のホテルは忙しないな。旅館はすぐ布団を上げるし。のんびりできないのか。
金を払って出た。横浜アリーナでは嵐のコンサートがあるらしく、若い女性とダフ屋が多い。
新幹線で東京駅まで出て、そこから千葉、更に成田へ。
リエは疲れきって眠っていた。
駅を降りると成田山の参拝客でごった返していた。
旅館に電話すると歩行者天国で交通規制されているから歩いていくしかないと言われる。空車の列は長いのに乗っても無駄だというのだ。
スーツケースを引きずり、肩からリエの荷物を下げ、延々と人ごみを歩いた。ここを歩くだけでも困難なのに、難民ように大きな荷物と一緒だから体力には自信のある僕もほとほと嫌気がさしてきた。三叉路で旅館に電話して方向を確かめると、更に坂を下がった混雑の方角だと知った。弱った。
そこからは鰻屋が軒を連ねている。空腹にこたえる良い香りの煙がもくもくと立ち込めている。どの店も長蛇の列だ。
重い荷物、人ごみ、煙、空腹。
とにかく旅館に急いだ。
着くとむかっぱらの僕の第一声が:
「いやあ、ひどい目に会いました」
「一月は参拝客でこうなんですよ、いつも。お疲れ様でした」と従業員。
「明日はタクシーで成田まで行けますか? 今日みたいだったら死んじゃうな」
「飛行機は? 9時半までは交通規制もないんで」
「10時くらいの便ですから、出るのは8時かな」
「じゃあ大丈夫です」
チェックインまで30分ほどあるというので近くに昼食を食べに行こうとなるが、旅館の人は「川豊が雰囲気はいい。味はどこも似てる」とのこと。
ところが川豊は非常に混んでいるので道を反対に歩いていって当てずっぽうで空いている店に入った。これがやはり大外れ。「上」をとったのに不味い。残した。
旅館に戻ってチェックインする。夕食を早めに頼んで風呂に入った。女湯も男湯もリエと僕の独り占め状態でくつろげた。浴衣に着替え、熱燗を二合頼む。
テレビを見ながらちびりちびりとやり、「やっぱりいいねえ、旅館は」とまた熱燗を追加する。と、仲居さんが、「お二人ともお強いですねえ。じゃあ、ちょっと早いですけど、おつまみになるようなものだけ運びましょうか」と言うのでそうしてもらった。心づけも渡す。両親が旅館でそうやっていたのを子供の頃に見て真似ているのである。
突き出しの類から、刺身、貝のグラタン。旨い。熱燗とビールを追加。
「そろそろ出しますか」と仲居さん。
茶碗蒸し。天麩羅。鍋物。後から出てきた「食前酒」。ご飯。お吸い物。
アルバイト風の青年二人が布団を敷いた。
「やっぱり旅館はいいわねえ」とリエ。
僕は食後にまた風呂に入った。
戻ってくるとリエは眠っていた。
僕は電灯を消してテレビを見た。
それから掛け軸のところの明かりで読書した。

1月4日(日)

07:00のモーニングコールで起床。温泉に入り、リエも温泉に促し、パッキングしてから朝食を食べてチェックアウト。
車を呼んでもらって若松旅館を出る。朝9:30までは参拝客も少なく交通規制もなく空港に向かえる。
成田の案内でリエは福岡行きを調べ予約する。正月だから片道3万円以上もする。これは安いアメリカ旅行が出来る値段だ。
日本に残るリエに手持ち現金の全てと僕の持つ日本の銀行カードと暗証番号を渡し、彼女は国内線に向かい、僕は10:55のCX501便で香港へ。
15:00過ぎに香港着。
タクシーを拾って帰り、赤ワインを飲みながら高倉健『あなたに気に入られたくて』を読む。○。なかなかいい。人々が親切にしてくれることを何度も感動したと書いているが、(だって、そりゃ、あなた、健さんだから!)と突っ込んでしまった。
やはりリエがいないので寂しい。明日から禁酒しよう。

1月5日(月)

08:30からテレビ会議。お昼まで。
昼は秘書Mに焼き飯をとってもらう。
紅茶を飲みながら一日中連絡やメール。
胃がむかむかしてきた。
休み中に電話面接した採用候補を東京のオフィスで代理面接していただくと、非常に好評。すぐシンガポールの人事部とエージェンシーとに連絡し、手続きを促す。
夜遅くまで残って仕事し、オフィスの近くで中華料理(坦々麺と北京餃子)を食べるが旨くない。今日から禁酒なのでビールもなし。
一人の部屋でテレビを見ていると侘しくて酒が恋しくなる。
これをぐっと堪えて風呂に入り、寝巻きに着替えて延々読書した。ちくま文庫で「評伝・黒澤明」。著者は助監督だった堀川弘通。○。面白かった。非常に近くから黒澤を見ていた人で、あまり「天皇」視していないのがいい。

1月6日(火)

シンガポールとTV会議。皆、年初でエンジンがかかっていない感じ。
昼に香港オフィスのメンバーで飲茶する。わいわい食べるが、ちょっと皆、元気がない。年初は色々とやることを考えるとげっしょりしてしまうからだ。
オフィスに戻って僕は2004年に関する書類作成。
溝口健二監督「祇園囃子」を見る。○。面白い。溝口にしては軽い演出。先日、横浜でたまたま小津の『浮草』を見たが、若尾文子が更に若く初々しい。あねえさん役の小暮美千代もいいし、おかあさんの浪花千栄子の生々しさがいい。でも、皆、京言葉はインチキではないかな。本日もドライ。酒は飲まず。

1月7日(水)

忙しく過ごす。
2004年の書類を東京のNさんと話して纏める。
昼はDOMONで味噌ラーメンとカレーライスと餃子。若者のような食欲である。
午後にペニンシュラホテルのロビーでブラジル人Aと打ち合わせ。
フィリピンの系列局から来ていたCさん(三人の子持ちの中年女性)が香港は初めてだというので案内してあげると約束してまたオフィスに戻る。
彼女は酒も飲まず、お腹も減らず、買い物もしないというのでビクトリアピークまでタクシーで登り、夜景を見せてあげると喜んでいた。生憎、ちょっと曇っている。帰りはピークトラムに乗りたいというので乗った。そこでタクシーを拾って彼女をグランドハイアットに落とし、部屋に帰るとまだ夜の8時。何だか非常に疲れたので赤ワインを買ってきて飲んだ。DVDで黒澤の「赤ひげ」を見た。前半までにする。

1月8日(木)

2004年の書類を仕上げて送る。疲れた。今週の日曜日からタイのプーケットで会議がある。そこでもこの続きをやる。
昼はDOMONで味噌ラーメン。
出社するのはオフィスで一番早く、退社するのも今日も最後だった。
HMVで小津安二郎のVCDを買った。「麦秋」。彼の作品は劇場でほとんど見ているのだけど、何回見てもいい。
フェリー乗り場近くで中華料理を食べる。酢豚と鮭の焼き飯。一人で食べる夕食はつまらないものである。
香港島の夜景を眺めながらヴィクトリア湾を渡る。クリスマスのイルミネーションが外されて、ちょっと寂しい。
タクシーで家に戻り、「赤ひげ」の後半を見た。力強い時代の、最後の黒澤である。カメラワークがいい。加山雄三が非常にいい。◎である。「生きる」の系列のニューマン・ドラマである。続けて小津の「浮草」VCDをまた見た。よく出来ている。
寝る前に、都築政昭著「黒澤明と『赤ひげ』」を読む。これを読むと黒澤の映画に対する情熱に圧倒される。芸術家ならばこれくらいの執念がなければ駄目だろう。ここまで出来る人は少ない。体力的にも気力としても日本映画界の状況としても彼が全力投球できたのは「赤ひげ」までだ。
彼は山本周五郎の原作が好きだった。そこに彼の教養の源泉であるドストエフスキーを加味した。

1月9日(金)

朝マックのフィレオフィッシュ朝食セットで出社。
集中して昼はまたDOMONで味噌ラーメン。
シンガポールと東京出張の準備。
夜、ランカイフォンのスターバックスでフランス人青年Xと待ち合わせる。
日本のサブカルチャーの話をする。フランスで日本のサブカルチャー、「エヴァンゲリオン」などは非常に人気で、影響力を持っている、とのこと。彼の友人はフランスで生まれた韓国人は日本熱が高じて日本語を学んで、今は日本で暮らしているという。顔は日本人みたいなのに中途半端な日本語しか喋れなくて韓国語は駄目、母国語がフランス語という青年だ。彼はトンプソンの系列会社で働いている。フランスは極めて学歴社会だという話など。ENAとかHECなどを出ているというだけで扱いは違う。
Xはレディオヘッドが好きでその方面の音楽に詳しい。
英国人男性Bと結婚したRから電話が入る。もうそろそろFCCに着くという。
海外特派員の会員制クラブだ。
FCCに行くとRが一人で待っていた。
三人で話す。
イギリス人のカップルが到着する。
Xの友人だという中華系フランス人が到着。NOKIAに勤務しているという。広東語は話せるが漢字は読めない。「もともと両親はカンボジアからフランスに移民した」
「じゃあ、1970年代にクメール・ルージュから逃れたんだね」と僕が言うと、
「まさに」と応えた。世界史は人々の中に生きている。
シンガポールの同僚Eと彼女の妹が来た。コカコーラ勤務だという。
またXの友人が一人加わる。中華系で四分の一が韓国人のフランス移民。GEの人間だ。
ランカイフォンでフィリピン人の二人組みと話す。
お手伝いの問題。
台湾や韓国のお手伝いを使っていた1960年代がある。
都築政昭著「黒澤明と『赤ひげ』」を読み終わってから「赤ひげ」をもう一度見る。

1月10日(土)

二日酔い、である。
何度こんなことを繰り返すのか。阿呆である。
水を飲む。風呂に入る。
腹が減った。
乾燥小海老をミネラルウォーターに漬ける。キャベツ、玉葱、生姜を刻んで小麦粉をかけ、卵を落とした。フライパンにたっぷり油を引いてお好み焼きを作った。ソースがなかったのでマヨネーズに醤油を混ぜて海苔を振りまいた。
かなり美味い。生地がじゅくじゅく濡れているのがいい。成功だ。
赤ワインを飲む。



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