戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年4月27日〜4月30日


2003年
4月27日(日)

朝7時頃に起きて近所を散歩する。
東上野に宿泊しているのだが、ちょっと行くと合羽橋だった。
ここは昔、米資系食品会社に勤務していた時の包装紙屋さんがいたところだ。
地理が今ひとつわかっていなかった。
その先が浅草だ。昨日は地下鉄で行ったが、歩いた方が早い。
僕は半そでで歩いていたのだが、通りがかりのオジサンが、「兄さん元気だね。寒くないのかい?」などと話しかけてくる。本当に下町の人ってのはちょっと東京人というよりは江戸っ子という感じだ。
部屋に帰って五味川純平著「人間の条件」を読む。
リエが起きて化粧をしてから朝に僕が行った道をなぞって合羽橋から浅草まで歩く。
リエがまた神谷バーで電気ブランを飲むというので電気ブランとビールと煮込みと子羊のワイン蒸を注文する。ここはおじさん達のメッカだ。
おいしかった、とリエ。
タクシーを拾って靖国神社へ向かう。
荘厳な空間だ。公人でも私人でも右翼でも左翼でもない僕が参拝する。
暖かい日差しの中、ゆるゆると北の丸公園を歩くと、コンサートをやっていた。ちょっと年齢のいった女性が多い。チャゲ&飛鳥の公演だった。
千鳥が淵を歩く。
リエが疲れたようなので、タクシーを拾って日比谷へ。
更に日比谷線で自由が丘へ。
1980年代に僕はここに住んでいた。
セント・クリストファーでアフタヌーン・ティーをする。
不思議な空間だ。
イギリスに8年間住んだ僕には、こうしたイギリスへの一方的な憧憬は、ちょっと背中が寒い現象だ。全くわからないでもないが。
我々の横が、品のいい自由が丘の婦人二人だったが、これが駄目なおばさんで、ずっと人の悪口を言っていた。この素敵なティールームで、どうしてそうなるのか。
喫茶店を出てから、ぐるぐる歩く。
正確に言うと、1985年くらいから1988年くらいまで住んだ町だ。
懐かしい。
また住むことになるかもしれない。
東横線で中目黒に出て、日比谷線で恵比寿へ。
恵比寿ガーデン・プレースまで歩く。
ここのビアガーデンで、ベルギービールを飲んだ。
街頭に面した席で肉やザワークラウトを食べて飲み、行き交う人を見ながら、だ。肌寒くなってくる。
人々は小奇麗だけど、侘しい感じね、とリエが言う。
小金を持って、中流の上と思っている人々。それが仰々しいコンクリートの建造物を散策している。そのことの侘しさ、だろうか。
恵比寿ガーデン・プレースの一角にある、東京都写真博物館、というようなところで、「SPA」誌上で絶賛されていた「鏡の女たち」を見る。吉田喜重監督。映像は或る程度綺麗だが、これは駄目だ。前提的に、頭でっかち。広島、原爆、黒い雨、エトセトラがステレオタイプ過ぎる。墜落した爆撃機の米国人パイロットは原爆が落ちた時に「アトミック・ボム。放射能の雨が降る」と言ったというのも怪しい。エノラゲイを落とした当のパイロットだって中身は知らない極秘事項ではなかったのか。薄っぺらい頭でっかちの知識人映画。「人間の条件」とは違う。吉田喜重は13年を置いてこれを作ったそうだが、僕は見続けるのが苦痛だったし、大いに失望した。×。
御徒町までJRで移動し、タクシーを拾って「不二子件」でラーメンを食べた。僕はここもかなり旨い東京ラーメンだと思うが、リエはやはり「一蘭」の九州ラーメンの方を好む、とのこと。
部屋に帰る。

4月28日(月)


10日間の隔離期間が過ぎるまでオフィスに出ることが出来ないのでマックとワイアレスのインターネットと携帯で仕事することになっている。ウィークリーマンションの狭い部屋で起きてメールを読んでいると携帯にシンガポールから会議電話が入る。
ベランダに出て話す。
天気がいいので弁当を買ってリエと上野公園で食べる。と、背後にホームレスがいる。あまりいいものではない。
牡丹園があるので入った。150円払うので、さすがにホームレスはいない。牡丹はゴージャスで綺麗だった。おっと、それでも一人二人ホームレスがいた。
銀座に出て歌舞伎座でチケット購入する。前から二番目のど真ん中の席である。数日前でも取れるのだ、と知る。
喫茶してから新橋まで歩き、汐止の電通前を回って浜離宮。めちゃくちゃ綺麗。こっちで食べれば良かった。
フェリーで上野に戻ろうとしたのだが16:10が最後でOUT。
歩いて戻ろうとすると牡丹園がまたあった。
非常に広い。が、こちらはもう盛りは過ぎていた。
タクシーで新橋、地下鉄で上野に戻る。
狭い部屋で仕事。
夜、近所の銭湯にリエと行く。今は400円が相場のようだ。ここ、寿湯は小奇麗でよろしい。本日の湯は「ラヴェンダー」である。リエは銭湯が初めて。汚かった、という感想。

4月29日(火)

日本はGWに突入している。僕らはSARS隔離期間である。
朝、吉野家。
旨く感じない。
上野まで歩く。
リエは足が痛いという。
腹が減ったともいう。
「リスボン」でハヤシライスとオムライス。
あまり旨くない。
リエに白い靴を買う。
31のアイスクリーム、チェリー・ブロッサムを食べたいとリエ。食べてみると、「子供の頃のようには旨く感じない」とのこと。
浅草線で西馬込へ行く。そこから歩いて梅園へ。そして池上本門寺へ。非常にツーリスティックである。というか日蓮宗なのである。桜の時期はいいそうだ。
公民館みたいなところでビールと白ワイン。庭園は綺麗だが、そちらには入れない。
駅前で名物のくずもちを食べる。
バスで大森に出て上野まで帰った。
少し部屋で休んでから浅草まで歩き、老舗で僕は飛騨の地酒鬼殺し、リエはロゼをグラスで飲みながら鯵のたたきをつまみ、天丼を食べた。味が濃厚だ。胡麻油も大量に使われているので満腹となった。僕は湯島の「天庄」のあっさり味の方が向いている。
人通りの少なくなった仲見世や新仲見世を夜に散策するのは非常に楽しい。
100円ショップがあったので僕は石鹸やタオルなどを買ってしまう。昨日の銭湯が良かったからだ。リエも軽石やらスヌーピーの巾着やらタオルなどを買った。
荷物を落として銭湯に行った。SARSの疑いがある者が銭湯に入っていたことを東上野の住人は知らない。

4月30日(水)

朝からメールをやっている。
東京のオフィスに行く。10日たつまで中には入れてもらえない。メモリーカードが必要なのだが、二階の窓から落下して頂く。SARS疑惑が晴れないためである。香港在住者は病原菌だ。
連絡したりレポートを書いたりしているうちに午後になる。
合羽橋にあっていつも行列が出来て非常に込んでいるお好み屋さん「お染」に行く。今日は空席があった。お染セットと三色セットとビール大瓶を2本。なかなか美味しかった。が、所詮お好み焼きはお好み焼き、炭水化物の味である。
狭い部屋に戻ってインターネットと携帯で仕事する。


 




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