戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年4月23日〜4月26日


2003年
4月23日(水)

SARSのために出張が出来ない。
特にどこの国も香港からの旅行者を受け付けないので、僕としてはビジネスが滞る。
香港のビジネスマンはこの国に閉じ込められた形になっている。何処にも出れず、日
本にも帰れず、非常にフラストレーションが溜まっていると聞く。
僕は日本出張することにした。入国してから10日間は発病するまで検疫期間となる
わけだが、それをちょうど5月の連休に当てれば支障は出ない、と踏んでのことだ。
いよいよ東京行きを香港オフィスの皆に伝えた。
「私たちを見捨てる気?」
「だって、ここにいると仕事になんないから」
「いつ帰ってくるの?」
「5月の半ばか終わり頃かな」
「とにかくお別れに皆でお昼しましょう」
で、飲茶(ヤムチャ)となった。

4月25日(金)

5時に目覚ましが鳴る。と、4時に起きて準備すると言っていたリエが、「もっと眠
る宣言」をした。仕方ない。6時に目覚ましを鳴らして起きた。
彼女も6時半には諦めて起きた。
7時過ぎにはタクシーで空港特急の香港駅に行った。
耳で検温する。SARSチェックだ。
香港での出国はこのようにきちんとしていたが、成田空港での水際は甘いものだっ
た。ザルである。
スカイライナーで上野に行き、タクシーを拾ってウィークリーマンションへ。部屋は
非常に狭く、ベッドは折りたたみ式。風呂はユニットバス。自分で洗濯と掃除をしな
ければならない。
場所は東上野という不思議な町にある。下町風俗である。
面白い。
リエを神保町に案内した。僕が世界で最も愛する町のひとつである。
神保町の端から端まで探して、五味川純平「人間の条件」全一冊というのを発掘し
た。300円である。1200万部を売ったというベストセラーだというのに、ほと
んど入手できないとは好戦的な連中の陰謀かもしれない。この本は骨身に沁みるほど
の反戦物語である。
大嶋ラーメンで夕食。

4月26日(土)

起きてから銀座線で浅草に行く。
明治から続く神谷バーで電気ブランを飲む。
「駒形どぜう」というお気に入りの老舗で食べる。どじょう鍋。柳川定食。ビール。
タクシーで蔵前国技館の隣の江戸東京博物館に移動。
非常に興味深い。
江戸研究などに手を染めたらそれでまた一生かかってしまうだろう。
江戸の賑わいを再現したミニチュアが僕には一番面白かった。隅田川らしい川を横切
る大きな橋を渡ると、芝居小屋や歌舞伎や食べ物屋が立ち並び、人ごみに煙る。
館内の喫茶で、あんみつとコーヒーを摂る。
外国に住む我々にとって、江戸情緒は最高である。
もし日本に住むなら、縁側は欲しい。床の間も欲しい。縁の下は欲しい。萱葺き屋根
なら尚結構。
大江戸線で新宿西口に出る。
ぐるりと歩き、末広亭で落語を聴いた。
五代柳家小さんの「追善興行」と銘打っていた。
柳亭燕路、柳家福治、柳家はん治、柳家喜多八、柳家小袁治、小雪、と、非常に面白
かったのだが、天気のいい日にずっと屋内にいるのも勿体無いので小三治まで待たず
に小屋を出た。
我々は短期間で日本を味わう必要があるからだ。
歌舞伎町をぐるぐる歩く。
香港よりも凄い、とリエ。「とっても、胡散臭い人が多いわ」
JR山の手で渋谷に行く。
センター街を久々に歩いた。
HMVでレコードを覘く。
リエは、矢野顕子、坂本龍一、ソフトバレーを「どうしても買う」というので、買っ
た。
表参道まで出て銀座線で上野、一蘭でラーメンを食べる。




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