戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年6月1日〜6月30日


2003年
6 月1日(日)

休みである。休む。

6月2日(月)

久しぶりに日本から帰ってきた僕をオフィスの女性陣が歓迎してくれる。
昼は皆で外で食べた。僕は最近、チャーシューご飯に凝っている。それを注文してもらった。
元ミス香港の同僚Hが最近、エステと契約して、そのプロジェクトがようやく終わった話をしてくれた。彼女はまず、10キロほど太らせられて写真撮影し、そのエステ会社の指導下、食事制限、運動、就労後の毎日の検査が義務付けられたという。4月から延々2ヶ月かかったそのプロジェクトも終わり、タイのプーケット島で「使用後」の水着撮影をしてきたという。
ご苦労様でした。途中で、どうしても色々なものを食べたくなって「バイキング」に乗り込んで全てを食べつくす、という夢を見たそうだが、それ以外は何とか持ちこたえた、という。
こんなダイエット、体には良くないだろう。彼女、ボーイフレンドが香港の有名スターなので、ちょくちょく香港のメディアに写真を撮られる。だから、契約上は来年までは太ってはいけないという条項がある。だから今日の昼も野菜炒めだけだった。
世の中にはフェリーニみたいに太った女性が好きな男はいる。僕も鶏がら、は、嫌いだ。

6月3日(火)

忙しい一日。忙しくない時があろうか。

6月4日(水)

休日。
リエとタクシーを拾ってハッピーバレーに。
で、飲茶した。
タクシーでコーズウェイベイに出る。
IKEAで買い物する。
僕はお腹の調子が悪くホテルの最上階レストランでトイレをかりた。
タクシーでアドミラルティに出る。
映画マトリックス続編を見る。△。つまらない。なんでこんなに費用をかけて、こんなつまらない映画しか作れないのか。
歩いて久しぶりに中環のベトナム料理屋で食事する。
エスカレーターで帰宅した。

6月5日(木)

午後に同僚の香港女性Kとミーティングに向かう。

6月7日(土)

「CAST AWAY」VCDでを見る。「BACK TO THE FUTURE」のゼメキス監督。
四年後に痩せるトム
FEDEXはどのくらいを投じたか

6月8日(日)

会社に行って仕事。
こういう休日出勤は避けたいものだが

6月9日(月)

シンガポールとTV会議。

6月16日(月)

朝起きてタクシーを拾い、空港特急の香港駅でCX504便にチェックイン。飛行機の中で「TWO WEEKS NOTICE」を見る。敬遠していた映画だが、僕の好きなタイプのロマンチックコメディーだった。主演はヒュー。サンドラブロック
東京に着いたのは16:10で、スカイライナーで京成上野に行き、タクシーを拾ってT社に行った。オフィスはがらんとしていた。引越し先に荷物をかなり運んでしまったようだ。
僕がインターネットの古本屋で買った五味川純平「戦争と人間」全18巻が届いていた。ハトロン紙で包んであり、極めて良好な状態で揃っていたので感心する。大学生の頃、これは途中まで揃えて中座したまま、何回も引っ越すうちに一冊もなくなっていたのだが、インターネットで申し込んで一挙に全巻揃った。1巻目の初版が1964年に出ており、最後の18巻目が1982年に完結しているから、実に18年もかかった仕事である。僕が大学生の時はまだ未完だったのだ。しかし、1970年代に村上龍と村上春樹と田中康夫が登場し、バブルが近づいていた1982年までにはこの仕事、ほとんど黙殺されていたと思う。現在、これを通読するのは冒険かもしれない。
久々に昔ロンドンで一緒に働いていたT嬢に会う。お互い「変わってない!」と言い合っていたが、普通の人が見たら、やはりお互いに変わったのだと思う。彼女は20歳そこそこで、僕は35歳だった。10年も経つ。
20:30にはオフィスを出てタクシーで東京駅に向かう。
21:00過ぎの新幹線最終で大阪に向かった。12:00前に到着。
鬱陶しい雨の中、タクシーで延々と移動して、門真市のビジネスホテルにチェックイン。明日最初のミーティング場所に近いからだ。
N社長と近くの居酒屋で軽く食事してホテルに戻り、僕はテレビで松島奈々子主演「恋と花火と観覧車」を再見した。馬鹿々々しい御伽噺なのだが、映像が美しく、松島奈々子が初々しく、また最後まで見てしまった。監督が丁寧に作っているので好感が持てる。○。
そこから五味川純平「戦争と人間」1巻を読み始めて出だしはトルストイの「戦争と平和」の冒頭と似ている。

6月17日(火)

朝チェックアウトすると雨だった。
N社長と門真駅前のマクドナルドに行く。
08:00に広告代理店の人々と落ち合い、やがて関西国際空港からタクシーに乗った英国人上級福社長Cに電話して、運転手と話してマクドナルドに来てもらう。
Cも加わって打ち合わせ。
やがて訪問先に10分ほど歩いて移動し、ミーティング。
終わってからタクシーで移動してホテルでビジネス・ランチをする。
またタクシーを拾って新大阪駅に。
13:53分の「のぞみ」で東京へ。Cは疲れて眠っている。SARSの影響で飛行機の便数が減り、今回のように大阪へ飛んでくるのは非常に大変な作業なのだ。彼は昨晩シンガポールから飛んだのだが普段ある東京への直行便がないためにバンコクまで飛んで午前二時のバンコク・大阪便で関空に到着したのが朝の七時半、今日は大阪からバンコク経由でシンガポールに帰る便が明朝までないために、こうしてそのまま東京に新幹線で向かい、成田エクスプレスに乗って夜七時過ぎの便でバンコク経由、シンガポール帰国となるのだ。日本のホテルで休む暇もなく、二日間は空で寝ることになる。彼には悪いことをしたが、車中こうして久しぶりに英国人上級福社長Cと話すことで出来て良かった。

6月18日(水)

ほとんど一日事務所で準備。

6月19日(木)

朝、立ち食い蕎麦。
オフィスに出向いてからN社長と青山で英国人Sとニューヨークから来たDと待ち合わせてミーティングに臨む。
神保町に移動して、まず全員で牛タンなどを食べ、Iさんとミーティング。

6月20日(金)

朝、オフィスに出てからN社長と八重洲に出来たフォー・シーズンズ・ホテルにニューヨーカーのCをピックアップしにいき、そのまま青山の会社でミーティング。時間が詰まっているので急いで後楽園のホテルに行き、皆と落ち合ってビジネス・ランチ。非常に長いコースで早くしてもらったものの、1時間半のランチとなった。6人で6万円近い。僕はカードで払った。
湯島のT社でN社長、N副社長、二人の日本人女性Tさんと、ニューヨーカーのC、日本にいる英国人S、日本人S、日本人とフランス人のハーフの女性K、海外が長くてロンドン赴任となる日本人女性Yらが同席して会議。
僕は会議の途中からシンガポール本社の電話がばんばん入って中座し、結局はTさんと築地の広告代理店に向かう時間となってオフィスを後にした。
12階のA会議室でミーティング。
かなり遅くなってN社長がニューヨーカーCを連れて到着。
会議の後はオフィスに戻って電話とメールをし、続いて10人ほどが集合して広告代理店の海外部門担当者としゃぶしゃぶを食べながらビジネス・ディナーと相成った。
食後はオフィスに戻って荷物を片付け、ホテルに戻った。
疲れた。パッキングする気力がない。
明日は朝が早いし、夜にパッキングした方が絶対に楽なのだけど、気力がなかった。
洗濯してビールを飲んでテレビを見て寝る。

6月21日(土)

朝6時に起きてパッキングする。
お茶を飲む。
7時前にはチェックアウトして京成上野からスカイライナーで成田へ。
成田空港でイタリア語の入門CD本とイタリア旅行ガイドとイタリアの歴史の本とイタリアで生活している人のエッセイを買った。お盆の頃に休暇を取ってアムステルダム経由でミラノに飛んでコモ湖あたりで過ごして、ヴェローナやフィレンツェを回ってローマからアムステルダムに飛んで、1年半住んだあの街で一日過ごしてから香港に帰る、という企画だ。航空券はもう買っている。詳細を詰めたい。
CXのラウンジでビールを飲み、香港オフィスの女性陣に日本のお菓子を買い、自分用に浴衣と雪駄を買った。
10:00AMの便で香港に向かう。

6月22日(日)

疲れて読書。

6月23日(月)

香港オフィスで一日仕事。

6月24日(火)

香港で仕事。

6月25日(水)

香港で仕事。

6月26日(木)

忙しい。

6月27日(金)

忙しい。

6月28日(土)

疲れた。

6月29日(日)

ようやく回復。

6月30日(月)

一日頑張る。

 




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