戸田光太郎の2000年日記
- 2000年3月12日其の2
2000年
3月12日(日)其の2
- (承前)
- 反対斜線のシンガポールに向かう側が非常に混雑しているのが気になった。帰り
は行きほどスムーズではないかもしれない。が、23:00発のJALを逃すわ
けにはいかない。一方で、このまま町も見ずに引き返すわけにもいかない。
今度はマレーシア側のイミグレーションで入国手続きがあった。こちらは混乱し
ている。入国用紙に記入した。僕の前、インド系のような家族が足止めされてい
てようやく僕の番になった。思いっきり英国風の発音で「グッド・アフタヌーン」と
言ってみる。あれほどネチネチと家族者を詰問していた係官がほとんど何も見ず
に僕を通した。
交通量が多い。車も人も。ジャラン・ウォン・ア・フック通りを歩く。人間はシンガ
ポールより顔付きが田舎くさいような気がする。服装は格段に落ちる。排気ガス
と香辛料と油の匂い。宝くじ売り場に群がる疲れた顔の男達。オープン・ホール型
の中華料理屋が多い。そして同じ型のマレーシア料理屋。路地の物売り。調理す
る湯気。
シティー・スクエアというショッピング・センターには冷房が入っているのだろ
う、人でごったがえしていた。外にはスターバックスがある。割と裕福そうなマ
レー人と、こちらにはあまりいない白人をようやく一人見付けた。
時間を気にしながら雑踏を歩く。
マレーシア料理が食べたいが、イスラム教徒は酒を飲まない。やはり諦めて中華
料理屋に入った。
ビールを注文する。メニューの写真でイカのフライみたいなものがあったので指
差すと、「チキン、チキン」と言われた。それを食べる。ほとんどの人間が英語を
喋るシンガポールから一歩出ると、ほとんど誰も英語が駄目だ。
チキン料理はなかなかだったが唐辛子がばんばん入っていて辛かった。汗が吹き
出す。しかもこの鶏肉、皺が寄っていて変だ。内臓なのだろうか。メニューをも
う一度見ると、鶏足がどうのこうのとある。あの鶏の皺のよった足の皮だったの
だ。珍味である。
これに比べて野菜は高い。でも食費としてはシンガポールの半額だった。
いよいよ時間だ。帰ろう。
バスターミナルに引き返す。人波が凄い。行きはヨイヨイ、帰りは恐い、だ。
こんなんで、JALに乗れるのかな?
ぐいぐい人波を掻き分けて、外人の入り口はないかと聞きながら進んでいく。マ
レーシア人の窓口とシンガポール人用の窓口はあった。そして、やはり外国人窓
口はそれほど混んでいなかった。マレーシアの出国手続きをする。とバスが来
た。乗ろうとするが、切符売場がない。
切符は出国手続き前に建物の外側で買うのだと周りの人間が教えてくれた。この
人波を逆流して切符を買うことなど不可能だ。
どうしよう。弱ったな。
数キロありそうな陸橋を歩いて渡るしかないだろう。
一時間はかかるとして今が18:30だから19:00に向こう岸に着いて入国
してタクシーを拾ってホテルで荷物を拾えば20:00くらいで十分間に合う。
そう考えてうんざりしながら渋滞する陸橋を見ていると、ヘルメットを抱えたマ
レーシア人青年が近づいてきて言った。
「歩くのはしんどいぜ。僕のバイクに乗れば1分で向こう岸だ」
内心ホッとしたが、(僕は歩くのが趣味で全く苦にならなくてさ)というような
余裕を見せて交渉した。
シンガポール5ドルというのをマレーシア5リンギットに負けさせ(半額だ)、
ヘルメットを被り、タンデム・シートに跨って彼の腰に腕を絡めた。マレーシア青
年の腰に恋人のように手を回すような事態に陥るとは思いもよらなかった。
ただし、このドライブは快適で、渋滞を走り抜けて、ほとんど数分でシンガポー
ル側の要塞ビルの足元に到着した。
「ここから先、俺は行けない」と言い置くと青年は私から5リンギットを受け取
り、マレーシア側に走り去っていった。
シンガポールの入国手続きは簡単だった。
マレーシア側から押し寄せるアジア的混沌を押し留める防波堤の要塞ビルから出
て、170番のバスにプリペイド・カードで乗って、近くのMRT、クランジ駅
(駅前に派手な競馬場があった)から回ってシティー・ホール駅へ到着したのが
ちょうど20:00だった。
シンガポール側に来たらスムーズで、計画通りの時間進行になった。
やはりシンガポールは凄い国だ。ああいうリアルなアジアの混沌に囲まれていな
がら、上級相リー・クワンユーという一政治家が思い描いた理想国家を、堅固な要
塞で囲って、人工的に現出させてしまったのである。天晴れだ。
ホテルで荷物を拾い、タクシーを呼び、空港に向かう。ホテルでシャワーを浴び
られなかったのが辛い。
空港でスーツケースをチェックインする前に、このTシャツとショーツという夏
服を日本の3月に合わせて変えなくてはいけない。トイレに入り、清掃員に、「身
障者が来たらすぐ出て明け渡すから」と断って、身障者用の広い個室に入った。便
器と手洗いが個室に揃っている。僕は全裸になり、手足と顔を洗い、歯を磨き、
胸や背にも水を振って乾いたTシャツで体を拭き、オー・ド・トワレを吹きかけて
黒いタートルとジーンズに着替えてDバックをビジネス書類入れに入れ替えてスー
ツケースを閉じ、皮ジャンを羽織った。空港内は冷房が効いているので暑くはない。
チェックインして、ようやく落ち着いた。
空港レストランでビールとワンタン麺。インターネット・カフェで自分のHPを覗
く。日本語は判読不能なので英語で書き込む。
本屋でハードバックを買う。アジアでのマーケティング手法に関する本だ。
ようやく機内の人となる。
やれやれ。
インドネシアの島でのパーティーに始まり、シンガポールを通過してマレーシア
に至り、そしてまた戻ってきたシンガポールから日本に向けて旅立つという、長
い長い一日がこうして終わったのだ。
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