戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年9月2日~9月9日


2002年
9月2日(月)

時間がない。仕事に没頭しているうちに夕方になった。

9月3日(火)

昼、リエが会社の近所に来て一緒に韓国料理。旨い。
夕方、東京に飛ぶ。
夜、品川の会社でミーティング。
夕食は関係者だけで、韓国焼肉。
長い夜となる。

9月4日(水)

昨晩の疲れが残っている。
東京の西の方でミーティング後、一緒に昼食。
広告代理店と打ち合わせ。

9月5日(木)

東京で週間報告書など色々と書いてシンガポールに送り、11時にはオフィスを出
る。
N社長の車で三田に。クライアントと昼食。昨日、広告代理店に説明した物件を提
示。
非常に感触はいい。
オフィスに戻り、メールをチェックし、各国に電話。
夜はN社長、Hさん、アムステルダム以来の知人Kさんと夕食。

9月6日(金)

朝の便で東京を出て午後には香港に着く。
そのまま出社して事務処理などをする。殺人的な忙しさだ。
夕方、東京とシンガポールを結んでコンフェレンス・コールをしているところに、リ
エが義母とオフィスを訪ねてくる。会議室で待ってもらい、それでもコールが終わら
ないので先に中華料理屋「ジェイド・ガーデン」に向かってもらった。
ようやく電話を終え、レストランに向かい、食事。
食後、二人はフェリーで帰宅し、出張帰りの僕はオフィスで少々仕事してから、スー
ツケースなど荷物が多いのでタクシーで帰った。

9月7日(土)

起きてから義母とその娘リエと三人でタクシーを拾ってアバディーンの海上に浮かぶ
巨大中華料理屋「ジャンボ」に向かう。
非常にツーリスティックな場所なのだが、味は悪くない。
帰りに水上ボートで観光し、アバディーン・センターからタクシーで自宅に戻る。
休憩してから夜に女人街と男人街へショッピングに出た。
九龍公園を横切る。
ハイアットで休憩。
JAZZライブハウスで休憩。
フェリーで戻り、タクシーで帰宅。

9月8日(日)

朝起きて居間でお休みだった義母と話す。
リエが起きてきてエレベーターが下降している午前10時前に下界に向かう。
エレベーターをクイーンズ・ウェイまで降りて富貴でお粥。中年女性従業員がワンタ
ン麺にちょっと錆びたような鋏を突っ込んで麺をばちばちと切っていくので、その野
蛮な行為に義母は目を丸くしていた。
こんどは上昇していくエスカレーターを逆に上がって帰宅。
少し休んでタクシーを拾って空港に向かう。
大きな橋を渡るのが気持ちいい。
リエは母にサービスし過ぎてぐったりしていた。
親孝行はいいものだ。

9月9日(月)

スーツケースをがらがらと押しながら世界一長いエスカレーターを降りていると、
ちょいと前方にCNNで働く韓国人M嬢がいる。彼女は韓国語と英語と日本語とその
他数ヶ国語が出来る。日本語で「Mさん」と声を掛けたが、すっすと素早く降りてし
まって気づかないまま見失ってしまった。昔はシンガポールで同僚だったのだが、シ
ドニーで他局に勤め、今は香港だ。近所でよく見かける彼女の同僚はよくTVでニュー
スを読み上げている。
地下鉄で移動し、早朝出社で色々と準備する。
シンガポールとのテレビ会議が終わってから深歩のイミグレーション・オフィスへ足
を運んで、ようやく住民カードがもらえた。これで出入国が随分と楽になる。
3ヶ月もたつ。長い道のりだった。
東京やシンガポールに電話し、ばたばたと準備し、タクシーを拾って九龍のエアポー
ト・エクスプレス駅へ。
シンガポールに飛んだ。






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