戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年9月18日~9月19日


2002年
9月18日(水)

朝一番で在香港日本大使館に出向き、頼んでいた戸籍の英訳を拾っていく。
窓口の日本語の達者な香港人女性係官は笑顔ではきはきと働き、気持ちがいい。
ロンドンの大使館は無愛想でひどかった。今はどうだろう。二・三年前の当時、大使
の馬鹿息子が僕の知り合いの日本料理屋で、「俺は大使の息子だ」と仲間を引き連れ
て威張って、「文句がありゃ、こんな店、いつでも潰してやる」と毒づいたと店主が
呆れていた。今はもっとましな大使がいるのかもしれない。
香港の日本大使館はセントラルのエクスチェンジ・スクエア一号ビルという立派な建
物の46階にある。香港湾が一望できる眺めのいい図書室まであった。図書館員の香
港女性に、「僕の家には読み終わって捨てる本が山ほどあるから寄付したいが」と持
ちかけたが、「そういうシステムはない」と断られた。まあ、そんな、いらない本
が、どかどか持ち込まれたら迷惑かもしれない。
オフィスに行き、集中して仕事を処理していると、皆が食事に出ようと誘う。
そうだ。今日はマレーシア系中国人女性Cのお別れ昼食会だった。
外に出ると久々に晴れている。
気持ちがいい。
「どこか、海岸にでも行こうよ」と皆ははしゃぐ。
九龍半島に、わけのわからない日本食街があって、タクシー三台で香港社員全員が、
そこに乗りつけた。
凄い。赤い提灯が並び、日本の文字が並び、兜とか着物とか剣道着とか、わけのわか
らないニッポンが出現して、人で溢れている。日本人はいない。ということは、本物
の日本食は食べられない、ということだ。
辞めていくCさんと入れ替わりで入社した、元ミス香港のH嬢が、生きの好い広東語で
注文する。和食でもメニューは出鱈目な漢字なので、僕にはさっぱり理解できない。
元ミス香港の彼女はここの常連らしい。猥雑な背景、飛び交う広東語。おお、これ
は、まるで、香港映画の一場面のようだ。
どうして僕はここにいるのだろう?
テーブルはアメリカ人と中国人のハーフであるKと僕を除けば残りは女性で、非常に
華やかで騒がしい。ビールや冷酒や熱燗を頼んで平日の昼から宴会となった。
注文したものが出てきた。
デカい。とにかく、どれもこれも、デカい。赤ん坊を三人は浮かべることが出来るほ
ど大きな器にラーメンらしきもの。これが供された。カレー味なのが不思議だ。
寿司酢で握ったご飯をサーモンで花弁のように巻いて上に鱈子を乗せたもの。
などなど、どれも僕が見たことのない日本食だった。
僕は大ラーメンの器から皆に、巨大柄杓で小分けして配ってあげながら、「これって
ディケンズを思い出すよ」と言った。「オリバーで、孤児院の食事のシーン」
酔っ払っている皆が笑った。
辞めていくC嬢らと記念写真を撮って飲んで食べていると僕の携帯が鳴った。
「Cがあなたと喋りたがっているの」と、シンガポール本社の上級副社長、英国人Cの
秘書嬢からだったので僕は「繋いで」と言った。
「やあ」とC。「今、ここにDとRとJとGがいる。例の件を詰めたい」
Dは製作のトップの英国人男性で、Rはオンラインのトップのカナダ人男性で、JとGは
サポートする立場のシンガポール人女性だ。
僕は部屋を出て、来年1月に計画している大きなイベントについて喧々諤々とやりと
りした。
あまり長く話していたので、ほとんど皆は食事を終え、レストランを出てきた。僕は
携帯に話しながら皆の列の後を追った。
僕は、皆がタクシーを拾って助手席に乗り込んでもまだシンガポールとの会話が終わ
らず、ほとほと疲れた。電話を切ると、げっそりした。
シンガポール本社からはたびたびコンフェレンス・コールが入り、アジア各地に散ら
ばっている数名が本社から呼び出されて同時に会話する。これをニューヨークやロン
ドンと繋ぐこともあるし、テレビ電話でやることもある。会議の後は議事録が電子
メールでくるから、地球上のどこにいても逃れられない。いやな時代だ。
自宅に電話する。最近ずっとキッチンの水漏れが止まらず、不便だったのだが、家主
の手配で家主の父親が修理に来ていた。リエが留守番して、家主の父親を迎えていた
のだ。ナイスな中国人のお爺さんだという。安心した。
夜、地下鉄でアドミラルティに出てタクシーを拾い、帰宅した。
ちょうど家主の父親は出て行ったところだという。
午後二時からかかって延々五時間半も修理してくれたそうだが、まだ復旧していな
い。
二人でカフェ・ジプシーで夕食。

9月19日(木)

理恵の、香港における配偶者パス取得のための書類を揃え、確認する。
まず、会社に行く。色々なトラブルに応急処置してからリエと落ち合って移民局に向
かう。遠い。
審査の厳しいこと。書類を一枚一枚洗って、確認し、揃え、クリップし、次の質問に
移り、というような作業を女性係官が厳密に進めていく。やはり付き添って正解だっ
た。
一時間ほどで出来上がるというのでグランド・ハイアットで昼食してから戻ると、移
民局で135香港ドルを払い、旅券に貼るステッカーが貰えた。これを添付して一度
国外へ出て入国管理官からスタンプを押されると、ようやく移民局で写真撮影して仮
の居住者カード引き換えレターが発行され、それが更に1ヶ月ほど後に本物の居住者
カードと引き換えられる、という仕組みだ。複雑である。しかも一年間しか有効でな
い。
リエと途中で別れ、地下鉄でオフィスに戻り、仕事をしてから、夜、シンガポールに
飛ぶ。






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