6時に起きてタクシーでエアポート・エクスプレス香港駅まで半山を降りて空港へ。
不健康にも焼き蕎麦とビールをとり、8時の便で台北に向かう。
台北の中山空港からホテルのリムジンタクシーで移動。
定宿ファーイースタン・ホテルにチェックインしてスーツに着替えてから系列のテレ
ビ局オフィスに顔出し。資料を持って市内で打ち合わせ。
「かつ田」で、皆さんと、とんかつを食べる。やはり、うまい。
14:30に台北オフィスとシンガポール・オフィスのスタッフを交えて明日のイベ
ントを詰める。
台北支局に戻り連絡やメール確認をする。
営業時間が過ぎてから営業部長Tと台北支局長Sのお見舞い。
彼はオートバイに乗っていてトラックとぶつかり、重症となっていたのだ。ここ一ヶ
月は香港オフィスの香港チャイニーズCが臨時の支局長として駐在していた。
Sの母親が付き添っていた。
「Sさんとは親しいのですよ」と僕は営業部長Tに英語から中国語に通訳してもらっ
てSの母親と話した。「彼とは、台湾だけでなく、インドのゴアやシンガポールや、
例のテロ前のニューヨークでも一緒だったのです」
と、母親は、何だか爆発したようにだだだだだーっと喋って止まらない。営業部長T
によると、「そうなのよ、この子はとてもいい子で、友達も多くて」云々かんぬんと
息子を激賞して歯止めが聞かなくなったのだ。T部長も通訳するのを途中で放棄し
た。
日本人の息子だと、「母さん、よせやい。黙ってろよ」と照れるのだが、Sは目を細
めて母の言うことを聞いてあげている。
今年の始めにSは父親を亡くしている。Sが髭を伸ばしていたので、どうしたの?
と正月ごろに聞いたら、「父が亡くなってね。台湾では父親が死ぬと息子は百日間、
髭を剃らないのさ」と言っていたことを思い出した。
つまり、この母は今年の頭に夫を亡くしたばかりでなく、危うく溺愛する息子まで亡
くすところだったのだ。
ようやく母が口を閉じたので、僕は、ベッドに上半身を起こし、点滴を受け、鼻や耳
をカバーされたSに向かって英語で聞いた。
「事故から何か学んだかい?」
Sはそれほど英語は喋れないのだが、こう言った。「健常者は本当に健康の意味がわ
かっていない。当たり前だと思ってしまうからだ。こんな風になって初めて、普通に
生活するってことがどれだけ素晴らしいことかわかるんだ」
「なるほど」
「あとは、家族のことを考えた。仕事ばかりの毎日だけど、もっと家族と過ごす時間
が必要だ」
僕は女性で家庭もあるT部長のほうを振り向いて彼女に言った。「今の言葉を書きと
めて大きなフォントで印刷して彼のオフィスの壁に飾ろう。『家族と過ごす時間が必
要だ』と。そして退院したら、実行してもらおう」
「そうなの」とT部長。「わたしだって、いつも言っているわ。会社は会社だって。
家族は一つしかないわ。長時間会社にいるのは、いいことじゃないのよ」
「亡くなったお父さんから何か助言はあった?」と僕はSに聞いた。
「僕は超自然みたいなことは信じない。だけど、僕の家族や親戚が、僕が事故を起こ
したちょうどその時に父らしき人の気配を感じて、何か信号を受け取ったと言ってい
た。はっきりとはしてないんだけど、今回の事故では、どこかで父が見ていて、被害
を軽くしてくれたと考えざるを得ないな。だって、死んでいておかしくない状況だっ
たわけだから。なんとなくそう思う」
僕はSとSの母親に挨拶して病院を後にした。
元台湾支社でT部長の前に女性部長だったSから現部長のTに電話が入る。Tが僕に
携帯を渡した。「Sのお見舞いが済んだら、こっちに顔出してね」
「わかった。今、病院を出たところ。どこのレストランに行くのか教えて」
「リージェント・ホテルで待ってるわ」
林森のリージェント・ホテルで待ち合わせ、Sと夫のAとで夕食する。
和食を食べようと言われたが、僕は申し訳ないが、拒絶した。
僕は台湾料理が食べたいと言った。気取った店は嫌いだとも言った。
で、彼らの行きつけの店で楽しく食べた。
Sの夫Aが文句を言う。「戸田さん、彼女太ったろ」
僕は戸惑った。Sは妊娠していて体全体が太っていて、昔の華奢な台湾美人の面影は
なくなっている。「出産したら、また戻るよ」
「どれだけ増えたかわかるかい?」と夫Aは執拗だ。
「一時的なものさ」と適当に返事する僕。
食事は夫のAがご馳走してくれた。ホテルにまで車で送ってくれると言われたが、
「僕はまだこの辺、林森の繁華街をぶらぶらするよ」と別れを告げた。
ちょっと店を覗いていると、知り合いから携帯に電話。
彼は日本人男性なのだが、この近所で飲んでいるという。彼に同行している台湾人女
性の説明を受けながらタクシーに乗り、運転手に携帯を渡して地理を説明してもらっ
て彼らのいる店に足を運ぶと、まだ食事をしていた。僕はもう満腹だと辞退して酒だ
け頂く。
この料理屋の系列のクラブを彼に連れて行って頂いて三軒ハシゴするともう午前一時
を回っていた。林森の繁華街は午前一時には閉まってしまうのだが、ここはまだ開い
ていて、系列店から流れてきた客と従業員で人は減らない。
このHPに詳しくは書けないことが多いのだが、これは台湾の原住民がオーナーの店で
(ここで書きたいことは色々あるが、書けない)、やはり、外省人、内省人の更に次
に来る原住民は台湾でもマイノリティーの苦しさがあるようなのである、アメリカの
インディアンのように、古い文化を継承しているようで、民族の舞踏をしたり、民謡
を歌ったり、全員で浪々とインディアンのような合唱をして、輪になって踊ったとき
には激しく心が動かされた。
これは凄い。
火を囲んだ踊りなどもあるらしい。
いい経験をした。
この店の後でまた原住民系の店を渉猟する。
朝6時に起きたのだから、20時間時以上は活動している。
朝四時まで飲んだことになる。
ぼろぼろだ。
数時間寝て起きる。
今日はイベントの当日である。
会場に向かった。
無事に設営されている。
周辺をチェックした。
台北の、街角は非常に日本の影響が強い。
13:30に一行が到着。
日光が強い。
日の中に晒されたくない聴衆は遠巻きに見ている。
5人を審査し、幕間に、広末涼子に似ていると言われるアイドル歌手ステラ・ホアが
歌った。可愛い。続いて6人を審査し、また台湾のスターが歌う。そして去年の審査
合格者がお手本として歌った。
イベントが終わってからホテルに向かっているとタクシー運転手が、「ここは小龍包
が旨い店だ」と中国語で言ったので、停めてもらって、ビールと一緒に食べた。旨
い。
新たにタクシーを拾い、ホテルに向かい、荷物を拾って空港へ。
デューティー・フリーで紹興酒と煙草を買って予定より一便早く香港に向かった。
21時には着陸して、22:30には帰宅できた。
非常に疲れた。
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