戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年10月16日~10月20日


2002年
10月16日(水)

早朝、ホテルの部屋の枕元に置いた携帯が鳴った。成田から電話だ。イタリア系英国
人とカナダ人の二人組みが到着したと連絡してくる。
スカイライナーで上野に行くよう指示。
駅で出迎え、タクシーで拾い、ホテルに連れて行く。
バリの爆破事故はどんどんひどい結果となっていることをインターネットを読んでい
るリエが、旅の途上にある僕に電話で聞かせてくれたが、シンガポールに勤務する英
国はマンチェスター出身の中華系イギリス人Jが素人ラグビーの大会でバリに行って
いたことは最近知った。
「Jの友人が爆破の現場にいたと聞いたけど」と僕は二人に聞いた。
「いや、J自身もバリにいたんだ。彼のラグビー仲間が数人死んだ」とイタリア系イ
ギリス人O。
「死んだ?」
「ひどい話さ」
今回は小田急ホテルセンチュリーサザンタワーという長い名前のホテルに泊まること
になった。東京の西の端だから、上野の事務所に行くのが非常に面倒である。
20階がレセプションロビーとなっていて眺めはいい。
暇そうなおばさんがいっぱいいた。亭主が280円の牛丼や59円のハンバーグを食
べているときに、こいつらは2500円のランチセットを、おほほほなんて馬鹿に気
取って食べているのだから呆れる。着飾って髪をセットしてるけど、こんな枯れ木も
山の賑わいの見栄大会で何が楽しいのだろう。
小田急ホテルセンチュリーサザンタワーとはそういうホテルなのか。
着替えて11時に出発し、上野まで引き返す。実に無駄である。タクシー代だって30
00円はかかる。
通訳は到着していた。名人のMさんだ。彼女は上手い。
ずっと事前会議した。
13:00に大阪からSさんが来て討論がヒートする。
16:00頃まで喧々諤々となった。
夕方、二人をホテル帰す。
事後会議をする。
夜は23:00になってようやくホテルに帰れる。

10月17日(木)

僕はカナダ人とイギリス人の二人を東京に残して出発しなければならない。
マニラで仕事が待っている。
朝5時45分に起きてチェックアウトして新宿から成田エクスプレスに乗ろうとし
た。が、満席である。スーツケースを持ってJRで上野に行き、京成に乗り換えてスカ
イライナーで成田へ向かった。あの新宿の小田急ホテルセンチュリーサザンタワーに
は二度と泊まらないだろう。ホテルが悪いのではない。立地が駄目だし、成田エクス
プレはいつも満員だ。
9:45のJALでマニラへ飛ぶ。
空港でシンガポール人女性CとAと合流。
彼女たちはペニンシュラで、僕はインターコンティにチェックイン。ペニンシュラの
ほうが良さそうだから次回はあっちに泊まろう。
着替える。
フィリピンの系列局のオフィスで会議をする。
ここでのイベントは色々とこじれていて厄介なのだ。
17:00からシンガポールから来たクライアントも加えて会議
会場視察してからZENで夕食をする。マニラでの食事はどこも不味いが、この日本料
理は許せる範囲だった。
インターの地下WHERELSEで飲む。
高齢者ばかりが集まっている。
シンガポールと携帯で交信する。
今朝ここフィリピンのミンダナオ島のショッピング・センターで時限爆弾が爆発し、
7人が死に150人が負傷したらしい。
フィリピンの人々は好きだ。だけど、階級があって、人々は顔色を見ながら話すし
(それは日本も一緒か)、わけのわからない不透明な力関係や面子や何やらがあっ
て、外国人がビジネスするとなると厄介な国だ。
僕は正直、マニラとジャカルタへの出張は危険度を含めて、余り歓迎しないが、誰か
二つの都市に嵌っている水先案内人がいないと、やはりこの二つの都市は好きになれ
ないと思う。

10月18日(金)

ビジネスセンターにてメールのチェックとFAX書き。
シンガポールと更新してFAXの内容を確認。
11:00より会議だった。
今までの経緯を手厳しく非難され、先方のボスは出て行ってしまった。
仕方ない。
政府上層部と繋がっている会議出席者が、何か起こる、と予言する。警察関係の知人
からの情報が携帯にSMSで入っているらしい。警備体制を厳重にしてくれと言われ
る。
午後は会場に行く。が、誰も来ていない。
会場を仕切るマネージャーに挨拶し、ラップトップで週間報告書を書き終えた頃に
フィリピンの系列局の営業部長Bが出張ってくる。TAR(タレント&アーティスト渉外
担当)やマーケの人間も来た。
数日前、この営業部長Bに僕は爆弾を落とした。それで泡を食ってやってきてくれた
のだ。
このイベントは最優先で考えてくれているのだろう。
今更、当日になっては、後の祭りだが。
皆に挨拶して軌道に乗ったと判断してからホテルに引き返してビジネスセンターから
書類をメールで送る。
部屋で電子機器を充電しながら文書を書き、また会場に戻る。
クライアントのMさんが来て会場をチェックし、アジャストしていく。
最後の打ち合わせをする。
食事が始まり、飲料が出る。
カイラという有名な歌手が遅れで来られなかった。これまた、大いなる失望である。
フィリピンという国は非常に不思議だ。
シンガポールは透明性が高いし、人々には順法精神があるし、露骨に明らかな階級は
ないし、外国人にとっては非常に住みやすい。しかし、フィリピンのように強い階級
社会は人間関係に基づく早道、裏口入学、抜け道、目に見えない規約、エトセトラが
あって外国人にとってはエニグマだが、魅力は尽きない。
爆弾騒ぎが続いている。
だが、誰も気にしていない。
僕は9月11日の直前までニューヨークにいたし、同僚はバリにいて多くの友人を亡
くした。世界のテロが、とても身近だ。

10月19日(土)

モーニングコールなし。
これがマニラの一流ホテルだ。遅れるではないか!
タクシー運転手が言っていた。フィリピンのケソン市で路線バスが爆破されて3人死
んだという。18人が負傷だ。
悪いけど、こんな国、早く出るに限る。

10月20日(日)

一日、疲れて死んでる。





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