戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年10月21日~10月26日


2002年
10月21日(月)

相変わらず問題の台所の床を大工が直しにくる。
工事中はノイズと大鋸屑が出るので僕とリエは外出する。
セントラルのIFCまで降りて「あげはん」で食事する。天丼など。これが実に不味
い。油でべたべた。最低だ。それでいて310HKドルもする。当HPを読んでいる人は
間違ってもいかないように。これだけ払えば湯島の「天床」ならば極上のセットが腹
いっぱい食べられる。詐欺だ。二度と来ない。
リエを日本大使館の図書館に案内する。ここは非常に眺めが良く、色々な本が揃って
いる。
僕は彼女を置いて空港特急駅から旅立つ。
電話が次々に入る。トラブルばかりだ。
21:30頃に成田に着く。
UFJのATMがない。色々な人に聞いて探した。成田のATMは1階だという。ところがこ
の機械、時間外で駄目だという。何と遅れた国だ。どこの文明国でもATMは24時間
である。治安のいい日本でそれが出来ないのは銀行の怠慢だろう。
到着ロビーの両替はコーナーにはUFJとあるが、ここでカードを取り出しても無駄
だった。申請書に書いて両替しないといけないという。今どき、キャッシュはどこの
国でも、すっと両替してくれる。
僕は呆れた。で、つい窓口の男性に言ってしまった。「あなたに言っても仕方ないで
すけど、どうして経済大国世界第二位の日本の国際航空で、UFJのキャッシュカード
があってもお金が引き出せないんでしょうか。世界のどこの都市でもATMは24時間
やってるのに」
「すみませんが、そうなってます」
僕はむかむかしながら記入する。これじゃあ、日本を訪れる外国人が可哀想だ。しか
も、こんな両替、どこの国でも若い女性が一人で書類もなしで、ひょいひょい替えて
いる。ところがここでは白髪の老人二人とこの窓口の中年男性の三人がかりで両替と
いう単純作業をしている。これでそれぞれが年収で500万円から700万円も稼い
でいるとすると、失業者対策としか思えない。これじゃ、コストが高過ぎる。マクド
ナルドに毛の生えた程度の時給で若い人を雇えば、300万から500万円で済むだ
ろうから、三人合わせて1500万円以上の給料が、1000万円ほど浮く。余った
人員は、もっと経験が生かせる職場に移せばいい。
「これまた、あなたに言っても仕方ないんですけど、どうして三人でやってらっしゃ
るのですか? どこの国でも一人でやってますけど」
「間違いが起きないように、です」と彼は言った。
シンガポールで若者従業員が一人でやっていることを優秀な民族である日本人のあな
たは間違うというのか?
怒っている自分が見えた。何で僕は頑固爺なのだろうか。困った奴だ。
日本の金融は遅れている。
英国なんて10年前から24時間でATMをやっていた。アメリカだってそうだ。
日本の銀行は、ここ10年間進化しなかったのだから怠慢だ。
それ以外に表現のしようがない。
1989年頃に東ベルリンに行った時がこうだった。レストランに入るとコートを預
けるクロークに10人ほどの人員が配置されていた。クロークに10人はいらない。
べちゃべちゃ私語をしているだけだった。社会主義国に失業というものはなかったわ
けだが、実態はこうだった。
23:30にホテルに着く。
チェックインが遅いのでいらいらする。どいつもこいつもトロい。
部屋から国際電話がかからず、いらいら。
僕はオヤジになったのか。
どうしてこんなに怒っているのか。
仕事のトラブル続きでいらいらしているらしい。情けない。平常心はどこにいった。
僕は普通は動揺しないクールな人間だと思っていたが、大したことなかったな。

10月22日(火)

トラブル処理だ。
D社に出向く。
やれやれ。
真夜中までかかる。

10月23日(水)

カナダ人とイタリア系英国人を出迎える。N社長とN副社長とで。
また、延々とやりとりする。
ぐちゃぐちゃだ。
夕方、ミーティング。
光明が見えない。

10月24日(木)

朝4時おきでオークラへ。
数時間しか寝ていない。
5時20分、社長Fと全員で新幹線へ。
広告代理店と企業に会う。
身内の行動に呆れる。
責任を取らない人間の醜さ。
辟易する。が、まあ、反面教師として勉強になった。
香港に電話する。リエが病気だ。台所はまだ故障している。心配だ。一人で逞しく生
きて欲しいけど、水をやらずに弱ってしまった植物のようになってしまったリエを救
わなければならない。
彼女の母親を呼び寄せるか、僕が土曜日のクアラルンプール出張をキャンセルして、
ソウルに行く直前に香港に立ち寄って看病するか。
午前2時まで働く。ほとんど24時間働いている。
オフィスを出てから酒を飲む。煮込みとレバニラも食べてしまう。体に悪いな。

10月25日(金)

また同じことを考えた。リエの母親を呼び寄せるか、僕が土曜日のクアラルンプール
出張をキャンセルして、ソウルに行く直前に香港に立ち寄って看病するか。或いは僕
のオフィスの秘書、香港人女性Mに頼んでお粥と野菜をデリバリーしてもらう。
彼女が出社した頃に電話を入れて頼んだ。
秘書のMさんは自ら、花束を持って、お粥と風邪薬を運んでくれたようだ。電話をす
ると、リエの声は非常に元気になっていた。
また後で電話するとカードを作りに遠方の移民局に行けるまでになったという。花束
とお粥の効き目は予想以上だった。
僕はD代理店とT社でミーティング。
疲れた。
外で一人食事する。居酒屋だ。レバニラに酒。
きゃばきゃばした派手な女性が二人、一人の赤ん坊をあやしながら、水商売なのだろ
う、「じゃあ、これからオヤジ騙してくるから」と出勤前の挨拶をして出ていった。
オフィスに戻って追いかけ作業をする。
午前二時まで働き、ぼろぼろ。

10月26日(土)

午前7時には起きて荷造りしてチェックアウトしてタクシーを拾って京成上野からス
カイライナーで成田第二ターミナル。糞みたいに混んでいる。なんなんだよ、この糞
みたいに混んだ馬鹿空港は、と怒る僕は、やはりストレスが溜まっているのだろう。
10:30の便でクアラルンプールへ。
ここ数日、香港、東京、大阪、東京、クアラルンプール、ソウル、香港という旅程
で、先週はマニラ、先々週は台北、またじきにジャカルタに行く。
11月も12月も毎週海外の各地を飛び回ることになる。
こんな生活を続けて12年にはなる。
ちょっと堅気に戻りたいと思う。疲れた。
ソウル行きのチケットをコンシェルジュに調整してもらう。駄目だ。
夕方、会場に向かう。
なかなかいい。
集まってくる若者も上等だ。
Kの彼女と友達が来た。
楚々とした目の大きな相当の美人で、もう一人はケバいモデルのような美女。膝上3
0センチくらいのピチピチのミニを着ている。
香港のリエと携帯で話す。
モスクワの劇場の人質は強行突破でかたがついたみたい。
イヴェントは成功裏に終了した。
Kさんが近づいてきた。ケバいモデルのような方が「彼って、キュート」と貴方の事
を言っているから話してみて、と嘘か誠か僕をそそのかすので、ケバ・モデルと話し
た。
なんと、21歳だという。こっちはバブルの東京を経験した45歳である。
Kさんから四人で外に食べに行こうと誘われるが、俺はいいよ、と答えた。21歳の
ケバいモデルと食事に行かない自分というのは10年前なら考えられなかったろう。
僕はホテルまで歩き、部屋に戻って寝た。
できるだけ眠っていたい。






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