戸田光太郎の2000年日記

2000年3月19日

2000年
3月19日(日)

起きて読書してニュージーランド人のMTVヨーロッパ社長に貰ったシングルモ
ルト・ウィスキーを生で飲む。朝からいいのだろうか?
まあ、いいや。
酔った。また禁酒しよう。シンガポールは薄着なので体の線がファッションとな
る。
お茶を作る。
玉葱を胡麻油で炒め、卵を落とし、冷や飯を入れ、成田で買った高菜を混ぜ、細
かく切った沢庵を振り掛けて焼き飯を作ってリエに食べさせる。
僕はアジアで美味しい物を食べてきたので、彼女に対する罪滅ぼしである。別に
遊んできたわけじゃないのだけれど。
リエは僕が東京で買ってきたシンガポール本に夢中である。目が夢見る夢子に
なっている。
裏手の公園を散歩した。パンジーや木蓮や椿が咲いて春を感じさせる。春の光が
芝生や英国風住宅を輝かせている。街路樹はまだ裸だ。
美しいな。
二人とも永住権があるのでいつでも帰れるが、こうして見る英国の風景は名残惜
しくもある。
駅前のカフェでカフェラテとカプチーノを飲む。
リエが空腹を訴えたので家に戻り、ご飯を炊く。
昨日市場で買ったアスパラを、茎の部分から煮て、頭の部分を時差で加え、取り
出してバターで炒め、醤油を振って前菜とした。
アボカドを切って山葵醤油で食べる。これまた前菜。
イタリア赤ワイン、キャンティを抜いて飲んだ。
そのうちにご飯が炊けて、成田で買ったレトルトの鰻を載せてタレと山椒を振っ
て夕食。お吸い物も作る。
食後、リエは勉強。僕は東京で買った村上春樹著の短編集「神の子どもたちはみな
踊る」読了。△。神戸の震災が間接的なモチーフとなっている。同著者のこの路線
では十数年前の著書「回転木馬のデッドヒート」の方がずっと出来が良かった。震
災ということでは田中康夫の日記の方が直裁的。作家というものは上向きのベク
トルで確実に成長するというものでもないようだ。続いて台湾の政治家の本に取
り掛かる。




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