戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年10月27日~10月31日


2002年
10月27日(日)

正午まで寝て疲れをとろうとしたが午前9時には目覚めてしまった。残念。
今晩、午前1時10分の韓国行きマレーシア便が出るまでには相当の時間がある。一
人でどのように過ごすか。
今日のテーマを「自分をいたわる」に決めた。テーマに沿ってチェックインの時間を
レセプションに聞いた。
正午だと言われた。ぎりぎり遅らせて午後2時だという。
午後2時までベッドでごろごろ新聞と雑誌と本を読み、チェックアウトしてから美味
しい物を食べ、午後4時頃にマッサージをしてもらって、すっかりリラックスしてか
ら、ぶらぶらして午後6時頃には空港に向かい、マレーシア航空のラウンジで遅れに
遅れている日記でも書いて数時間を過ごすか、と頭では組み立った。
そう考えてから、もう一度眠ろうとするが駄目だった。
諦めて起きる。
バスタブにお湯を溜め、浸かる。
3階に行く。ヘルスクラブとプールがある。受付でマッサージを4時に予約した。
マンダリン・オリエンタルの隣のショッピング・モールを散策した。
ここには何度も足を運んでいる。
紀伊国屋で本を買った。ここの紀伊国屋は伊勢丹の中にあるのだが、シンガポールの
高島屋に入っている紀伊国屋と同様に大きい。
海パンを伊勢丹で買う。
マッサージを予約。
部屋に戻って衛星放送のNHKを見た。
上田正樹が小学生に音楽の楽しさを教えるというドキュメントだった。
町興しのために、小学生が練り歩くリオのカーニバルみたいなことをやる。
歌を練習したり、化粧したり、最後は喧騒を作りながら、次第に高揚していく子供た
ち。
むちゃくちゃ馬鹿なことをやって弾けることも必要なのだ。
「皆さ、これからも楽しいって気持ちを大切にして、それを大人の人にも伝えて、皆
を元気にしてあげるといい」と駅で子供たちにお別れをする上田。
僕は何となく泣いた。
僕も子供の頃にこれに参加したかった。
海パンを履く。
荷造りしてレセプションまで降りてチェックアウトし、ホテルのマッサージをキャン
セルし、新聞と新書ノヴェルを持って3階のプールサイドに行く。
素晴らしい眺めだった。ここマンダリン・オリエンタルはなかなか立派なホテルでこ
のプールはツインタワー前の広場の緑が見下ろせて、いい。
重ね積んであるバスタオルを二枚取り、デッキチェアに横たわって、ボーイに白ワイ
ンを運ばせて、読書した。有栖川有栖の書いた「マレー鉄道殺人事件」だが、全然面
白くない。文章はチープだし、人物は薄っぺらいし、こんなものがプロとして通じる
のが不思議だ。こいつの書いたものは初めてだが、二度と読まないだろう。
プールで泳いで振り返って気づいた。プールサイドに並んでいる人間は白人と日本人
だけだ。どうして日本人だとわかるかというと、皆、文庫本を読んでいるから。
こんな贅沢な空間を占拠しているのはいち早く植民地を築いた白人の末裔と、植民地
化される前に近代化を進めた日本人の末裔だけなのである。
マンダリン・オリエンタルは香港が本店で、バックにあるのが、有名商社ジャーディ
ン=マセソン=グループ(Jardine Matheson Group)だそうだ。で、この商社の出自
は麻薬ディーラーである。19世紀に清朝中国へアヘンを売りつけて、アヘン戦争の
原因をつくったふたりの商人、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンの
始めたジャーディン・マセソン商会が発展して一大商社となったのだ。後身である
ジャーディン・マセソン社は1963年にマンダリン・オリエンタルを香港でスター
トさせた。でも1984年には香港の中国返還が正式決定される前に、登記上の本社
はバミューダに移し、94年には、持ち株会社のジャーディン・マセソン・ホール
ディングをはじめジャーディン系企業数社が香港証券取引所の上場を取り止めた。中
国側の乗っ取りを恐れてだという。
シンガポールの自動車販売会社、サイクル&キャリッジ(C&C)は三菱自動車、マツ
ダ、メルセデスベンツ、プロトン、起亜自動車、フォードの販売代理権を保有してい
て、僕は最近ここと仕事をしたが、C&Cの筆頭株主もジャーディン・マセソンであ
る。この企業、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(MHLV)グループとも関係ある。
植民地時代からの既得権が脈々と続くのこ世界で、これだけの不均衡が存在するのだ
から、非白人かつ非日本人で過酷な状況にある人間が、リゾートで爆弾を仕掛けるこ
とは理解できなくはない。
ボーイに頼んで、果物とブラディーマリーを運んでもらうが、僕が彼の立場だった
ら、(こいつら皆死ね)と思うだろう。
陽が弱くなる頃、雨雲が出てきて強風となった。
パラソルが閉じられる。
服を着て、隣のショッピングモールへ行く。
フットマッサージが主流。僕は肩が凝るのでこれはあんまり。
一人でショッピングモールを散策するのは味気ない。リエと二人だったら楽しかった
ろう。
まだ空港に行くには早い。モールの中の映画館で「バリスティック」を見た。×。最
低だ。アントニオ・バンデレスとルーシー・リウが主演だが、全くの馬鹿映画。どう
してこんな映画ばかりになってしまったのだろう。カンフーと弾丸と爆破とカンフー
と弾丸と爆破だけの映画で、これは小学校低学年向けの漫画である。どうしてこんな
に金を遣って、どうしてこんなにお寒い内容の映画しか作れないのか?ルーシーはTV
ドラマ出身で、もともとそういう格の女優だが、アントニオはこれでいよいよB級の
坂を転がりだした。やはり英語の発音に限界があるからかもしれない。強烈なスペイ
ン語訛りが抜けないのはアンディー・ガルシアと同様で、彼らは役柄に限界が出てく
る。
アンディー・ガルシアも年齢と共に最大の武器だった「セクシー」さが抜けていく
と、一挙に「オーシャンと仲間たち」のリメイクでのような、つまらない脇役に転落
していく。
アントニオもセクシーさが抜ける前に次の布石を打っておかないと生き残れない。こ
の馬鹿映画に出たのは間違いだった。これはシーゲルほどの大根で間に合う映画だっ
た。
映画館を出てもまだ時間がある。ソウル行きの便は午前一時過ぎだ。
イタリアレストランで軽く食べ、ビールとウィスキーとブラディーマリーを飲む。
ホテルに引き返し、荷物を拾い、タクシーで空港へ。
MH(マレーシア航空)のラウンジはがらがら。とても広い。
午前一時の便で韓国へ飛ぶ。到着は明日だ。

10月28日(月)

朝8時、韓国はソウルのインチョン空港に到着した。
昨日プールで泳いでいたのが不思議なほど、こちらは寒い。
リムジンバスで市内に向かう。1万1千ウォンだ。
リッツ・ホテルに到着したのは一時間半後で、10時を回っていた。
ホテルの部屋から各所に電話する。
韓国人スタッフと打ち合わせしてから大型タクシーで移動しながら打ち合わせを続
け、そのまま
13:30にグランド・コンティのロビー階のカフェに関係者8人が集まって打ち合
わせ。
その後は会場に向かう。
会場はショッピング・モール内のコンサート・ホール。
作りが立派。アニメ映像も特注され、それを大きなスクリーンで流していた。カメラ
も多い。本格的だ。
18:30に皆が到着し、あとは本番があれよあれよと進行。バックステージとス
テージと二階のカメラが立体的に展開する。バックステージはコメディアンのような
太った司会者で、コンテストに出る人々を楽しく激励する。二階の担当司会者は韓国
美人である。
韓国チームのプロフェッショナルなことに大いに嬉しい驚きを覚える。
チームと一緒に焼肉を食べ、酒を飲む。韓国飯は本当に旨い。
韓国系列局の新社長が車でホテルに送ってくれた。
僕はホテルに帰ったふりをして、また暫く一人で飲んだ。

10月29日(火)

夕方の便で帰る。
夜、香港に着く。
疲れた。

10月30日(水)

実に久しぶりの香港オフィス。
ばたばた忙しく過ごす。

10月31日(木)

昼休み、オフィスの近くでリエの誕生日のプレゼントにとペンダントを買う。
同僚の女性Rの携帯に電話して情報を得る。
彼女の友人から、透明度、クオリティー、カラット数と値段の相関関係を教えてもら
う。
損はしてないと思いたい。






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