戸田光太郎の2000年日記

2000年3月21日

2000年
3月21日(火)

ロンドンのリクルート会社から電話。英国のコンサルタント会社との面接を今日
の午後5時半にして欲しいとのこと。僕より年長の経理畑のツワモノが候補にい
るらしいが、あまり元気がなくてアングロサクソン受けしないらしい。アジア地
区担当のインド系英国人と面接することになる。僕はコンサルタントも経理も出
来ない。唯一、大法螺吹きだけは可能だ。「シンガポールも東京も給料交渉の合意
点は出てないのでまだオープンでいたいと思います。面接させてください」と答え
る。
午前10時過ぎ、上級副社長Cに電話してみる。「折り返し、2分後に架け直す」
と彼。なかなか決まらないものだ。
シンガポール旅行中に使っていたノートを引っ張り出して、争点をメモする。ど
の点は譲れるが、どの点は譲歩出来ないかを明確にしておく。
電話が来た。
英国人副社長Cの言い分が、今度はスッキリきちんと構築されている。一、二、
三、と。
問題無く合意できる内容だが、そこですんなり合意すると、相手が(もっと買い
叩けたのでは?)と疑念を抱くと思ったので、「米国系の映画会社支社長のポスト
はもっと多いオファーでしたが」と水を向ける。と、
「生活コストと税率を含む手取りベースで考えてくれ。悪くないはずだ」とCは反
論した。
「そもそも僕はまだ東京に戻る気がない、という事実は映画会社のオファーに対す
る僕のネックではあります。映画は大好きなんですけれど」
「それはそうだろうが、我々の提案は、どんなもんだろう?」
僕は一呼吸置いた。「お引き受けしたいと思います。少々付帯条件付きで」
「じゃあ、人事の女性担当から契約書を書かせてファックスでそちらへ送る。その
条項を検討してから送り返して欲しい。いつから来れるだろう?」
「労働許可申請はどのくらいの日程がかかりますか?」
「三週間くらいだったかな。何か問題は?」
「問題?」
「前科とか」
「え?」
「実は俺、英国で飲酒が過ぎて豚箱入りしたことがあってその記録が問題になって
ね、当時」
僕は笑った。「僕はブタの白ケツより綺麗な体です」
Cは笑った。「じゃあ、人事担当には君からも直接連絡してくれ。これから色々と
やりとりしてもらうから。で、いつ来れるのかな?」
「労働許可が3週間なら余裕を見て4週間ですが、数週間のうちにまたシンガポー
ルへ、今度は妻と行って部屋を決めますから、なんだかんだで5月初旬か中旬に
なると思いますね」
「了解した。俺は非常にハッピーだよ、君が来てくれるのは」
「僕もハッピーです」
電話を切った。
さて、お祝いだ。
1月21日からの孤独な戦いが2カ月後の3月21日に、一応の落ち着きを迎え
たことになる。
今日リエは大学院に行ってしまったので一人でパブに行ってジョン・スミスのエク
ストラ・スムースを2パイント飲みながらフィッシュ・アンド・チップスを食べ、吉
本ばななの最新作「不倫と南米」を読んだ。相変わらずの吉本節である。△。
以下の一節には強く同意する。
「日本人だと、もしかしたらお礼を言い合ったり、気を使い合っているうちに、な
にもかもだいなしにしてしまいかねない」
先回りして気配りする、というのは日本人の美点であり、弱点でもある。そうい
うことが通用しない相手がこの世に存在するのだという視点がないと痛い目に合
うのだ。
メイダ・ヴェイル自宅からポール・モールにあるビジネス・クラブ「インスティ
テュート・オブ・ディレクターズ」までゆっくり一時間半かけて歩く。歩きながら自
分のキャリアをコンサルタントという観点から考えて纏めた。
17:30ジャストに相手が現れた。
相手は恐らくインド系の入った青年だ。
色々と経歴を聞かれた。
最初の「米資系食品会社」におけるストアー・マネジャー業務は従業員管理、品質管
理、サービス管理、仕入れと在庫、金の管理と地域マーケティングを経験した、
と説明した。嘘ではない。次に任されたスーパーバイザー業務はそれを多店舗で
展開して見守る医者のような役目で、必要とあれば地域のセールス・プロモーショ
ンを企画した。最終的には取締役会とも関わる戦略的な部署に配属された、
云々。テレビ局の仕事までもマーケティングのコンサルタント業務をしていたと
いう切り口で説明した。確かに折衝相手は欧州各国の支社長レベルだったから全
くの法螺ではない。
興味を持たれたようなので既に今日の朝来たシンガポールからのオファーと東京
でのオファーの内容を話した。値段を吊り上げる交渉材料として、だ。
この青年はアジア担当で、香港本社にいる。僕には香港の仕事を、と考えてお
り、香港の低い所得税を考慮して給料を逆算してカウンター・オファーしてみる、
という。面白い。
一時間半ほどの面談で握手して別れる。家に電話するがリエはまだ帰っていな
い。
空腹なのでソーホーのフリス通りにある寿司とカラオケの「大ちゃん」で特上を
握ってもらい、一人前をカウンターで食べながら一人前をリエのため、土産にし
てもらう。旨かった。
結局リエの帰宅は12時近く。カナダ人女性Aと明日のプレゼンテーションの仕
込み。
特上寿司は敢え無く冷蔵庫へ。



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