戸田光太郎の2000年日記

2000年3月24日

2000年
3月24日(金)

かなり早くから起き、バスタブに浸かり、スーツを来てパディントン駅からBR
(英国鉄)でレディング傍のモティマーのセミナー会場に行く。ゴルフ場もある
広大な敷地だ。
ここでコンサルタントになるためのアセスメントがある。英国人二人に日本人二
人が候補と聞かされたが、英国人女性が一人と日本人女性一人に僕だ。
講師は英国人女性(おばさん)ばかり。これは、ちょっと活気に欠ける会社だ
し、やってる内容も退屈なので、「すみません、僕にはこれ、申し訳ないけど、と
ても一日中やっていける自信はありません」と二人の女性を残して立ち去った。
なんだ、なんだ、こいつは、という騒然としたムードになり、一人の講師に別室
で説得されたが、もう面倒なので勘弁してもらった。
こんな面倒臭いことを教わる気もなければ、教える立場にもなりたくない。脳が
腐りそうだ。
御免ね。
タクシーを呼んで駅の近くのパブでビターを1パイント飲み、ローストビーフの
サンドイッチを食べた。
電車で帰り、近所のパブでリエと待ち合わせ、リトル・ヴェニスのカフェで軽く食
事。
アメリカ人の中年カップルとその子供を観察した。
エッジウェア通りのオデオンまで歩いて映画を観ることにした。
「マグノリア」のチケットを買って劇場のバーで黒人青年バーテンとにスコッチを
注文して、「おっととっと、もっと注いでくださいな。おや、兄さん、気前がいい
ねえ」などとやりあって笑い合い、やがて映画談義になって最近何が面白かったか
などと話しているうちに雰囲気的に親しくなって、
「俺は従業員で招待券がもらえるんだ。『Three Kings』は良かったから、見てく
れよ。いつがいいかい?」と本気でチケット係りに電話して手配してくれた。
月曜6時半からの無料券だ。何ていい人なんだろう。
「マグノリア」は同若手監督「ブギー・ナイツ」(これでバート・レイノルズが一時息
を吹き返した)よりももっと洗練されていた。スタイリッシュな映像と語りなの
だ。複数のストーリーが交錯するのはロバート・アルトマンのお家芸だが、この監
督も達者だ。
この複雑な脚本を評価して出演したトム・クルーズは馬鹿ではない。キューブリッ
クの映画に出たり、自分のプロデュースする「ミッション・インポッシブル」の続編
を作ったり、とバランス良い仕事配分。人気商売の限界を知っていて、ずっと生
き残っていく賢い俳優だ。
さて、映画では、蛙が土砂降りとなる終盤シーンのイマジネーションとリアルな
映像には皆、ぶっ飛んだ。◎。この監督、三十前でこんな脚本を書くなんて末恐
ろしい。
帰りはブラック・キャブ。


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