リエが画廊で働いているので、僕は片付けと買い物をする。
僕の秘書をしてくれている香港女性Mが家に来るからだ。
シーザースサラダと、すしご飯と、おでん。
赤ワイン、日本酒を用意したが、M嬢が白ワインを持参してくれた。
リエが帰宅して楽しく食事した。
彼女は今晩12時から香港映画を見に行くそうだ。タフである。
リエとVCDを見る。チョウ・ユンファ(周潤發)の主演作「リプレイスメント・キラー」
だ。
先日、ラマ島のレストラン「レインボウ」に行こうとフェリー乗り場に向かっていたら、
チョウ・ユンファ(周潤發)が向こうから、にこにこ歩いてきた。背は高いが、オレンジ
のウィンドブレーカーにデイバッグを背負って、汚いヘビー・デューティーな格好だった。
それもあってか、ごく普通の気のいいオジサンという感じで、誰も振り向かず、ひょうひ
ょうと人ごみを進んでいった。僕とリエは世界的なスターの素朴な姿に好感を持った。実
は彼、我々が向かっていたラマ島出身なのである。実家に帰っていたところだったのかも
しれない。
さてこの映画、○である。思わぬ拾い物だった。「Face Off」で米国でのアクション監督
の地位を確立したJohn Wooのプロデュースで、監督はAntoine Fuqua。そして競演が、例
のウッディ・アレン監督主演「誘惑のアフロディーテ(Mighty Aphrodite)」で頭の天辺か
ら声を出して頭の弱い高級娼婦を演じていたミラ・ソルヴィーノMira Sorvinoである。映
画公開当時、テレビで素顔のミラ・ソルヴィーノが喋るのを聞いて驚いた。地声は低く、
非常に知的な早口だった。役柄とは正反対だった。実は彼女、ハーバードでアジア文化を
学び、北京語が話せるという才媛。逆に、広東語圏のチョウ・ユンファの北京官話は大し
たことないそうだから、ひょっとすると彼女の方が上手かもしれない。不思議な話になっ
てしまう。
で、今回のミラ・ソルヴィーノは地声で、クールな暗黒街の女を演じている。派手などん
ぱちの馬鹿映画だが、飽きさせないし、なんと言ってもチョウ・ユンファ(周潤發)の色
気は凄まじい。これが彼のハリウッド・デビューだそうだ。
やはり素ではオッサンでも銀幕でカッコいいのが映画スターなのである。
お腹が減ってないというリエだが、パスタに茸を数種入れて作ると、ぺろりと食べた。
昼はエスカレーターで下り、中華を食べる。
シンガポールにいる香港オフィスのスタッフK嬢と新しいプロジェクトについて電話。彼
女、僕のプロジェクトでオーストラリア、ジャカルタ、北京と忙しく動いてくれている。
午後二時まで香港オフィスで仕事、タクシーを拾って空港エクスプレス九龍駅で荷物をチ
ェックインする。満席なのでアップグレードされた。ラウンジも一段高いクラス。こりゃ
あ、広々としていて、いい。自分の親がソニーUSAの支社長か何かで、ハーバード・ビジ
ネス・スクールを出て要職に就いていれば若くしてファースト・クラスと最高級ラウンジ
が丁重に扱ってくれるのだろうが、こちとら、居酒屋のおばさんに「男前だねえ」とおだ
てられて日本酒の盛りを良くされただけで幸せになる程度の人間だから、安上がりだ。屋
台のコップ酒と同時に、キャビアとシャンペンも知っていれば完璧なのだが。ちなみに今
これは飛行機を眺めながら、高い天井のラウンジでシャンペンを飲みながらキーボードに
打っている。
16:15のキャセイで成田へ向かう。
機内食はエコノミーだろうとビジネスだろうと不味い。
ワインとチーズとクラッカーだけをもらう。
21:00過ぎに到着し、スカイライナーで京成上野。JR上野のラーメン屋「一蘭」で福
岡のとんこつラーメンを食べる。非常に混んでいた。値段は750円で福岡値段より高い
のだが、これだけ繁盛しているのは商売が上手いからだろう。酔っ払いが従業員にからん
でいた。むかむかしたので意見してやろうと向こう側の暖簾に入ったら、もういなかった。
従業員が「何かお探しですか?」と聞くので、
「今、変な奴がここにいなかった?」と尋ねると、
「ああ。色々な人がいますから」と飄々と答えていた。
消化のためにホテルまで歩く。
旧友のAと電話で話す。
十数年前、外資系某食品会社で一緒に働いていた我々は音楽が好きなのでバンドを組んで
いた。彼はベースだ。
そのバンドは解散コンサートを新宿のライブハウスを借りて自腹で敢行し、彼はアメリカ
に渡ってマーケティングのMBAを取得し、アメリカ系の自動車部品会社を経由して、コ
ンピューターのシステムを提供するアメリカの会社を立ち上げ、今は営業部長となってい
る。それが僕の理解だが、正しく問いただしたことはないので間違っているかもしれない。
彼がオハイオ州クリーブランドで勉学に励んでいた頃、僕はロンドンに住んでいて、一度、
彼のもとを訪ねた。
彼は電話口で某外資系某食品会社を最近訪問した話をした。
「とみかくさあ、あそこに行くとほっとするよ。だって、20年間、なあああんにも変わ
ってないんだからさあ。なんか、20年を飛び越えて、ただいまあ、営業から帰ってきま
したあ、って言ったら、誰も気にしないまま、そのまま働けると思うよ。それくらい変わ
らない。ここ20年間の世の中の激動から無縁で、なんていうか、俺は嬉しいよ。心のオ
アシスだな」
二人であれこれ話していると楽しくなった。やはり、同じ時代に同じことをやってきた人
間と話をするのは無条件に楽しい。
9時半にオフィスへ出て行く。
いくつかの残っているトラブルが指摘され、シンガポールに連絡。
香港の秘書嬢Mにシンガポールと東京のコンフェレンス・コールを依頼する。
N社長と板橋へ。営業である。いい感触を得る。
腹が減ってラーメン屋に入り、「全部入りラーメン」というのと餃子を食べる。葱とチャ
ーシューと海苔とゆで卵とメンマが入っている豚骨系で、なかなかだったが、分量が多く
て満腹を超えてしまった。
オフィスに戻り、同時通訳のMさんを交えてシンガポールとコンフェレンス・コール。制
作のトップから編成のトップ、現場の人間、経営のお歴々まで揃っていたので驚く。僕も
英語ではなく、同時通訳のMさんを通じて日本語で話した。
少しは物事が動くような予感がある。
次に日本の系列局の英国人Sと日本人Sが来社。
仕切りなおしてMさんの通訳で話し合う。
話し合いの後で英国人Sは帰り、日本人SとN社長と三人で寿司。「寛八」である。ここ
の寿司職人はシンガポールで握っていたことがある。
アンキモ、白子、さより、あなご、とろ、玉子焼き、雲丹などを食べながらビールと日本
酒。
食後、オフィスに戻ってメールをチェック。ちょっと前までシンガポール本社にいた中華
系シンガポール女性Jがオフィスに来た。福社長Nさんのところに居候しているのだとい
う。炊事洗濯をしているという。オフィスでもお茶を淹れてくれた。ストレスを抱えて猛
烈に働いていた彼女からは考えられないくらいリラックスしていた。
福社長Nさんが夕食を食べてないというのでまたまた「寛八」に行き、こんどは、ほとん
ど日本酒を飲んで過ごした。
帰宅は真夜中。コレステロールな一日だった。
7時に起きて7:30にはホテルを出て、立ち食い蕎麦で掻き揚げ蕎麦を食べて8:00
にはオフィスへ出る。N社長と8:30過ぎには出発して市谷近辺でミーティング。10:
30からは新人のNさんが合流して青山でミーティング、昼は少々余裕があって時間を持
て余した。
14:00にもう一つミーティングしてからオフィスに戻る。またシンガポールのJ嬢が
いた。そろそろ東京を出てローマにでも行こうかと考えている、とのこと。
メールと電話をする。
夜が空いてしまったので昨日電話で話した元バンド・メンバーのAに連絡してみる、軽く
食事でもしないか、と。
もはや東京に疎い僕にはわかりやすい場所を指定してくれる。マリオンの向かい、ソニー
ビル前の、TOSHIBAとネオンがある阪急デパートの地下2階のイタリアン・トマトの先
にあるバー、とのこと。
ホテルに寄って荷物を落とし、オフィスにも寄ってから銀座線でるとAがバーにいた。こ
の階にある割烹料理屋に行こうとしていたそうだが、満席で一時間先まで空かないとのこ
と。諦めて地上に出た。
「ちょっと軽くイタリアンでも食べるか」とAは言うが、
「日本にいるんだから、おやじっぽい居酒屋で小さいものをちょこちょこ食べるのがい
い」と僕。
ちょこちょこ和食系の飲み屋を覗くが、どこも満席。
不況だ不況だと言っている日本だが、師走のクリスマス&忘年会シーズンは健全らしい。
ようやく一件見つけて入り、豆腐、刺身盛り合わせ、穴子柳川、地鶏の唐揚げ、などなど
を食べる。
Aと四方山話をするのは実に楽しい。同世代だし、1980年代前半から20年もの付き
合いだ。
08:38のスカイライナーを逃してしまった。次は09:20までない。しまった。前
にもやったような気がする。08:55の京成特急に乗る。これなら09:20のスカイ
ライナーより若干早い。
空港で本を買う暇はなかったのが残念。
香港へ飛ぶ。
午後3時頃には着き、オフィスで働き、7時ちょっと前に日本料理屋「富」で接待。
食後は日本人女性のいるクラブへ。香港では初めての体験である。
午前二時まで飲む。明日は6時起床でバンコク出張だ。機内で眠ることになる。
早起きでCXのラウンジで向かい酒のシャンペンを飲む。寝てないので気分は最低だ。
09:10のCXでバンコクへ。昼前に到着し、ホテルのリムジンで市内に向かう。N社
長の携帯に連絡し、ランチを一緒にと誘う。道が空いていて半時間ほどでリージェント・
ホテルに到着し、部屋に荷物を落とし、スーツに着替えてからN社長と昼食。そのまま会
場に向かう。
既に渋滞となっており、通常の倍はかかった。
1時間前だというのに、会場はまだ出来ていない。ミニストリー・オブ・サウンドである。
「戸田さん、お疲れじゃありません?」
案の定、記者会見はほとんど1時間遅れとなる。スターも交通渋滞で遅れるのだ。
タイの人気歌手やグループが勢揃いしてメディアも多く集まって成功。スポンサーも満足
の様子。
夕方、ホテルに引き返し、同じ屋外レストランでN社長と食事してから部屋で休む。
夜にまた同じ会場にパーティーのため、戻る。
準備をチェックしていると携帯が鳴った。
昔、ロンドンのテレビ局で同僚だったドイツ人Aか
らだった。今夜のパーティーに彼ら夫妻をメールで誘っておいたのだ。
会場の下に彼らを迎えに行き、VIPの手続きをして、二階のVIP方面に招待した。
ドイツ人Aはタイ人の奥さんとロンドンにいた頃に結婚している。彼女はしばらくロンド
ンの百貨店ハロッズで働いていた。その頃より格段に英語が上手くなっていた。
この会場にはタイのトップ・スターが集まっている。Aの奥さんTを連れてスターとツー
ショットをデジカメで撮った。
Aも楽しんでいたのだろう、ロンドン時代のことなど、色々と話して楽しかった。
ホテルに帰ってN社長と香港チャイニーズI嬢と一緒にだべり、部屋に戻る。
ルームサービスでハンバーガーを注文してしまった。
体に悪い。
食事中の人は以下を読まないように。
目覚めた。
気分が悪い。
リージェント・ホテルの美しい大理石の広々としたバスルームに駆け込んで便器の中に吐
いた。昨晩というか、今朝のハンバーガーとビールが丸々出てくる。次は便座に座る。下
痢だ。流してまた蹲り、吐いて流し、また便座に座り、これを繰り返してへとへとになる。
寝ていたいが、一番の便で香港に帰ることにしているのでチェックアウトし、リムジンで
空港に向かう。チェックインして、まずトイレ。
ラウンジに入ってまたトイレ。
水分ばかり体から出すのでへとへと。
10:00の飛行機で香港に飛ぶ。
リエに病状を連絡して家でダウン。
Y2K 2000年日記 月別インデックス