戸田光太郎の21世紀的香港日記 2002年

2002年12月23日〜31日


2002年
12月23日(月)

朝は調子が悪かった。でも出社する。
18:00過ぎに皆は同僚の香港女性Rと英国人Bの結婚式のために用意をし始める。
僕はリエの画廊のあるホテルまで歩き、携帯に電話し、落ち合い、タクシーを拾って
香港公園の会場まで急ぐ。
運転手が間抜けで遠回りをしてしまった。秘書M嬢から携帯に電話があり、運転手に
抗議&説明してもらった。九龍半島の運転手が香港島の地理がわからないことはまま
あるが、こいつはただの馬鹿なのか、とぼけているのか。ぐるぐる回って、ようやく
着いた。
香港オフィスの皆がいる。
ステージはあるし、RとBの写真が引き伸ばされてステージ背景となっているし、二人
の名前がレーザー光線で会場を走っているし、派手だ。
白い花嫁衣裳のRと中国風花婿服のBに挨拶し、シャンペンを何杯も呑み、皆で踊り、
食べた。
司会は広東語と英語を操るRの親友I嬢。
英国人Bの花嫁に捧げる言葉に僕らは泣いた。
香港オフィスの連中の元気なことにリエは驚いていた。

12月24日(火)

元ミス香港の同僚Hがオフィスの会議室でビデオを見ていたので覗く。スイスのテレ
ビ局の香港を紹介する番組だった。ツーリスティックなスポットの紹介から、ここの
オフィスまで撮影されている。
で、スイス人女性レポーターが、このオフィスを訪問して、当の同僚Hにスイス系ド
イツ語で質問する場面があった。と、彼女はぺらぺらとスイス系ドイツ語で返答して
いたので驚いた。画面には10年前の、彼女のミス香港時代の写真まで出てくる。
「ねえ、ドイツ語、ぺらぺらじゃないの」と僕は驚いて言う。
「当たり前じゃないの!」と憤慨する彼女。Hは幼少の頃、スイスに留学していて、
スイス系ドイツ語は日々の言語だったのだ。
昼に全員で「富」で和食。しこたま日本酒を飲んで騒ぐ。
香港オフィスの人間は元気が良すぎる。
僕は彼らが、とても好きだ。香港人って、いいなあ。
オフィスに戻って働く。
今日は午後一時までの営業なのだが、僕はかなり遅くまで仕事した。
夕方にリエへのクリスマスの贈り物を買う。彼女の誕生日に買ったダイアモンドのペ
ンダントと同じデザインの、ダイアのイアリングだ。貧乏なので大きなダイアは買え
ない。ペンダントと両耳のイアリングを合わせても1カラットに到達できない。合計
0.74カラットくらいだ。それもまた愛嬌だろう。イタリアンを食べてからプレゼ
ントする。リエからはネクタイとカフスをもらう。有難い。
リエが今日、画廊で中国大陸女性Aと昨日の結婚式の話をしていたら、
「それって、ひょっとして香港公園?」とA。
「そうよ」
「彼ら、RとBじゃない?」と二人の名前をすらすらと口にした。
「知っているの、二人を?」
「いいえ。ただ通りかかっただけだけど」彼女は香港公園で「R&B」というレーザー
光線を見て、騒がしく踊っている人々(実は我々)を昨晩目にして、たまたま二人の
名前を覚えてしまったのだという。
これぞ、「屋外看板効果」である。

12月25日(水)

新婚ほやほやのRとBの新居で、クリスマス・ランチに招待される。
シャンペンと赤ワインを持って、自宅からタクシーを拾って向かった。
これがまた本格的な食事で、英国人Bの手料理が、なかなか旨かった。
酒も豊富。バスタブに氷を張ってシャンペンのボトルを並べ、次から次へと開けてい
く。豪勢なものだ。
しかも新婚だというのに、彼らにはアジア人の養子が女の子と男の子、二人もいる。
住宅事情の決して良くない香港で子供に個室を与え、インターネットを配信し、教育
を授けている。
身近な英国人が何人か、「自分には余裕があるから」ということで、こういうことを
しているが、感心せざるを得ない。
まあ、はたで見ているほど楽ではない何かもあろうが、親がいなかった二人のアジア
の子たちは、収容されていた施設にいるよりは、絶対に幸せだろう。少なくとも、物
質と教育の面では恵まれているはずだ。
英国人Bは本当に良く働く。皆に飲み物を作り、料理を作り、一人一人に心配りし、
見事なホストぶりだ。
リエも僕もすっかりBのファンになってしまった。彼は二人の養子に親切を押し売り
する様子もない。
映画あてジェスチュアー・ゲームに興じる。夜まで騒いで、帰る。
R&Bの生活の一面に触れて良かったと思う。
香港事務所所長Cの秘書Sの家族に会えたのも良かった。
毎日ランチしていても、職場だけではわからないものだ。
日本、オランダ、英国、シンガポールと色々な会社の様々な職場を経てきたが、香港
オフィスは規模的にも、いい感じだ。

12月26日(木)

リエは画廊へ。
早く帰宅した僕が夕食を作る。おでん、ご飯、明太子、大根おろしと魚。玉子焼き。
お腹が一杯。
明日から日本で年末年始を過ごすから、もう僅かな2002年の香港ライフとなる。

12月27日(金)

僕は早起きして朝食を食べる。
ご飯を炊いて大根おろしに明太子を入れたもの。
リエは11時過ぎに起きた。昨晩たらふく食べたので食欲はないという。
彼女にコーヒーを淹れる。
荷造りして12:30には部屋を出てタクシーで空港特急の香港駅でチェックインし
てから空港まで移動。リエはデューティー・フリーを渡り歩いた。僕はペーパーバッ
クを覗く。
14:30のJAL便で福岡に飛んだ。
全員年配で、おしなべて非常に不幸そうに見えるJAL職員の姿に驚く。自分の仕事を
呪っている人々の集団という感じである。
やはりJALより、SQの方法論のほうが正しいのではないか。元英国航空のスチュワー
デスだったリエによると、シンガポール航空は若者をどんどん採用して新陳代謝を良
くしている。つまり、ベテランを数年にして窓際に追いやる残酷なシステムなのだ
が、JALは少々前まで手厚い終身雇用のような形を取ってきた。ちょっと前までJALは
スチュワーデス一人一人をハイアーで送迎していたのを僕は知っている。そんな贅沢
がついにパンクし、派遣採用に切り替えたのである。明らかに本日の乗務員は終身雇
用時代の残党だろう。はるか昔の手厚い扱いで甘やかされた人々だ。その後、社員の
扱いは坂道を転がり、自分は老いるばかり、不満たらたらだろう。非常に乗務員は暗
い。人生の悲哀を感じる。こんなこと書くとJALから猛烈なバッシングがあるだろう
が、事実は事実だ。やはり、単調な業務内容と体力的な問題から、乗務員はある程度
新陳代謝させないと沈滞していくばかりではないのか。これは彼ら乗務員個人の問題
というよりはJALマネジメントの政策ミスである。半官半民の航空会社の油断であ
る。サービスだけではない。JALの設備はSQやSXより劣る。
こんなこと書いては刺される。来年、どうやって福岡に行けばいいのだろう? 手漕
ぎ船か?
という間、福岡空港に到着し、タクシーでリエの実家へ。
早速、義母、リエの母、つまり「リエ・ママ」が食事を作って歓待してくれる。
南蛮漬け。明太子。漬物。河豚の刺身などなど。味噌汁が美味い。
そして、ビール、日本酒、ワイン。
極楽である。
食後、タクシーを拾って「しろやま温泉」に行く。東京の町田にある「万葉の湯」と
同じ形式だが、こちらは湯を運んでいるのではなくて、地下から温泉が湧いてきて
作ったのだという。
体重を量った。78kg近い。75kgが平常なのに3kg増えている。やばい。
温泉のサウナに入り、76まで落ちた。
僕は通常75kgだが、実は70kgにしたい。
青少年時代は65kgだったのだから…。無理か。
体重を減らしたいと思った矢先、スリムなリエが、「一蘭」でラーメンを食べたいと
いう。
拒絶できなかった。上野と六本木に出来た「一蘭」では時々食べている僕だが、リエ
にそれほど機会はない。
食後、タクシーで帰宅すると午前様。

12月28日(土)

08:00前に目覚める。
僕らはリエ・パパ夫妻が住んでいた二世帯住宅の一階に居候している。ただし、この
二世帯住宅は介護のために作られたのであって、本来、我々を宿泊させるための施設
ではない。リエ・パパのお父さんはハワイで生まれた教育者だが、今年、亡くなった
(彼は英語がばりばりでピアノが弾けた)。母は施設である。それはこの日記のどこ
かに記されているはずだ。リエは今年、その時の福岡訪問をはじめ、ロンドンでの永
住権更新やブリュッセルで友人と再会、そしてチェコのプラハへの旅行途上での、マ
レーシアなど、出張の多い僕の範図を越えて旅行していた。しかも、まだ28歳にし
て北九州、福岡、東京は青山(小川宏ショーに「流れ」で、子役出演していた頃)、
大阪(大阪外語でペルシャ語を学んでいた頃と英国航空のスチュワーデスだった
頃)、ロンドン(ロンドン大学のペルシャと中国美術学生だった頃)、シンガポール
(画廊勤務)、香港(画廊勤務)と移り住んでいる。驚きだ。
コーヒーが飲みたくなる。厚着をして家をでた。
大濠公園方面まで歩いていると床屋があった。08:30オープンだというのでまだ
時間がある。ミスター・ドーナツでコーヒーを持ち帰り飲みながら、店内に入った。
パンチ・パーマだが、実直そうな50代らしき店長に散発してもらう。
散髪だけではない。弟子から、マッサージ、耳掃除、髭剃りなどをしてもらい、無精
髭は落とした。
二世帯住宅に帰り、リエ・ママに誘われて二階で立派な朝食を食べる。
お刺身に日本酒。明太子と南蛮漬け、漬物と味噌汁。日本茶。
旨い。
リエが起きてくる。同じような朝食を摂って、うっとり食べている。母の手料理は、
極楽だろう。
リエとリエ・ママと15:30に丸善集合を約束して天神に出発する。
丸善は偉い。何時間でも逍遥できる。
世の中には無数の知性が結集された贅沢な本が溢れるほど存在する。嬉しい。快感
だ。
リエがやってきた。リエ・ママとは別れてきたという。
本屋を未練がましくもう一回りしてから、ダイエーのショッパーズに向かった。
靴下とジャージを買うためだ。意外に、寒くなった香港でジャージの上下が入手でき
ないでいる。英国時代には防寒服がいくらでもあったのだが、常夏のシンガポール時
代に全て処分してしまった。ダイエーのショッパーズには靴下もジャージもあった。
ジャージを黒(僕の)と赤で購入しようとすると、リエが激しく拒絶した。「わたし
がジャージを着るようになったら、戸田ちゃん、わたしのこと、嫌いになっちゃうと
思う」
そういう問題だろうか。この時期、香港の自宅で彼女がキャミソールを着ていたら、
風邪をひく。
ダイエーのショッパーズ6階は書店になっている。そこで落ち合うことを約してリエ
はショッピングに向かった。
僕はそれからずっと6階の書店を堪能していたが、リエは現れなかった。
広い書店のあらゆるところを移動していた僕を見つけられなかったのだろう。公衆電
話から携帯に連絡すると、今、帰宅したところだとのこと。
やっぱり。
僕は地下鉄で帰った。
夜は、リエ・ママ特製ロースとビーフ。これが芥子とグレービーで、非常に美味かっ
た。
温泉にはいり、散髪もして、博多のラーメンも明太子も食べ、日本のテレビを見てお
酒を飲んで、幸せな年末である。

12月29日(日)

起きて一人で家の周辺を散歩した。
帰って昼食兼朝食を食べる。旨い。味噌汁を何倍もおかわりしてしまう。
義父の母、つまり義理の祖母を訪問。
その帰りに、リエの仕事関係の人を訪問。
寄ってみた図書館は閉館。
リエが空腹だというのでクレープを食べる。僕はコーヒーだけ。
タクシーで帰る。
僕はまた散歩に出る。
近所の古本屋巡りをする。
今回はどっさりと書籍を買った。
夜は西鉄駅ビルの「じゃんくう」で食事。
豆腐、かに、もつ、じゃんくうビール、大根サラダ、手鍋餃子、たこ焼き、中華前
菜、チヂミ、焼き蕎麦などにビールと酒と焼酎。
毎日ご馳走になっているので、ここは払おうとするが、リエ・パパの早業に負けた。
噂の本屋、淳久堂書店に行って驚いた。
4階全部が本屋。下手な図書館は足元にも及ばない充実振り。ここなら半日いても飽
きない。また書籍を購入してしまった。

12月30日(月)

朝、散歩する。
近所の古本屋が、いい。全集が色々と揃っていて、いい。ドストエフスキー全集3万
円、開高健の全集8万円などがほしい。志賀直哉全集もある。
10:30にもどってまだリエが寝ていたので、僕もベッドに入ると眠ってしまっ
た。
14:30を過ぎてリエ・パパ&ママと温泉に向かう。
まず、新生「VAN」に寄る。石津謙介スピリットが生きているのはごく一部で、後は
「ユニクロ」路線だった。
僕は黒いTシャツを買う。
リエ・パパ運転の車が、ナビで老舗温泉旅館「大丸別荘」に近づく。
楽市楽座に隣り合ってGEOという古本やCDを売っている店を通り過ぎた。
チェックインしたのは16:00近い。
毎年狙って満室で取れなかった旅館だが、今年はキャンセルが出て滑り込めた。
風情ある建築物で150年前に出来たのだという。増築を重ねてきたので廊下は迷路
のように入り組んでいる。我々は最も奥まったところにある、一番古くからある「大
正亭」という建物の中の、広々とした「常盤」という部屋だ。
居間が二部屋あり、隣が大きなトイレと個室風呂。寝室となる居間に隣り合って、鍵
の掛かるドアの食事の間がある。そちらにはもう食事の支度がかなり整っていた。そ
ちらに別の玄関と控えの間がある。廊下は日本庭園に面している。立派だ。
皆で温泉に向かう。僕とリエ・パパは24時間オープンの大正亭宿泊者専用の家族風
呂。これがまた普通の温泉の共同浴場くらいの大きさで、二種類並んでいる。
リエとリエ・ママは浴衣とドテラに着替えて、日本庭園を横切って共同浴場に向かっ
た。
大正亭宿泊者専用の家族風呂は両方とも非常に良い。共同浴場は暗くて湯気が強くて
何が何だかわからなかったそうだ。
さて、夕食だ。
冷酒とビールを頼んだが、テーブルには既に赤ワインが出ていた。
これが甘い。皆は旨い旨いと飲んでいた。若い仲居さんに聞いてみると、赤ワインに
焼酎と蜂蜜を加えた特製の食前酒なのだという。
先付、つまり、オードブルは、まず、1)蕪(かぶ)磨り流し。つるつるっと喉を滑
る。2)黒豆豆腐。これまた、箸で二つに切って交互に口に運ぶ。3)塩黒豆もさっと食
べた。4)銀杏は、ひらりと口に。5)数の子、昆布、スルメ、人参、飛子、いくらの
入った松前漬けも、するすると入る。そこに、ご丁寧に、6)河豚(ふぐ)寿司があ
る。白身の河豚に載っているのは、赤おろし、蟹味噌、岩塩である。堂々たる顔ぶれ
だが、これがまだオードブルなのである。果たしてデザートまで辿り着けるか、心許
無い。
さて、次は造り、である。1)鹿か2)鰤(ぶり)を選択しろといわれたにもかかわら
ず、鹿を選ぶと「売り切れ」と宣言された。なんだよ、それ。
仕方ない。全員、鰤一筋だ。
ご存知の通り、鰤というのは奥が深い。本来はアジ科海水魚で、体長は1mほどだ。
が、こいつはいわゆる「出世魚」で、成長につれて名前が変わる。関東ではワカシ・
イナダ・ワラサと呼ばれ、関西ではツバス・ハマチ・メジロとと呼ばれるという。も
う一つの説では、関東ではワカシ・イナダ・ワラサだけではなく、ブリと呼ばれ、関
西ではツバス・ハマチ・メジロだけではなく、ワカナ・ブリと呼ばれ、いずれにして
も、美味しいのは「寒鰤」(かんぶり)と呼ばれる冬だから、まさに旬である。
てらてらと舌に載り、旨い。
お次の「椀」も一筋縄ではない。蟹寄せ真蒸しの鞍かけに、銀杏と人参と柚子とホウ
レン草が入っている。
八寸というのが面白い。長方形の箱型器に八種類の珍味が揃う。
1) あん肝チリ酢
2) 海鼠(ナマコ)。海鼠腸(このわた)トロロ。「こ」というのはナマコ。
「わた」というのは、はらわた、だから、このわた、というのは、ナマコの内臓の塩
漬けである。旨い。酒が進む。
3) 蛤味噌ソース焼き。
4) 貝柱の昆布に、カラスミがまぶしてある。カラスミとは、唐墨と書く。本来
は、鯔(ぼら)や鰆(さわら)の卵巣を塩漬けにしたものだ。
5) 芹の塩酢和えに、椎茸とアーモンド。
6) 鮭の麹漬けにブロッコリーの軸。
7) 合鴨。味噌垂れ焼き。
8) 慈姑(くわい)煎餅、柚子甘煮。
これら8品が5cmx5cmの枠に収まって出てくる。つまり、横5cmx4=20
cm、縦5cmx2=10cmの陶器に並んでいるのだ。少量なので、ぺろり、であ
る。
酒が進む。
これでようやくコースの折り返しに辿り着いた。
さて、次は、蒸し物、である。
小茶碗蒸しの中身は地鶏のつくねと椎茸と銀杏。特に新味はない。
次は「焼き物」
はたまた鰤である。
鰤粕漬けの大根バター醤油焼きの菜の花、である。(先に書いたように蝦夷鹿ステー
キは売り切れ、である)
次に、酢の物。蟹、帆立の大根巻き蒸し、酢ゼリー、ホウレン草。
ご飯は、牡蠣雑炊。美味い。
最後はデザートの、蜜柑釜ゼリーとマデラ・ワインと栗金時。
食べたあ。
途中、食べきれないかとも思ったが、大丈夫だった。
満足である。
僕は共同浴場にトライした。湯気が凄かった。

12月31日(火)

素早く起きて会計を済ませる。今回は負けなかった。
リエの両親は先に帰ってしまい、僕とリエは12時まで風呂に入ったり、だらだらして
いた。
タクシーで西鉄の二日市駅。
天神で地下街をうろうろする。
リエ・ママの手料理を堪能して酒を飲んでいるうちに、肝心の紅白歌合戦も、朝まで
生テレビも観ずに眠りこけてしまった。
理想的な大晦日である。全く記憶が、ない。








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