戸田光太郎の2000年日記
- 2000年3月30日〜31日
2000年
3月30日(木)
- 昨日は相当飲んだらしい。めちゃくちゃ気分が悪い。二日酔いだ。
そんな状態も知らないリエは、旅行に出る前はいつもそうなのだが、遠足の前の
小学生みたいに大騒ぎで、服は何を持っていこうか、機内では何を着ていこう
か、お化粧はどのくらいしようか、本は何を持っていこうか、水着はどうする
か、と、ハイになったり、落ち込んだり、と忙しい。
「どうしてそんなに不機嫌そうなの?」と彼女。「私がはしゃいでいるから?」
いつも上機嫌な僕だが、不機嫌なわけでもない。二日酔いなだけだ。「いや。不機
嫌じゃないよ」
どたばたしているうちに18:00。エアポート・トランスファーの車が迎えに来
る。
最小限の荷物でヒースロー空港のターミナル3へ向かった。
免税店でグッチのバッグの新作が出ていた。取っ手が鎖のものだ。預金と就職状
況と過去数ヶ月の緊縮財政を勘案して、買ってあげてもいいよ、ということに
なったのだが、予算内で買おうとしたバッグの値段が、お客に差し替えられてい
て(これはよく起きる、とイタリア人スタッフが嘆いていた)、レジのバーコー
ドで値札より100ポンド高かったのでリエも僕も購買意欲が失せた。
いやはや。
21:05にシンガポール航空便が出た。
混んでいない。リエに三連の座席を確保する。彼女は爆睡した。
二日酔いの僕はボロボロである。読書する。
3月31日(金)
- 14:50にシンガポールのチャンギ空港に着く。
近代的な空港構内に感嘆するリエ。確かにスイス辺りの空港と変わらない。
タクシーで町へ向かった。
道の両脇の緑が濃い。その中でハイビスカスの紅が鮮やかだということに、南国
好きのリエが感動している。
ホテルも、まあ、立派である。
10階のビジネス・ラウンジでチェックインする。皆、「ミスター・トダ」と覚えて
いてくれた。訓練されている。
交代で風呂に入る。
アムステルダムの日系テレビ局から連絡が入っていた。東京にいる副社長に連絡
せよ、とのことで携帯に電話したが不通。
アムステルダムにファックスを入れておく。すぐアムステルダムから電話があ
り、東京からも連絡が入った。一件落着。
リエとホテルの周りを散歩した。
暖かい。
大きなショッピング・センター、ラッフルズ・シティー(広大である。一階には、
そごう、と、マークス&スペンサーが入っている。イギリスにあるものは何でも
ある)の上階のフードコートで韓国料理を食べる。
フードコートにはインドネシア料理、日本料理、中華、と色々小さな店が集合し
ている。食後はフルーツを絞ってジュースを飲ませるカウンターでジュースを飲
んだ。
部屋に戻ってまた風呂。
眠ってしまう。
二人とも夜中の12:30に目覚めた。
いくらも寝ていないのだが、時差だ。
午前1時には諦めて起きる。二人とも空腹だ。
ロビーに降りて、どこかこんな遅くに食事できるところはないか、と聞くと近く
のホーカーズを教えてくれた。
ホーカーズというのは屋台村みたいなものだ。
こんな時間なのに賑やかだった。
タイガー・ビールを飲み物屋台で注文し、海老麺(大きな海老が6匹入っていてシ
ンガポール$5。つまり、300円ちょい)と鶏とコリアンダーの入った粥
(S$2.5、つまり、200円くらい)とフルーツ。二人で1000円ちょ
い、というのが安い。
満腹の二人は部屋に戻っても延々と眠れず、テレビを見たり、読書したりした。
危険なパターンである。
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