戸田光太郎の2000年日記
- 2000年4月2日
2000年
4月2日(日)
- だらだら起きる。
タクシーを拾って、シンガポール西海岸に向かう。
昼の12時を過ぎているというのにイーストコーストのシーフード・センターが開
いていないので不安になったが、一番端の店が開いていた。中国人の初老の呼び
込みがアグレッシブだ。
テーブルに着く最初の客となる。目の前の籠に、黒々と、生きた蟹達の塊が蠢い
ていた。その向こうは海だ。沖には船。太陽は輝き、緑が燃えている。コースト
沿いの道を自転車や犬を連れた主人が行く。白人も多い。
空気は日本の夏のようにユラリと膨らんでいる。
「いいわあ。最高」と夏を愛するリエが言う。
「じゃあ、ビール」と情緒に欠ける僕は花より団子を取る。
まず広東料理「酔翁生海老=Drunken Prawn」を食べる。ウェイトレスがまず中国酒
(かブランディー)の入ったガラスの器に生きた黒目の海老をピチピチいわせな
がら運んで僕らに見せる。調理法を尋ねられ、蒸してくれ、と頼む。調理されて
きた海老は赤い。それをタレにつけてばりばり食べてビールを飲む。
旨い。
帆立てとアスパラ炒めと焼き飯も頼み、クライマックスは「ブラック・ペパー・クラ
ブ」だ。スリランカ産らしい蟹を目の前の籠から取り出して我々の了解を得てから
黒胡椒で炒めるのだが、これが味わい深い。堪能した。
客も増えてくる。
「また、帰る前に来ようね」とリエ。
タクシーを拾って(運転手によると、シーフード・センターは普通ディナーを食べ
る所なので昼間は閉まっているのだということだった)、ブギス駅近くの
SEIYUに行った。
シンガポール・フードフェスティバルというようなものが隣りのPARCOと一緒
に開催されていて凄い人ごみだ。和食からインドネシア食から何から何まであ
る。
4Fのレコード店でリエは山崎まさよしのシングルを集めたCDを買った。
アラブ通りを歩くが、日曜日のためか、人通りはない。
MRTでホテルに帰り、一休みし、10階のビジネス・ラウンジでEメールを
チェックしてから、ラウンジのバーで、ロンドンでいつも飲んでいるワイン「ヤコ
ブス・クリーク」を飲んでから出陣した。
スタンフォード通りを歩いて国立図書館に入る。
リエはロンドンで中国陶器とイスラム美術を学んでいるので、シンガポールでも
追っかけで勉強して学位が取れるか気にしているのだった。
美術に関する蔵書は充実していたようだ。
一安心で歴史博物館へ行く。
これは余りに手薄なのですぐ出てしまう。
1965年に出来た若い国だから仕方ないだろう。
閉まりかけた高島屋に駆けつけて「とん吉」でトンカツを食べる。旨い。シンガ
ポールに移住すれば何でもある。これは幸福であり、不幸である。
僕はロンドンでトンカツが食べたくなると、まずパンを買ってきて耳を乾かし、
大根下しでパン粉を作り、豚ステーキを買って包丁で筋きりしてカタクリコを掛
けて卵の黄身をくぐらせてパン粉を振って揚げていたのだ。
そんな面倒なことはもうしなくてもいい。
しかし、南方で日本兵がタロ芋を使って焼酎を作った喜びを今の僕は理解でき
る。同期の桜に喜んでもらおうと作ったタロ芋焼酎と、リエを喜ばせるために
作った手作りトンカツは同じだ。
そういうことも、これからは忙しくなって不可能だろう。
これは幸福であり、不幸である。
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