戸田光太郎の2000年日記
- 2000年4月3日
2000年
4月3日(月)
- 朝、3時頃に目覚めて眠れず。
リエを起こさないよう声を消したテレビでは小渕首相が卒中で倒れた(らしい)
ことが大ニュースとなっている。
シンガポール、ひいてはアジアでは日本のプレゼンスが大きい。英国では日本の
プレゼンスは相対的に小さい。フランスやドイツより小さくなるのである。これ
は地政学的な問題だろう。
午前11時にMRTタンジョン・パガー駅のテレビ局にリエと出向いた。人事部の
中国人女性の個室で話し合い、契約書に署名した。これで一件落着だ。
シンガポールの労働許可申請の手続き書類も提出する。
持参したものでは結婚証明が不十分だと指摘される。彼女の旅券に日本の外務省
からのスタンプはあるのだが、駄目だった。これは日本の区役所に再手配する必
要がある。
副社長の英国人Pに挨拶する。彼が家探しのアドバイスをしてくれた。
「僕は今、イーストコーストのコンドミニアムに住んでいる。MRTの駅からは離
れているのでバイク通いだ。大理石張りのとてもいいところで、プールやジムが
ある。この物件を探すまでには27件を3日で見た。朝9時から夜の9時まで、
一個所に10分くらいしかかけなかったりして駆け回ったね。とにかく、オー
チャード通りや、職場までの通勤時間が10分圏ということを考えると限界があ
るけど、我々ロンドンから来た人間にとっては通勤30分圏内なんて、どうって
ことないだろう? その通勤30分の半径でぐるりと囲んだ円内には、本当に色々
な物件があるんだ。これは多く見れば見るほど目が肥えて冷静に判断出来るよう
になる。何よりも多く見ることだ」
このPの言葉は堪えた。僕は最高で2社しか不動産屋に声を掛けていなかったの
だ。
MRTでホテルに帰り、他の不動産屋にも物件を集めさせる。
ショッピング・センター、ラッフルズ・シティーの和食屋で僕はカツ丼、リエは鶉
の卵の付いた笊蕎麦を食べる。
ホテルに戻って待つが、不動産屋が来ない。
40分遅れで来た。
ホテルを間違えたという。
不信感が芽生える。
提示した予算内での物件を色々と見る。中国人女性Jの運転で、助手は日本人女
性W。少々Wが抜けている。
予算はロンドンの2DK賃貸料と一緒なのだが、こちらではプール、ジム、テニ
スコートが付いたコンドミニアムになるところが違う。
住環境は良くなり、外食は安くて充実しており、日本の書籍も入手し易く、しか
も英語圏である。いいことだ。
最後に見た物件が気に入った。
新築のコンドミニアムで、プールが三つあり、テニスコートとジムがり、駅から
5分。この駅「ビシャン」には大丸がある。日本の食材はすぐ手に入る。
会社にもオーチャード通りにも30分以内だ。
9階、6階、3階の物件を見た。セキュリティーもしっかりしているし、ここに
入居すれば初の住人になれる。
魅力だ。
帰りはJさんの車で中華街で落としてもらい、餃子前門店の「京華小吃(チンホ
ア)」で各種餃子をビールを飲みながら食べた。これが、旨いのなんの。勤務する
テレビ局の目と鼻の先なので嬉しい。
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