戸田光太郎の2000年日記
- 2000年4月12日
2000年
4月12日(水)
- 英国人弁護士に電話する。
アムステルダム、東京、シンガポールとメールのやりとり。今度入社するシンガ
ポールのTV局が不動産屋に手付金として小切手を渡したとのこと。あとは契約
書だ。
シンガポールから国際郵便クーポンを送って依頼していた結婚証明が豊島区役所
から届く。リエがシンガポールに長期滞在するのに必要なのである。英訳を書き
込んでシンガポールにファックスした。
ピカデリー・サーカスに出て、食材を大量に仕入れる。クレジットカードの名前を
見た女子店員さんに「戸田光太郎さん、いつも楽しみにエッセイ読んでます」とフ
ルネームで言われて、「は。ありがとうございます」と小さくなって逃げた。今日
はずっと内向的な手続きばかりしていたから心が外に向いていない。普通は軽口
の一つも叩くのだが。
夕方、海外運送業者が見積もりに来た。日本人青年だ。少々白髪がある。彼を案
内して話しているうちに色々なことを知ってしまった。
彼は在英5年である。既婚だ。妻は英国人。彼女は日本語がペラペラだという。
夫婦の会話は日本語。
妻は高校をドロップアウトして日本に来ていた。日本で8年も暮らし、帰英して
からロンドンのSOASに入学した。
SOASはリエが院生として通っている大学だ。
彼の妻はSOASの留学生として札幌教育大学に来ていた。かれこれ7・8年前
のことらしい。
その頃、この運送業の青年は、建築事務所に勤めていた。主に橋を作ったりして
いたという。89年くらいがピークで、この頃にはピークを過ぎてはいた。が、
忙しい毎日ではあった。仕事に追われて。
で、彼は建築事務所の窓から通りを眺めながら煙草を吸って休憩していた。と、
下のバス停に女の子がいた。外国人のようだ。風の強い日だった。彼女は大きな
花束を抱えていた。そして彼と同様、煙草を吸っていたのだが、風でロングス
カートが翻るので、片手で花束を抱えながら片手で煙草を吸い、しかも煙草を
吸ってる方の手で風に翻るスカートを押さえる、という忙しい動作を繰り返して
いた。
その様子を上階の窓から見ていた彼は興味津々だった。(面白い子だなあ)と。
で、彼女が振り返り、目が合った二人は何かを感じた。
かなり距離はあったが、一目ボレ、と言っても差し支えない。
彼は階下へ降りていき、彼女と言葉を交わした。
と、彼女の待っていたバスが近付いて来た。
「明日、ランチしません?」と彼女が積極的に出て、彼も近くにある唯一の喫茶店
を指差した。
「じゃあ、あそこで」
二人は翌日にランチして、恋に落ちた。
彼女が英国に帰国してから、彼は建築事務所から独立した。彼女に会う暇を作る
にはフリーになるしかなかった。事務所の下請けを
したり、以前のコネクションから仕事を拾ったりして、半年働いては、半年英国
の彼女に会いに行った。
「大変でしたよ、集中してました」と彼は笑って話を続けた。
その遠距離恋愛に痺れて、彼はいよいよ英国に渡ることを決心する。
二人は結婚して英国に住み始めた。
彼は就職しなければならない。
まだ英語が出来なかった彼を助けて妻と設計事務所を回った。
その中で、英国でも屈指の設計事務所に向かった時のことだ。
そこは田舎だった。妻の運転で延々と走る。
助手席で田園風景を見ていた彼は(こんな田舎の設計事務所だったら喜んで迎え
てくれるだろう)と考えた。
と、設計事務所が森の中から忽然と現れた。
ガラス張りのモダンなビルだった。
彼の身は引き締まった。田舎の設計事務所、というイメージではない。
中に入ると近代的なオフィスになっている。
考え抜かれた空間だ。
製図版や大型のコンピューター・モニターに相対する設計マン達も垢抜けている。
そう見えた。
で、業界なら誰もが知る大御所、この事務所の主が現れた。
主は、この日本人建築家に、たった一つだけ質問した。
まず、主は紙にスルスルと見事な円を描いた。そしてある一点を指してこう言っ
たのだ。「ここに力を加えるとどうなるか、答えて欲しい」
彼は衝撃を受けた。これは設計の基本なのである。彼だって、コンピューターが
手元にあれば要件を入力して回答することが出来るのだ。現に、北海道で仕事を
している時は無意識のうちにデーター入力して処理していた部分だ。しかし、そ
こをおろそかにしていた。
「本当に、基本。設計の基本なんですよ。この基本さえ押さえていれば橋でもトン
ネルでも応用して作れるわけです。でも、僕にはそれが出来なかった」
彼は主の出題を前に一言も発っせられなかった。全身に汗が吹き出していた。
「うちの所員は皆これは算出できます」と主は言った。採用できない、ということ
だった。不採用だということ事態はショックではなかった。基本を押さえる思考
と、それがお手上げだった自分の落差は死刑宣告のように感じた。
「要するに、イギリスで建築家であるということは、ほとんど弁護士や医者である
というような専門性を有するということだったのですね」と青年は僕に説明した。
「日本には色々なレベルの建築家と称する人間がいて、それぞれが細かい仕事をこ
なして、どうにか食っているわけです」
それで建築家だった彼は過去5年間、ロンドンの熾烈な運送業界で生きてきたの
だった。
彼には将来の夢があるのだが、それは越権行為なので、ここには書かない。
「いやあ。戸田さんと話していると色々と喋りたくなってくるんですよ」と言って
彼は去った。
色々な人生があるのだな、と驚く。ここに書けなかった部分が特に。
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