戸田光太郎の2000年日記
- 2000年4月19日
2000年
4月19日(水)
- 朝食。納豆。大根おろしにシラス。味噌汁。ご飯。チャイニーズ・ブロッコリーを
大蒜で炒める。
僕は日本大使館に結婚証明の翻訳を取りに行く。費用は7ポンド。
MTVに寄ってシンガポールにファックスして電話で確認。
コピーをしているとISのカナダ人Jが近付いてくる。彼は物凄い読書家で、ヘ
ンリー・ミラーとローレンス・ダレルの話しなどをいつもしていたのだ。
「本は書いているかい?」と言われる。
「ああ」
「どんなの?」
「Doing business in WESTみたいな本」
「うわあ。何を読んでいる?」
「CEOになる方法。最低だろう」
「うわあ。最低だな。君の目指す方向ってわけ?」
「違う、違う。勘弁してくれ」
Jはミュージシャンとしてマックを使い始めてやがて凝ってしまってISに就職
したのだが、頭が良過ぎてすぐ出世してISのヘッドになった。最近結婚して
少々太って白髪が出てきたけれど、相変わらずハンサムである。
僕は買い物して帰途につく。
戻るとリエが散歩したいというのでリトル・ヴェニスの運河沿いカフェに向かう。
ところが運河沿いの手前で、カフェ・ルージュに入ることにした。
今日のスープとアップルのタルト。エスプレッソと紅茶。
となりに金持ち風の御婦人が二人。ペルシャ語の出来るリエが二人は上流のペル
シャ語を喋るイラン人だと囁いた。で、僕は図々しく「イランの方ですね。僕らは
日本人なのですが、妻がペルシャ語を喋るので、イランにも留学しているので懐
かしがっています」と水を向けたら、暫く3人で話していた。
途中から英語に。
一人の御婦人は25年もロンドンにいるという。1979年の革命からこっち、
ずっと戒律が厳しかったが、最近は親米開放派のハタミ大統領のお陰で緩んだ。
大統領は贔屓。云々。
上野で偽造テレフォンカードを売っている出稼ぎイラン人もいれば、こういう金
持ち御婦人イラン人もいる。革命で追い出されたのは御婦人の側で、出稼ぎして
いるのは原理主義者の方なのか。いや。原理主義者は偽造テレフォンカードを
売ったりはしないな。
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