戸田光太郎の2000年日記
- 2000年5月10日
2000年
5月10日(水)
- 9時ちょっと過ぎに日本人青年Iさん率いる4人の屈強な英国人(おっと、その
うちの一人はイタリア人。ヴェニス近郊出身)が現れて、どんどん手際良く荷造
りしていく。
月曜日に試験のあるリエは大学に行った。
400人も従業員がいるというので驚いたものだが、Iさんによると、こうした
個人の移動は3分の1に過ぎず、残りは「コマーシャル」と呼ばれる商業用のコン
テナ輸送などを行っているということだ。
Iさんも英国人と結婚していて子供がいる。
Iさんは渋谷のデパートで一昨年まで子ギャル相手に働いていたのだが、ある
日、ポツンと雨宿りしていた外人女性に傘をさして家まで送ったのが今の奥さん
である。彼女はNOVAで教えていたという。
積み荷を終えたのは13:30。それでも4時間以上掛かったのだ。荷物の多い
家だと09:00から18:30という場合があるという。どうして人間は荷物
が増えるのだろう。
リエが帰ってくると家が空っぽになっているので驚いていた。
家主のYさんが来る。彼はシンガポールの中国人だ。母国語は福建語で、香港
チャイニーズの妻は広東語がネイティブなので互いに通じない。だから中国訛り
の英語で意志疎通しているのだ。
今後の打ち合わせが済むとYさんは帰った。
僕の料理道具のほとんどはシンガポールに送ってしまったので、今夜は二人で近
くのタイ料理屋で「最後の晩餐」をした。
赤ワインを飲む。小さい海老の春巻きと、魚介類をタイ風ペーストで帆立貝に塗
り込めたものをパンと一緒に食べる前菜を摘まむ。
スープはトムヤム・ガイ。鴨のサラダは相変わらずとても辛いが、旨い。海老のパ
ド・タイで締めた。
腹いっぱいである。
帰りに、近くの店で留守中のリエが飢え死にしないよう、大量の飲料と保存食を
買っておいた。
リエが数週間離れ離れになるというので、いつまでもメソメソしていた。
可哀相に。
僕は日本男児なので泣くわけにはいかない。
明日御見送りするからネ、と泣きながら言うリエだが、朝に弱い彼女は絶対に起
きられないと僕は確信している。
そして、旅が多い人生を送ってきた僕は、特に見送りも出迎えもいらないと思っ
ている。
人に負担を掛けるのは嫌いだから。
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