戸田光太郎の2000年日記

2000年5月11日

２０００年
５月１１日（木）

僕は朝６時起きで書類を整理したり、郵便を送ったり、最後のお勤めを終えて予
約しておいたキャブの迎えで階下に向かった。ここでようやくリエが起きたが、
もう遅い。
｢しっかり、やってね｣と、僕は彼女に細かい指示書マニュアルを残してきたから
遺漏はないはず。
トヨタのミニバンの運転手は頭頂の禿げた黒人だった。野太い声。オープンな性
格だったので、とても話が弾んだ。
息子が１８歳でカメラマン志望だという。奥さんとなんとか彼を説得してカレッ
ジに１年間行かせることに成功したが、興味を示し始めてもっと勉強してもいい
という兆候がある。｢だからね、カミサンと二人でジワリジワリと２年制に行かせ
る方向に押しているんだな、これが。だけど、アザトイと一気に拒否されるから
ヤンワリとやってるわけですよ、これが。でも、本当は４年間通ってもらいたい
んだけどね｣
｢甘やかし過ぎじゃないかな｣と私。すごく甘いオヤジだと思う。｢不良仲間なんか
はいないといいんだけど｣
｢大丈夫。彼には２人、いや３人の親友がいて、これは、まあ、私が知る限りなん
だけど、彼らは皆、自分が何になりたいかというような将来像が明確で人生設計
が出来ていてヴィジョンがあるから、あまり変な方向にはいかないと思う｣
｢教育熱心だなあ｣
｢将来を考えるとね。坊主は喘息持ちでさ。弱かったんだ｣
｢僕も小児喘息だった。親には迷惑かけたよ。中学生になったら治ったけど｣
｢うちのは喘息のクセに煙草を吸っていたんできつく叱ったんだけど、奴の答えが
良かったよ。父さん、僕には色々なストレスがあるから喫煙で発散するんだ、っ
て。どんなストレスだ、って聞いたら、宿題のストレス、だって｣
僕は笑った。｢宿題のストレス？｣
｢ほらさ、テレビで、ストレスがどうのこうのと大人が言ってるだろ、あれを真似
してるんだな｣
｢オヤジのストレスは大変なものだ｣
笑う。｢そうそう。最近、坊主が髪を黄色く染めたのさ。俺は流行がそうなら仕方
ないか、てなもんだったんだけど、祖父、つまり俺のオヤジは激怒したね。どう
いう教育をしてるのかって｣
｢あなたが怒られるわけだ｣
｢カミサンも俺を責める。坊主は祖父を避ける。祖父は俺をナジる｣
｢ただ働くだけ｣
笑った。｢そう｣
｢息子を叱ったことは？｣
｢ないな｣首を振った。｢いやいや、あった。一回だけ。高校の時に何だか、勉強も
しないでぐうたらしていたから心配になって、しっかりしろよ、と、どついたこ
とがある。それ以来、問題ないと思ってる｣
僕はこの黒人運転手のキャラクターにちょっと敬服した。包容力がある。真面目
だが、ユーモアがある。｢あんたみたいなオヤジが欲しかったなあ｣
｢俺だって、俺みたいな話の分かるオヤジが欲しいくらいさ｣
二人は笑った。
｢日本人？｣と彼が聞いた。｢アメリカで教育を受けたのかな？｣
｢１００％、メイド･イン･ジャパン｣
笑った。｢何人も日本人を乗せているけど、余り喋らない人達ばかりだから、あな
たは海外育ちかと思ったよ｣
こうして愉快な会話をしながら昼のシンガポール航空でロンドンを後にした。ま
た、旅行で来るだろう。永住権もあることだし。

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