戸田光太郎の2000年日記
- 2000年6月1日
2000年
6月1日(金)
- まだ香港のハイアットに宿泊している。
部屋の窓辺から中庭のプールを見下ろす。
庭に面してジムがある。そこに並んだランニング・マシーンに、ずらりとビジネス
マンが揃って黙々と走っている光景がシュールだった。
ほとんど白人だ。
朝からそんなにムキになって走ってどうしようというのか?
アメリカ的な健康志向やポジティブ・シンキングが世界中に蔓延している。
酒飲みで、女ったらしで、不健康で、無頼な文学者が生きていける空間はここに
はない。
太宰治がこの光景を目にしたら嘔吐しているだろう。
ビジネスが世界を覆ってしまった90年代から2000年というのは、いったい
何なんだろう?
1968年の世界的な「造反」はどこにいったのだろう?
先細りのカルト宗教に姿を変えただけなのか?
世の中、精神を病んだ人だっているし、体が弱っている人だっている。怠惰に生
きることを志向する人だっている。
しかし、このハイアット的世界にそんなものは翳すらない。
僕自身、敢えて最近はビジネス本を読んだり、走ったり泳いだりしている。
本当は酒飲みで、女ったらしで、不健康で、無頼な部分が大いにあるのだが、そ
こは殺して生きている。90年代から2000年という時代が要請するからなの
か。
いや。
ある程度のビジネス的な基盤があると、経験の地平が広がる、ということがある
からだ。個人では限界がある。それは1月末から今までの経験からも明らかだ。
現代は、資本家と労働者という対立構造が不透明で、むしろ、「自己実現のための
就労」という考えが成り立っている。
だから皆、よりよい条件、よりよいポジションを目指して頑張っている。それに
はタフな精神が必要だ。タフな精神を支える入れ物は肉体である。だから、こう
して鍛えている。
しかし、これは、およそ、文学的な光景ではない。
反体制の戦士からビジネス戦士へ。
それが時代の流れなのか。
ビル・ゲイツが体現しているものが現代のラディカルなのかもしれない。
- そんなことを考えて朝から疲れてしまった。
朝から晩まで続くコンフェレンスに出席。
昼食の席でドット・コム系会社勤務の香港チャイニーズ女性と話す。以前、シンガ
ポールの日系不動産屋で働く、中国系マレー人と話していて聞かされた「1997
年の香港返還後、中国本土から安い労働力は流入して香港の賃金が暴落した」とい
う話の信憑性を尋ねた。
彼女はそうは考えていない、という。
会場に戻る。
途中、ステージに4人の香港の大スターが登場した。
大御所ジャッキー・チャン、アメリカ帰りの台湾青年ワン・ホー・リー、日本でも活
躍している美女ケリー・チャン、青年音楽家ニコラス・ツァイ。
ケリーは長身でもの凄い美女である。英語も達者。見ていていい気分になる。
ワンは米語のネイティブだ。
4人とも英語は達者。
夜は業界パーティー。台湾青年ワン・ホー・リーがライブをした。日本の歌謡曲み
たいで、少々失望。
ニコラス・ツァイのマネージングをしている会社の香港チャイニーズと話す。
「香港のスターは、結婚したり、恋人が発覚すると芸能生命が終わるんです」と、
彼。
「昔の日本の芸能人もそうでしたよ」と僕。
「その点、ジャッキー・チャンは公然と結婚して、でも、人気に翳りはなくて、い
や、子供から大人まで大人気なんです。人徳なのかな」確かに舞台の上の彼、余裕
綽々で好感が持てた。で、僕は話のついでに気になることを質した。「ところで、
香港人にとって、白人というのはどういう存在なんですか、一般的に言って」
彼はちょっと怯み、やがて、目尻に笑いを浮かべながら言った。「昔の世代にとっ
て白人は自分達より優れた存在と考えられていたことは間違いありません。で
も、1997年の香港返還から変わりました。政府要人やオエライさんは、それ
までいつも白人だったのですが、中国本土から人々がやってきました。我々に
とっては、なんだ、白人でなくてもいいのか、という驚きがありました。だか
ら、今の人は白人を特別視していません」
僕は彼の言葉を100%は信じられなかった。「でも、百年以上も押されてきた精
神的な刻印がそう簡単に消えるとは思えないのですが」
彼は沈黙した。やが口を開く。「旧世代はそうでしょう。でも、我々は違うな」
僕は3年間で精神的なものは180度変わるとは思えない。それが残っているか
ら彼は否定しようという精神が働いているのではないだろうか。
1997年から転換していることには疑いはないが。
- 次に、テーマパークのデベロッパーの日本人男性と、彼と働いている日本人女性
と話していたら、いきなり彼女に抱き着かれた。四年間英国にいたそうで、僕の
「欧州の路上で」を愛読してくれていたという。世界は狭い。
「ファンだったんです」と、また抱き着かれたところで、インド系シンガポール人
の同僚に目撃された。彼の顔には疑問符が浮かんでいる。
さて、どうして説明したものか。
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