戸田光太郎の2000年日記

2000年8月12日

2000年
8月12日(土)

昨晩はクライアントのアジア本部の面々とのホテルでの会議が紛糾して、そのク
ライアントの台北オフィスにこちらの台北オフィスの人間も集合して喧喧諤諤と
なった。北京官話と台湾語と英語のバトル。
リージェント・ホテルに戻って飲み、ファーイースト・ホテルで飲み直し、イタリ
ア料理を食べ、クラブに行き、深夜に及んだが、本日は早朝からコンサート会場
に立ち会いである。
雨模様である。
二日にわたるコンサートを待って野宿している若者の列がスタジアムを囲んでい
る。
若ければ、雨が降ろうが、野宿しようが、待たされようが、全て楽しいのだ。
僕には若い時からそういった根性はなかったが。
スタッフ・パスを胸から下げてスタジアムに入る。
巨大ステージで歌姫ココ・リーがリハーサルしていた。
エンディングで飛び上がって着地の「ドラム締め」、なんぞをやって風格である。
クライアントの提供するTシャツ10枚サインなどと頼んでいるのだが、彼女に
一喝されてもらえないかもしれない。機嫌がいい時なら問題ないらしいが。
楽屋や詰め所やクライアントのブースをまわるうちに大雨となった。
毎年、この時期には雨が降るそうだが、夜には止んで欲しい。
スタジアムの方に呼ばれて出向くと、テーブルに金襴緞子の祭壇が作られ、果物
や菓子が供えられている。長い線香に火がともされ、スタッフ一同に配られた。
イベント前の神頼みらしい。
僕も線香をもらい、祭壇に向かって、校長先生の方に頭を向ける朝礼の小学生の
ように整列して、他の台湾人の作法に倣った。
祈りの言葉。両手で線香を掲げ、下げ、掲げ、下げ。
線香を順番に祭壇に捧げ、位置に戻り、祈りに合わせて土下座して立ち上がり、
土下座して立ち上がりを三回繰り返す。
巨大ステージを背に、スタジアム観客席の向こうの曇天に向かって。
我々のような外様とは違って、皆、ここ数ヶ月はこれにかかりっきりだった人々
だから、きわめて真剣である。
天災、人災がありませんように。
僕もこういう儀式には身が引き締まる思いがした。
宗教的な儀式は、僕のような罰当たりな無宗教者にも、荘厳で美しいものだと思
わせる。
雨は小ぶりになったが、シートで覆われたグラウンドは相変わらずグチャグチャ
である。
会場の周りも歩いてみた。
日本とほとんど変わらない。漢字ベタなのを平仮名とカタカナのミックスにすれ
ば大阪辺りに見える。
延々と続く屋台街があった。これは極めて台湾的である。
そのうち18:00になって開場となった。
長い々い若者の列がスタジアムに飲み込まれていく。
19:00から開演。
我々がシンガポールから運んできたバーチャル・アイドルはステージの大画面で、
どうにか作動した。口の動きのセンサーが今回は快調すぎて、ノイズまで拾って
口パクしてしまうのが難点だったが、それも途中で修正された。
冷や汗ものである。
英国馬鹿娘3人の後に韓国のSMAP、神話がパフォームし、オン・エアされない
クライアントのステージ上での5分間の持ち時間というのがあったが、バーチャ
ル・アイドルは動いたものの、ステージのスクリーンが最後の最後にブラック・ア
ウトしてしまった。
クライアントは怒り狂い、中座、我々は台湾オフィスのヘッドとその上司の香港
オフィスのヘッド経由で号令をかけ、携帯とトランシーバーでバーチャル・アイド
ル担当者、プロデューサーを呼び出し、詰め所に緊急集合した。
15人ほど集まって対策を考える。
シンガポールから乗り込んだバーチャル・アイドル担当のプロデューサーによる
と、アイドルは完璧に作動したのだが、モニター画面が消えたのは台湾側のジェ
ネレーターが突然落ちたためだという。
何もこんな時にブラックアウトしてくれなくてもいいのに。
ステージでは平井堅が歌っている。声だけが届く。彼のパフォーマンスは直に試
たかったな。
我がニッポンのR&Bのスターは晴れのステージ。
一方、僕は楽屋で何をしているのだろう?
あれ? 耳慣れた旋律だ。
平井堅はスティービー・ワンダーの「LATELY」を歌っていた。綺麗な曲だ。彼
のルーツはスティービー・ワンダーだったのか。胸がうるうるしてきた。歌詞も泣
かせる。
LATELY、最近彼女の様子がおかしい。理由もなく外出するし、香水も変え
た。僕は楽天家の方だけど、涙が止まらない時があるんだ、最近。
インカムを付けた台湾のヘッドは本番台本を前に、今日明日のどこに同じ時間を
捻じ込んで再現できるか、頭を捻る。時間はギチギチに詰まっているのだ。コン
サートの場合、どこか数分でも間が抜ければ全体の印象がボケる。
再現する時間帯の候補が確定してから怒ってホテルに向かったクライアントの携
帯に連絡して、解決策を講じたから開場に戻ってくれと頼む。
待ち合わせたスタジアム外のクライアントのブースで落ち合い、彼らを詰め所に
導く。二人とも、ニュージーランドとオーストラリアの白人である。
二人は、詰め所に雁首揃えた草々たるメンバーに印象付けられたはずだ。こちら
のお偉方は勢揃いしている。
対策案の掏り合わせがあり、解散。
本日の一部実行され、クライアントは満足した。
残りの多くは明日実行される。
観客が潮のように引いてから雨が降り出した。
我々は台湾スタッフの先導でステージ裏に向かう。
監視にスタッフパスを提示して楽屋、プレハブ控え室に集合する。途中で司会の
ステイシーとジャネットに会う。ステイシーは画面だと大したことはないが、実
物はやはり可愛い。で、ジャネットの方は、性格はともかく、やはり綺麗な顔を
している。
集合した控え室は平井堅と表札されていたから、さっきまで彼が使っていたとこ
ろだ。ここに30人ほどのスタッフが集まって明日の進行のどこに潜りこませる
か話し合った。
ほとんど中国語である。皆、今まで張り詰めて仕事していたわけだからテンパッ
テいる。シンガポール本社から出張ってきて口出ししている我々は悪者である。
仕事だから仕方ないが。
今回の台湾出張で、北京官話(マンダリン)の必要性を痛感した。英語は大丈夫
だから中国語が加わればツブシがきくだろう。終身雇用が消えた時代の文系出身
者の護身である。
プレハブの外の嵐は強くなり、疲れた台湾スタッフは棘の視線を送ってくる。
いったいどうなるのだ?


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