戸田光太郎の2000年日記
- 2000年9月27日〜28日
2000年
9月27日(水)
- 真夜中の便で成田に向かう直前、リエの論文の添削をするロンドンの英国人テッ
ドに電話して交渉する。
9月28日(木)
シンガポール航空便が朝7時、成田に着く。
機内でうとうとしてそのまま仕事するのだから、タフ、である。
健康状態をチェックする黄色の用紙に書きこんでいると制作局長の英国人Dが通り
かかる。彼の引き摺る、銀色、ジェラルミンのオーバー・ナイト・ケースが、い
い。
「機内では眠れた?」などと会話しながら彼は「外国人」と表記された窓口に向
かい、僕は「日本人」に向かう。
今回、僕はビデオの運び屋をやらされているのでDの銀色ケースより大き目のスー
ツケースをチェックインしているのだが、これがなかなか出てこなかった。
イタリア系オーストラリア人のマーケティング局長Mがいた。英国人制作局長Dも
降りてくる。
DとMを引き連れて京成成田から、モーニング・ライナーに乗車する。
到着した上野駅でタクシーにDとMを押し込んで目白のフォーシーズンズ・ホテル
に送り込む。僕は立地の良さから、定宿のSに向かう。
チェックインする。カウンターにいるのは二人残ったオリジナル・メンバーの一
人である。
このホテルはロンドン在住の頃から使っていたのだが、名前がかわったり、フラ
ンス系のホテルに買収されたりで、目まぐるしく変化した。
旧ユーゴスラビア出身のポーターがいた時期もある。
僕は1990年辺りは何度もベオグラードに行ってサッカー・チームの提供スポ
ンサーの仕事をしていたので「元気?」とか「ありがとう」とか「綺麗だね」と
か言うフレーズは知ってる。荷物を持ってくれた彼に「フワラ」と言ったら彼の
目が点になった。
「いや、実は内戦前のベオグラードにはパルチザン・ベオグラードをスポンサー
する件で何度も足を運んだんですよ」
「ええ? パルチザン?」
「そう。レッド・スターが巨人だとしたら、パルチザンは全盛期の阪神ですか
ら」
レッド・スターのスタジアムは広かった。観客席は輝くような赤色だった。パル
チザンのスタジアムは見劣りした。
「パルチザンですか」と彼はまだ驚いていた。
「あそこに『タッシュ・クラブ』という、すごく気取ったクラブがありますよ
ね」あそこは見栄えのする男女の社交場だった。「もっと落ち着いた『ジョ
ニー・ウォーカー』にも行きました」
「おやおや」
彼は日本語が達者だった。英語も。
そんなことを思い出しながらホテルの外でタクシーをに手をあげた。
「回送」と出していたので無理かと思ったらタクシーはつんのめるように止まっ
た。
「近くて申し訳ないんですが、湯島天神の前まで」と言うと
「いえ。いいんです。ええ。はい。かしこまりました。天神ですね」と運転手は
馬鹿丁寧。
「回送、と出しておられたから駄目かと思いました」と僕が軽い口調で言うと、
「ああ。すみません。出てましたか」と慌ててボードをフロントグラスから取
る。と、ステアリングが留守になって車体が揺れる。「すみません」
恐ろしい運転だ。車線が違うので指摘するとまた揺れる。そして謝る。
「運転手さん、何か心穏やかでないことが起きたんですね」と運転を揶揄して言
うと、実直そうな運転手が言った。
「いやあ。妻が癌だって、医者に言われまして、私は何がなんだか、こんなこと
お客さんに言っても仕方ないんですけど」
僕は言葉もない。運転は乱れている。本当にこの人、事故を起こすかもしれな
い。月並みな言葉しか出てこない。「それは大変ですね」
「なんでまた突然、て、納得できないんですよ」
「出費もありますね」余計なことを言ってしまった。心穏やかではなくても運転
しなければいけないのではないか、と思ったからだ。
「金はいいんですけど、子供達も手がはなれたこんな時に何故、って悔しいで
す」
ほんの短い走行距離をひやひやしながら無事到着した。チップを一枚置くと、い
つまでもその金をじっと見つめていた。非常に危ない。運転できる状態ではな
い。彼まで事故を起こしたら、妻はどうなってしまうのか。
T社で打ち合わせ。英国人2人とオーストラリア人1人を前にホワイトボードに
向かって複雑な日本の商習慣に関する苦しい説明をMさんとする。
弁当を食べて台詞を検討後、広告代理店で一日打ち合わせ。
へとへとに疲れて帰還後、全員で、うどんすきを食べる。旨い。これで通訳しな
いで食べられたら最高なのだが。
ここを切り上げてから、神戸から出張している、このHPを管理している
MIYAさんと、彼と同期で、僕と昔バンドをやっていたHちゃんと上野に集合
した。
Hちゃんは同棲している恋人Mちゃんを連れてきた。
Mちゃんは、とても美人だった。
そういえば超技巧ギタリストで、東大付属高校卒で、長嶋を愛するあまりに立教
に入ってしまったHちゃんは、かなりの面食いだったのだ。
美女Mちゃんが気さくな人だったので、ついついピッチがあがってしまって、特
にMIYAさんも酔ってウハウハガハハ状態だった。
僕も酔っ払っていたけど、会社で人事採用ノウハウを教えたり、人事考課マニュ
アルなどを作る美女Mちゃんに、「でも、そういうのって、埋もれた才能を見付け
ることはできるのかな?」と僕は聞いた。と、彼女はこう答えた。
「危険性を察知するのはたやすいけど、可能性を見出してあげるのは難しいわ
ね、確かに」
この言葉に僕は唸った。既存の人事手法では、危険性を察知して排除するのはた
やすいけど、埋もれた可能性を見出してあげることは難しい。埋もれた可能性を
見出してあげることが出来るのは何だろう? 自分を信じてくれる深い愛情だけか
もしれない。「その言葉、凄いと思う。いつ作ったんですか?」
「今、考えました」
Mちゃんは素敵な人だ。Hちゃんは幸せ者である。彼は、そういう、落ち着いた
男の顔付きになっていた。よかった、よかった。
「お父さんは嬉しいよ」と僕は何度も言ってしまった。「Hちゃんがこんないい人を
見付けて」
かなり酔っていたのだ。シンガポールからの深夜便で寝たきり、そのまま仕事し
て飲んでいるのだから疲れて当然か。
僕は1980年代半ばにバンド活動を始めた夜のことも話した。
あれは大島渚の「戦場のメリークリスマス」を米資系食品企業の数人で見た夜だっ
た。皆、映画に高揚して、「海を見に行こう!」と盛り上がって、この10月に年
貢を納めて結婚することになったAの目黒の自宅に乱入して車にギターや湯沸か
しなど道具を積んで出して、どこかの海岸に行ったのだ。海に向かってギターを
弾いて歌っているうちに夜が明けて、朝日にを見ながらインスタント・コーヒーを
飲み、「バンドをやろうぜ!」となったのである。
ところが、ギタリストのHちゃんはその場にいなかったと言い出した。
何?
僕の記憶ではHちゃんはいつもその場所にいたのだ。
すると、このHP管理者で米資系食品企業元同僚のMIYAさんが、「戸田さん、
Hちゃんはね、遅くまで起きてられない人だから、絶対にそんな現場には立ち
会ってないですよ」と断言した。「Hちゃんはね、米資系食品企業の工場研修の時
でも、皆が騒いでいても夜になると『寝ないと、寝ないと』と言って、そそくさ
と就寝してました」
「寝ないと?」と、まぜかえす僕。「深夜番組トゥナイトに続く、ネナイト、か」
「でも確かに、僕、会社終わると家にはすぐ帰って」とHちゃん。「トゥナイトは見
てましたけど」
恋人のMちゃんが言った。「トゥナイト見てからネナイト」
ひょうきんな美女だ。
「そういえば僕」とHちゃん。「なんでも、なになにしないと、って考える癖がある
んですよ。寝ないと。起きないと。会社に行かないと。食べないと、って」
酔っ払った僕が偉そうにHちゃんに言った。「それさあ、他律的っていうか、なん
か深層心理的にあると思うから、よく原因を考えといてね。宿題!」
MIYAさんの提案で「大島ラーメン」で、とんこつを食べた。
HちゃんとMちゃんカップルがご馳走してくれた。ありがとう。
凄く長い一日だったけど、楽しかった。
帰りにコンビニで日本酒を買って飲みながら、ホテルの部屋で深夜番組を見た。
もう、そろそろネナイト。
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